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H27.6.26(金) 厚生労働省 塩崎大臣閣議後記者会見概要

2015-06-29 23:59:33 | 厚生労働省
9:09 ~ 9:24 省内会見室)

【厚生労働省広報室】

会見の詳細
《閣議等について》
(大臣)

 私の方から3点ございまして、まず、今日閣議の前に「すべての女性が輝く社会づくり本部」が開催されました。「女性活躍加速のための重点方針2015」がとりまとめられました。この重点方針には、厚生労働省に関係の深い事項として、女性活躍推進法案に基づく企業の取組の促進、マタニティ・ハラスメントの防止に向けた次期通常国会における法的対応も含めた事業主の取組強化策、ひとり親家庭を総合的に支援するため、年末をメドに政策パッケージを策定するといったことなどの重要な施策が含まれている重要方針が決まったわけでございます。厚生労働省としても、これらの施策を着実に実施することで、「すべての女性が輝く社会」の実現に向けて全力で取り組んでまいりたいというふうに思っています。
 2番目は有効求人倍率でございますが、5月の完全失業率は前月と同水準の3.3パーセントとなり、また、有効求人倍率は0.02ポイント上昇しまして、1.19倍と23年2か月ぶりの高い水準となりました。現在の雇用情勢は、一部に厳しさがみられるものの、着実に改善が進んでおりまして、一方で、海外景気の雇用への影響などには注意が必要だという状況でございます。雇用情勢の地域差などの課題に対応した雇用対策の推進、そしてまた、女性・若者・高齢者などの活躍推進、そして、正社員就職の促進などによって、雇用情勢の一層の改善に全力で取り組んでまいりたいというふうに思っております。
 3番目は「国際薬事規制調和戦略」についてでありまして、この度、厚生労働省において、「国際薬事規制調和戦略」、横文字で言いますと「レギュラトリーサイエンスイニシアティブ」をとりまとめましたので、本日プレスリリースをいたします。これは、医薬品・医療機器分野での国際規制調和、それから国際協力に関しての中長期的なビジョン、あるいは施策のプライオリティを明確化した戦略でありまして、私から策定を指示したものでございます。この戦略に基づいて、「アジア医薬品・医療機器薬事トレーニングセンター」をPMDAに設置をいたします。アジアの規制当局担当者の日本の制度に対する理解を促すことなど、我が国の知見をアジアをはじめ、世界に発信をいたしたい、こちらからも出向いてトレーニングなどを現地でもやってまいりたいと思っております。これによって、世界の保健衛生の向上に一層貢献するとともに、医薬品・医療機器産業の活性化というものを日本で図っていきたいと思っております。また、戦略の策定で終わることなく、継続性・一貫性のある取組を進められるように、厚生労働省、PMDAの組織体制を構築し、戦略の定期的な進捗管理とか見直しを協力に進めてまいりたいというふうに考えているところでございます。以上3点、私の方からまずお伝えを申し上げたところでございます。

《質疑》
(記者)

 先ほどの冒頭の発表にありました、「国際薬事規制調和戦略」に関してですが、政府の成長戦略、去年の成長戦略にも医療の分野での海外輸出というのが入っていると思いますけれども、この点について今回の戦略が成長戦略にどうするものなのか、また、新たな成長戦略に反映させたいというお考えがあるのか、お聞かせください。


(大臣)

 医薬品とか医療機器の規制の調和、ハーモナイゼーションの分野で中長期的なビジョンとか、施策のプライオリティを明確にするというのは、今まで無かったことでありまして、官民で共有できる具体的な戦略を発表するという試みであって、大変意義深いことだと私は思っております。今後は、こういう戦略を推進することによって、さっき申し上げたような「アジア医薬品・医療機器薬事トレーニングセンター」を設置いたしますけれども、しっかりと厚生労働省内でも組織を作り、PMDAでも構えをちゃんとして、継続的、一貫性を持って推進をしていくと、このことによって、世界の規制の調和が図られることによって、医療機器を作る、あるいは医薬品を作る、言ってみればどこで作ってもどこの国が作っても良いように世界がなっていくという意味において効率的な規制ができるようになるし、産業もそれを見ながらやれば、どこでも通用するということになることにおいて、もちろん日本の医薬品産業、医療機器産業に成長戦略としてのプラスになりますけれども、他の国でのそういった産業もプラスになる、もちろんその規制が調和されることによって、より良い医療機器や医薬品ができることによって、この保健衛生の向上というのが進むということでありますので、デファクトスタンダードをどう作っていくかということにおいて、国際的な協力を、日本は積極的に貢献をしながら、役割を果たしていくということだと思います。

