医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



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<百田氏発言>「沖縄の新聞社潰せ」…自民「謝罪する」

2015-06-26 16:54:59 | 政治・社会・経済問題
毎日新聞6月26日(金)11時56分
自民党の25日の勉強会で作家の百田尚樹氏が、安全保障関連法案に関し、沖縄の新聞社2社について「潰さないといけない」などと報道機関を批判する発言をした問題で、民主、維新、共産3党は26日午前の衆院平和安全法制特別委員会の理事会で、抗議した。自民党側は陳謝した。

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「日教組は日本のがん」
南京虐殺否定発言
「日本兵による犯罪は少数あったものの、日本軍による“大虐殺”はなかった。
沖縄の地元新聞 左翼に乗っ取られている
「こいつら日本を殺したいのか」民主党を批判
沖縄戦争 「沖縄は本当に被害者やったのか? そうじゃない」

集中砲火を浴びていた

2015-06-26 15:43:33 | 医療と介護
病院新聞社と公益事業新聞社は都市センタービル地下1階にあった。
隣が理髪店であった。
その頃流行していたアイパーを沼田一郎は月1回かけていた。
先輩の大島重樹の影響である。
2人は地下1階のレストランで度々夕食を食べ残業をしていた。
社長の大迫幸吉はワンマンで自分より部下が早く退社することを許さなかった。
また、朝は自分の席まで部下たちを挨拶に寄こした。
「社長おはようございます」と社長の大きなデスクの前で社員は直立して頭を下げるが大迫はうなずきもしないで、睨み据えるのだ。
「今週はどうなんだ?!新聞は出せるのかね!」
「ハイ、広告が入りましたから、何とか行けます」と編集長の堀口四郎は身を固くしながらかしこまる。
「赤字では、新聞は発行できないからね。分かっておうるんか!もう少し身を入れんか。あうん」
何時もの口癖の「あうん」が出てので、経理の佐原登紀子は肩をすくめた。
堀口は京都帝国大学出の元自治省官僚であった。
「私学出の君たちは、集中力が欠如しておるんだ。我々は三高時代に集中力の基礎を叩き込まてきたんだよ。一般教養だって今の大学生以上のものがあった」
酒が入ると三高の校歌を歌うのである。
沼田一郎はなぜか社長の堀口から集中砲火を浴びていた。
「スポンサーにどのような話をしておるのかね。広告くらい簡単に取れるはだ。真面目にやっておるのか」
「君は、早く帰ろうとしているそうだな。努力もせんで、権利ばかり主張すのかね。あうん!」
上眼でメガネを光らせながら大きな椅子に身をそらすようにして威圧する。
「今週の保存用の新聞が足りないと佐原君が言っておるが、君はどこと、どこへ新聞を配布したのかね!あうん!」
沼田は「またか!」と内心うんざりした。
広告を取るためには見本紙を20枚、30枚使用するのは必然なのだ。

