ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」
使徒の働き10章19、20節
神は福音が人々に伝えられることを願っている…カイザリヤにいた百人隊長コルネリオは、御使いからヨッパにいるシモン・ペテロを招くよう命じられます(使徒10・5)。カイザリヤは、主イエスの降誕の頃にヘロデ王が築いた港町で、ペテロやパウロなど主の証し人たちが足跡を残しました。それに対しヨッパは、旧約聖書の時代からの港町(ヨナ1・3)です。
ペテロが旧約の町ヨッパから新約の町カイザリヤへ移ったのは、神がユダヤ人と異邦人の隔てなく福音を伝える宣教の門を開かれたからです。
創造主である聖書の神を求めている人がいる…すでにコルネリオは全家族とともに神をおそれかしこみ、施しをはじめ善行に励み、いつも神に祈る人でした(使徒10・2)。百人隊長はローマ軍の中核を担い責任も重く、周囲から尊敬される立場でした。
しかし、周囲からみれば何不自由ない人物に見えたとしても、コルネリオの心は深く渇いていました。主イエスにしもべの癒しを願ったカペナウムに駐屯していた百人隊長(ルカ7・1~10)と同じく、誠実で勤勉な人ほど、実は深い心の渇きをおぼえるのです。誰にでも、福音は必要であり、主の救いが求められています。
神はキリスト者を福音の証しのため用いてくださる…神がペテロを招くようコルネリオに語られたことが、使徒10章では繰り返し言及されています(5~6、18、22、32節)。神は人を救いに導くため、キリスト者を証し人として用います。
キリスト者が体験する大きな喜びが二つある、といわれます。一つは自分が救われた喜びであり、もう一つは祈りと存在を通し福音の証し人として他の人の救いのため神に用いられる喜びです。