(記者)

 昨年度の税収なんですけれども、見込みよりも2兆円程度増えて、53兆9,000億円余りとなったということです。これについての受け止めと、政府は骨太の方針の素案で社会保障費の今後3年間の伸びを1兆5,000億円程度に抑えることを目指す方針を明記しましたが、この関係とあわせて受け止めをよろしくお願いします。


(大臣)

 これは総理から繰り返し申し上げているように、成長なくして財政再建なし、こういうことでありまして、国民の負担となる財政の重荷を軽減していくためにはやはり成長が一番であり、成長すなわち生活水準の向上ということでありますから極めて大事であって、社会保障は保険方式の場合には何度も申し上げておりますけれども、財源というのは保険料と税と自己負担、これしかないということでありますので、そういう意味で税収が増えるということにおいては、この国民負担を軽減することにも、あるいは抑制することに役立つということでありまして、今回53兆余りの税収になるということでありますが、(第2次安倍内閣発足時から)3年ぐらい前までは30兆円台にまで落ち込んでいたのを第2次安倍内閣がスタートしてからアベノミクスによってここまで税収が上がってきて、したがって今後、昨日も骨太の方針について自民党の方にも御議論をいただいておりますけれども、「経済物価動向等を踏まえ」というのが文章に入っておりますけれども、こういったものを含めて今後財政再建と社会保障の改革をどうするのか、という議論が深まっているわけであって、こういう経済情勢が好転すること、このことが社会保障における自由度も増すということにつながるので、私どもとしては、引き続いて経済の再生を図りながら社会保障の充実を図り、同時に財政の健全化を図っていくということで、連立方程式をしっかりと解いて、国民の暮らしの向上につなげていきたいということだと思います。


(記者)

 安保法案に関してなんですけれども、議員の皆様の中でも様々な議論をされているようですが、昨日、自民党の若手議員の方の勉強会の中で一部批判的な報道をするマスコミに対して広告収入を減らした方がいいですとか、そういった批判的な意見が出たようなんですけれども、こういった意見が出ることに対して大臣の受け止めをうかがえますでしょうか。


(大臣)

 人それぞれの考えがありますから、それぞれだろうというふうに思います。国民に対して安全保障法制についての説明をしっかりやっていくという安倍内閣の基本方針を貫いていって、地道に粘り強く国民の皆様方の御理解をいただくように努力するということが基本というふうに思います。


(記者)

 延長国会になりましたけれども、まだ厚労省では重要法案がたくさん残っていまして、特に与野党の対決型になっているというか、なりそうな労基法(労働基準法)の改正案もありますけれども、これらの法案をどのように審議を進めたいかということと、あと派遣法は参院に送られましたけれども、施行が9月1日で、衆院の審議時間を考えると2か月近くかかったわけで、成立した後も労政審(労働政策審議会)とかが、かなりタイトなスケジュールになると思います。そのあたりのスケジュール感をどのように考えているかお願いします。


(大臣)

 これはあと6つの法律が残っているわけでありまして、いずれも極めて重要な法案ばかりであります。したがって、これは丁寧に、しかし国会の会期を、そして今の法施行のタイミングをにらみながら、しっかりとした審議を国会ではかっていただくということをお願いしていくしかないんだろうというふうに思います。私どもとしても、この6つの法律をこの会期中になんとか御審議をいただいて、成立を期すというのが基本的な考え方、6本残っているのでお願いをすると、真摯にお願いしていくというのが大事だろうというふうに思っております。

(記者)