閉所恐怖症の傾向

2015-06-26 15:06:17 | 創作欄
「沼田さんは72分の1ね」と弁当の箸を止めながら佐久間菊江はつぶやいた。
沼田一郎も「何のことだろう?」と箸を止めた。
共同ビルの7階の回廊の中央にある15坪の狭い部屋は薄い茶系の色の壁に囲まれていて窓がどこにもなかった。
牢獄にいるような息苦しさを沼田は感じることがあった。
閉所恐怖症の傾向が沼田にあった。
それは幼児の頃の体験から来ていた。
5歳の一郎は小学生たちの従兄たちと鬼ごっこをしていた。
一郎が重い蔵の木戸に手をかけると幼い力でも開いたのだ。
2階の窓から西日が射していて、薄暗い蔵内の様子が一郎の目に浮かんだ。
多くの行李や茶箱が並んでいた。
一郎はそれらを次々と開けて見た。
衣類や食器類などが収まっていた。
武具も見つかった。
胸が高鳴ってきた。
冒険をしている気分になっていた。
一番、隅にあった茶箱を開けると中は空であった。
一郎はその中に身を隠したのである。
蔵の木戸の外から従兄の恒男がそれを目撃していた。
小学校2年の恒男は笑いをこらえながら茶箱の蓋の上へ腰を下ろしたのである。
恒男の兄の恒次がそれを目撃し蔵に入ってきた。
恒男が恒次に小声で一郎が茶箱の中に隠れていることを耳打ちした。
恒次も笑いを答えて、蓋の上へ腰を下ろしたのだ。
5分くらい経過しただろうか。
一郎は人の気配を感じて、外の様子を見ようと蓋を押上し上げたが開かない。
一郎はパニックに陥り、泣き叫んだのだ。
恒男と恒次が笑っていた。
「開けてよ!」と一郎は懇願したが、2人は応じない。
そこへ中学2年生の従姉の里子が蔵にそば粉をとりに来のだ。
恒男と恒次は慌てて、茶箱から降りると外へ駆け出して行ったのだ。
茶箱の中から一郎の泣き叫ぶ声がもれてきたので、里子が弟たちのイタズラに気づいた。
「何て、可愛そうなことをするの」里子は怒りが込み上げてきた。
一郎は茶箱中で身をくねらせて泣き叫んでいた。
「もう、大丈夫、泣かないで一郎」お下げ頭の里子が一郎を抱き上げた。
一郎はモンペ姿の里子の胸にすがって泣いた。
その後、夢にまで見た恐怖の体験であった。

沼田は次期社長になれなかった

2015-06-26 07:01:11 | 創作欄
「沼田の奴!飼い殺しにしてやる!」
沼田が大隅金太に恨まれたのは不本意であった。
あろうことか、上野の中華料理店の座敷で開かれた株主総会で筆頭株主で代表権を持っていた吉岡初男が沼田を次期社長に推挙したのだ。
「大隈君、君も2期社長をやればいいだろう。次は沼田君が社長だな。いいな譲れよ!」
吉岡は強引は性格であるので、他の株主は異を唱えなかった。
もっともわずか100万円の出資で歯科企業の経営者たち7人で再建した専門新聞であった。
沼田は自負心から業界新聞と呼ばれることを嫌った。
歯科業界の零細な企業の経営者たちは「新聞屋さん」と沼田のことを呼ぶこともあり、自尊心を傷付けられたものだ。
製薬業界の大手企業の年商の1社にも満たないような、歯科業界の市場規模であった。
沼田は日本薬業新聞社に勤務していた頃、経営者インタビューの欄などを担当し、上場されている大手企業の経営者に度々取材をしてきた。
それらの経営者と比べると、歯科業界の経営者たちはいかにも見劣りがしていた。
だから、沼田は製薬業界の大手企業のトップを歯科企業の団体の講演会へ招いたりした。
「今日は、とても良い話が聞けたよ」と元厚生省(当時)の官僚であった歯科団体の事務局長に感謝された。
結局、沼田は次期社長になれなかった。
大隈が意図して6年間も株主総会を開かなかったのだ。

























米国に従属することでなく、対等になることです

2015-06-26 06:30:37 | 沼田利根の言いたい放題
長時間実行中のスクリプトのため応答しません
うんざいである。
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素朴な質問であるが、安倍晋三さんはそもそもなぜ、復権できたのか?
自民党に人材はいないわけではないのにである。1

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集団自衛権は憲法に違反している。
それを認めると法治国家の根幹、立憲主義を損ない、法的安定を揺るがす。
集団自衛権は、「法を支配」を台無しする。
集団自衛権は国際法上保有はしても。行使は憲法上許されない。
それが日本での集団自衛権だ。
歴代4人の法制局長が違憲と言っている。
「報道ステーション」(テレビ朝日系)が憲法学者に行ったアンケート調査で回答した151のうち、法案を合憲と答えたのは3人(6月15日放映)。
法案が成立した際の利益と不利益、将来世代の経済的負担といった事後の影響が今後の論議となるだろう。
現時点で1000兆円を超える国の借金の中で、財政的リスクを含め、安全補償関連法案にどれだけの意味があるのか?
どれほど集団的自衛権の行使で費用がかかるのか?
初度経費4兆円、維持費が年間数千億円かかると推計されている。
従来の個別的自衛権で十分対応できるのに、その説明は避けており、この法案を認める合理的な理由は見つからない。
「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することでなく、対等になることです」
安倍晋三首相の詭弁である。
日本は米国と対等になれるはずはない。

