見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

思想は富貴の身分から生まれない

2021-12-12 20:43:42 | 本や図書館

内田樹の教育論、学力論は、うんその通り!と心底頷かせるものがあります。
彼の著書「武道論」を読み終えようとしていますが、彼の武道論・教育論はシチェチニン先生の学校の考え方にとても近い。
公立でありながら、この様態の学校を存立させるロシアって凄い!と思ったものですが、このロシアの“シチェチニン先生の学校”の必修科目は武道と伝統舞踊で、まさに内田樹の考え方とオーバーラップするのです。

彼は「学ぶ力」についても書いていますが、学力とは学ぶ力であり、「学んで得た知識や情報量」のことではないと断じ、
学校を覆いつくす「競争信仰」では学力は伸びない、劣化するだけだと。まさに!
また、白川静が孔子を評した本に、「思想は富貴の身分から生まれるものではない」とあるが、これは白川静がその実存をかけて書いた一行であるとしています。
「富貴」をもたらし、「享楽主義」や「現世利益」と相性がいいのは「どうでもいい才能」で、そんなものは「あっても、なくても、どうでもいい」と書き、、、

この世のシステムはいずれ崩壊する、今の
「閉塞感漂う現代社会」の閉塞感は、システムが順調に機能しなくなりはじめている兆候であると。
社会が破局的な事態を迎えた後、瓦礫から「新しい社会」を再建するという面倒な仕事を引き受ける人たちは、今の学校教育の場ではあまり「パッとしない」のだろうと思う。~学校に行きたくない症候群って、そういう子どもたちかも。
「これを勉強すると良いことがある」的な利益誘導に反応せず、「グローバル人材育成」戦略にも乗らず、「英語ができる日本人」にもなりたがらず、遠い目をして物思いに耽っている。
それは、「どんなことがあっても、諦めてはいけないもの」を望見しているからである。きっとそうだと思うと。

ずいぶん端折って書いたけど、“いけずご王国”は、富貴な人を目指すのではなく、面倒な仕事が立ち現れた時に敢然と立ち向かう、そんな子どもたちの思いに寄り添い、支えるところでありたいものだと思っています。

 

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