そこでペテロは、口を開いてこう言った。
「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」
使徒の働き10章34~36節
私もひとりの人間です…ペテロを出迎えたコルネリオは、神の御告げ通りにペテロがやって来たとき、彼の足もとにひれ伏します(25節)。
そのときペテロはコルネリオを制して、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と語りました。復活の主イエスと出会い、ペンテコステの日に聖霊を受けたペテロは、ひたすら主イエスの御名が崇められるのを求めたのです(使徒3・12~16)。
これで私は、はっきりわかりました…ペテロは、コルネリオが見た幻について詳細に聞くことで、神が全ての人を主イエス・キリストを信じて救われるよう、導いていることを納得しました。このことから宣教の働きにおいて主導権を握っておられるのは、創造主である神様ご自身であることがわかります。
「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4・6)と仰せられる主に信頼しましょう。自分の生きざまを通して主の御名が崇められることを願い、主の御前に真実に生きる者に対して、主もまた確かな信仰の納得を与えてくださいます。
この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから…ペテロが主イエスこそが救い主であることを語っているとき、コルネリオたちに聖霊が下りました。異邦人に聖霊が注がれたことをユダヤ人のクリスチャンたちは驚きます。
しかし、ペテロはこの神のしるしを見て、ためらうことなくバプテスマ(洗礼)を受けるよう命じました。主イエスが命じられたことを守り行う者、それがクリスチャンです(マタイ28・19~20、マルコ16・15、16)。