沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2015年5月17日

2015-05-19 19:11:24 | 今週の御言葉

天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえる
ことができます。          マタイの福音書 22章2節

 神の招きを軽んじる人たち(マタイ22・3~6)…結婚披露宴に
は宛名が記された招待状を受け取った人たちが出席します。同じ
ように、神様は私たち一人ひとりの名を呼んで救いへと導いてく
ださり、(ヨハネ10・3)、それぞれに使命を授けてくだるのです
(ヨハネ15・16)。しかも、王にたとえられている神は、ご自分の
ほうから私たちのもとへと「しもべたちを遣わし」(4節)、さら
には「しもべたちは、通りに出て行って」(10節)、私たちに呼び
かけています。しかも現実には、私のような者をも天の御国へと
招くために、神の御子が世へ下ってきました(ヨハネの福音書3・
16)。信仰とは、この神の招きに対して真実に応答することです。
 ところが、招かれた人々は「気にもかけず」(5節)に神の招き
を無視し、「しもべを殺してしまった」(6節)と記されています。
神様の招きよりも自分の都合を優先することは、神よりも自分を
愛しており、そこに信仰はないのです(Ⅱテモテ3・1~5)。

 神の報いの厳粛さ(マタイ22・7)…神は生きておられ創造主で
あり愛と義に満ちておられるお方であるがゆえに、主に従う者に
は救いがあり、主に背を向ける者には滅びがあります。実際、主
がこのたとえを語られた三十数年後の紀元70年、エルサレムの街
は攻め滅ぼされ、神殿をはじめ全てが焼き尽くされました。神を
あなどってはいけません。

 神は必要の全てを備えたうえで招かれる(マタイ22・8~14)…
「どうして礼服を着ないで」(12節)とありますが、地位や富を持
つ者は宴席に招く人々のため礼服を用意するのが習わしでした。
私たちが天の御国へ入るために、神は主イエスの十字架と復活に
よる救いという礼服を備えています。信仰とはまた、主の救いと
いう礼服を日々に着ることです(イザヤ61・10、ガラテヤ3・27)。

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