ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

クイーンズタウン行:行くも地獄、残るも地獄

2022年11月30日 | 南島:クイーンズタウン

2021年4月のクイーンズタウ
ン。クルマで約20分のアロー
タウンに築かれた19世紀の中
国人居住区
の話がまさかの3
話目自分もまたアジア人移
民である以上、150年前に起
きたことでも気になります。


なぜ彼らは黄禍と呼ばれた過
酷で理不尽な人種差別の中で
もここに留まり続けたのか



最大の理由は当時の中国の状
況でした。貧困、人口増、病
気やアヘンの蔓延、清朝の劣
勢と列強による植民地化など
社会は混乱を極め、地方の小
作農の赤貧は絶望的でした。

(※当時の広東省の小作農)


2度にわたる列強とのアヘン
戦争(第1次1839-42年、南
京条約締結。第2次1856-60
年北京条約締結。アロー戦争
とも)と、世界各地で起きた
ゴールドラッシュ(カリフォ
ルニアは1848年から)が重な
ったのも大きな誘因でした。


海に面した広東省では多くの
若者がなけなしの金をはたい
て命がけで海を渡りました。

(※数百人を乗せた移民船)


行き先はまず『金山』と呼ば
れた米国で、後に金が見つか
ったオーストラリアやNZは、
『新金山』と呼ばれたそう。


NZで中国人金鉱労働者の採
が始まったのは1865年。



1871年当時広東省の労働者
の平均年収は12~14NZポン
ドでしたが、オタゴの中国人
金鉱労働者のそれは、約6倍
の77NZポンドで、3分の2を
貯金できる目論見でした。


1870年に17歳の若さでNZ行
きの船に乗ったジェームス・
シュン。親族一同で36オンス
の銀をかき集め、若者の新天
地行きに賭けます。彼は同村
の9人の若い衆と、330人が
乗る移民船に乗り込みます。

(※ジェームス・シュン)


香港を出て3ヵ月後、海が荒
れ、船の一部が壊れ中に水が
入り、大の大人たちが絶叫す
る阿鼻叫喚の状況となる中、
ジェームスと12歳の男の子だ
けは泣き叫ばなかったそう。


「肝っ玉が小さい奴には向か
なかった」と彼は言います。
長い航海で命を落とす者、難
破する船もあったでしょう。


行くも地獄、残るも地獄か。


移民の多くが100~200NZポ
ンドを貯め故郷に錦を飾り、
小さな農場を買い小作農を脱
することを夢見ていました。


初期の頃であれば5年近くを
耐え忍べば、夢を実現できた
者もいたとみられています。


しかし、金の枯渇や人種差別
で状況は厳しさを増します。



まさかのまさかでまだ続く💦



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