翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりであ
る伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。
使徒の働き 21章8節
あの七人のひとり(8節) 『朋あり遠方より来る、また楽しから
ずや』とは論語の中でも有名な言葉です。「朋」とは親友や同志と
いう意味ですが、伝道者ピリポはパウロに対し、どのような思い
だったのでしょう。あの七人のひとりである親友ステパノを殉教
させたのはパウロですから。しかし、パウロがピリポの家に幾日
か滞在したことから、二人は朋として心を通わせたことは明白で
す。ともに過ごすことで、パウロは改めてキリストの赦しと救い
を実感し、ピリポは迫害者を宣教者に変えるキリストの勝利、
そして過去の悲しみへの癒しを体験したのです。
伝道者ピリポ(8節) ピリポは初め「教会役員」として選ばれ
ました(使徒6・1~6)。ところがステパノの殉教により、サマ
リヤの町そしてガザへ下る道へと東奔西走する「巡回伝道者」と
して用いられ、その後はカイザリヤで「牧師」となりました。こ
の役割の変化から、信仰の真髄が教えられます。すなわち、信仰
とはいま神様が私に委ねている務めにベストを尽くし、神を賛美
することなのです。
土地の人たちといっしょに(12節) ピリポは、パウロがエルサレ
ムで捕縛される預言を耳にすると、ルカたちパウロの弟子たちと
心を一つにして、パウロの身を案じました。パウロが捕まりカイ
ザリヤへ移送され投獄されると、パウロのお世話をしています(使
徒24・23)。御聖霊は信じる者に、神に愛されている喜びと、周囲
の人々に対して思いやりと優しさを注ぐ力を与えます。具体的には、
主の愛は何より私たちの出会いと交わりのなかで豊かな実を結び
ます。私たちは三位一体の交わりの神に似せて作られた存在だか
らです(創世記1・27、2・18)。