「好きな釣りで死んだのだから」

2015-06-26 03:30:42 | 雑記・断片・映像












午後7時30分からの会合へ行く。
長男が2か月ふりに来る。
実は家人は昨日だと思い込んで、息子が好きなカレーを作って待っていた。
午後8時30分になったので「あんた。パチンコなの遅いね」と電話をしたら、「メールちゃんと見てよ!今日でなく、明日だよ!」と息子に指摘された。
メールを確認したら確かに、「明日行くからね」とあったのだ。
それで、今日は午後6頃、歯科の治療で取手駅のビルまで来たので実家へ立ち寄ったのだ。
息子は明日の弁当のために冷蔵庫を確認し、「寿司もあるの。寿司食べるよ」と言う。
「昨日のカレーは?」
「カレーも食べる」
さらに、弁当のおかずも確認する。
「コメはあるの?」と母親は気遣う。
「まだ、ある」
農家から30㌔コメが届き、そのうち10㌔は長男が持ち帰るのだ。
長男の中学の同級生の近野君(仮名)が届けてくれる農家(自営)のコメだ。
30㌔で7000円。
会合へ行っている間、長男は帰る。
今日は阪神の野球中継がないので帰る。
何時もなら野球の試合が終わるまで居るのだ。
移動日で阪神の試合はない。
会合では千葉県の佐原へ行った話をする。
特に、北海道から移住してきた小原さん(仮名)には、潮来や佐原は行くべきだと伝えた。
自動車で真っ直ぐ利根川沿いに行けば潮来へは約1時間だそうだ。
鹿島の海へ釣りなどの行ったことが思い出された。
雇用促進住宅に住んでいた頃で、隣の階段の2階に住んでいる矢口さん(仮名)に連れて行ってもらう。
矢口さん親子の影響を受けて息子たちは何本も釣り竿を揃えた。
矢口さんの息子さんは今年の1月3日は、鹿島の海で水死体で発見された。
「好きな釣りで死んだのだから」と奥さんが涙ぐんでいた。
2週間前に雇用促進住宅の前で出会って夫妻を慰めた。
旦那さんは人工透析20年余の身で杖をついて歩いていた。
息子さんの勉君(仮名)は息子(長男)と1歳年下で38歳での死であった。






































体験談に優る活動報告はない

2015-06-26 02:35:34 | 雑記・断片・映像
昨日は1か月に1回の老人会へ行く。
何時もは会館まで歩いて約3キロ余行くが、前日の電話で聞き間違いをした。
実は雑誌の巻頭言を読む予定の石川さん(仮名)が欠席なので、当方に読んでほしいという内容であったが、「迎えに行くからね」と寺川さん(仮名)の会話が聞こえた。
CSテレビの野球中継の音が大きく、聞き間違えであった。
電話で確認したら既に寺川さんは会館へ向かっていた。
歩いて行けば時間に間に合わない。
そこで、隣人の春山さん(仮名)の自動車が駐車場にあるのを見たので「今日は行くますか?」と尋ねたら「9時45分に出ます」と言うので乗せて行ってもらうことになった。
活動報告の予定の鶴川さん(仮名)も欠席である。
歌の合唱。
啓発ビデオを見てから担当役員の挨拶。
心を鼓舞する内容であった。
96歳で頑張っている人もいるのだ。
体験談に優る活動報告はない。
最後に健康体操。
中国語声と日本語の声、音楽に合わせて、体をほぐす。
柔軟性がなくなってきたことを痛感した。
帰りに、柳川さん(仮名)の自宅前を通過した時に、約4年余のがん闘病について、春山さんから聞く。
亡くなる2年前に肺炎で危篤になったが、回復時期もあったそうだ。
大腸がんで5月末に亡くなった俳優の今井雅之さん(54歳)のことと重なる。
がんの痛みを想ってみた。
母はほとんど痛みを訴えいなかったが、67歳での死であり、柳川さんも同年代での死であった。