 戦没者の遺骨のDNA鑑定のことでおうかがいしたいのですが、6月22日に日本軍の軍人、軍属で犠牲になった韓国人の遺族の方が厚労大臣宛に韓国人遺族へのDNA鑑定を求める要望書というのを提出されました。5月には国の方針として戦没者の遺骨のDNA情報をデータベース化したり、それから遺品がなくても鑑定を実施したり、そういうことで遺族からの照会に関しても広く応じるという態勢を整えるという内容の方針を作られたと思うのですが、これは戦時中の朝鮮人や台湾人などの旧植民地出身者の軍人、軍属の犠牲者にも適応するお考えなのでしょうか。今までも例えばシベリア抑留者の墓地などで、日本人と朝鮮人が混在して埋葬されているところでは身元が分かっていても、あえて全ての遺骨に対してDNA鑑定しないということが行われていたようなんですけれども、その理由についても御説明をお願いいたします。


(大臣)

 基本的にDNA鑑定をやっていこうという方針を決めたところでありまして、特に沖縄とか、それからその他のところでもやろうということで、上手く蓋然性の高い組合せがある場合に特にやっていこうということになっています。今の外国の方々の埋葬を一緒にしているような場合についての扱いについては、ちょっと私はそこまで具体的なことまでは今持ち得ていないので、改めてまた担当の方からお答えを申し上げたいというふうに思います。


(記者)

 そういうような要望書が届いていることは御存知でしょうか。

(大臣)

 私のところにはまだ届いておりませんけれども、いろいろな御要望があるということは聞いております。















なぜ安部総理は、世論調査でも多数が反対する安全保障関連法案の成立を急ぐのか

2015-06-29 23:53:54 | 投稿・寄稿欄
投稿

軍事力ではない別の“積極平和主義”はないのか以下は、緊急の課題である安全保障関連法案の問題の動きを考えるときに思ったことです。
まず、どうして自民党が安倍氏を首相にいただき、野党や国会を軽視する危険な集団になったのか、考えてみました。
今日の自民党内のリーダーと呼ばれる人たちを見て気が付くことですが、政治家2世3世ばかりです。
今日の政治家は専門家として、プロとして、政治・経済のカジ取りを行い、国民の健康と安全を守り、安心と豊かさを目指し維持して行く役割があります。
また、政治家は地域のリーダー、国のリーダーとして(この“国”という言葉はクセ者なのですが)、市民の求めるものを実現する役割があります。基本的に世のため、人のために仕事するプロです。
これまで記憶に残る政治家は、強引なところはあっても、国家の重要問題に関わることは、選挙の争点にし、憲法を軽視したり、詭弁を弄したりすることはなかったはずです。

戦後の政治でも第2次世界大戦=太平洋戦争・大東亜戦争による悲惨な経験をもつ昔の政治家と、戦争の被害を直接受けていない若い政治家では安全保障(国防)に対する考え方に差があるようです。
今は、さらにそういう肉親の苦しい経験を伝え聞かない、戦争を知らないオボッチャマ政治家が増えて、観念だけで国とか、安全とかを言うので、怖いのです。なぜ、急ぎたがるのでしょうか。

家族のため、他人のため、地域のために必死に汗を流して、推されて政治家になる人と、地盤・看板を引き継いで政治家になる人では、実感としての国民の生活とか、経済的努力の感覚は持ち合わせていないと思います。特に親、その親がエリートや政治家であった政治家は、生活感に根ざさない、また戦前戦中の国家観を否定しきれない、危ない自意識、国家意識、リーダー意識をもっている危険性があります。
自民党内でも反戦意識の高かった野中広務氏や古賀誠がいなくなると、重しが解けたように、自民党は危険な方向に走り出しています。
また、なぜ、平和政党という看板を公明党は自ら下ろすような立場をとるのでしょうか。
ここはじっくり、腰を据えて議論し、国の行く末と国防について議論し、必要なら憲法を改正するべきなのに。公明党は、なぜ、その正論をもってして自民党の暴走に歯止めをかけないのでしょう。自民党のチェック役と言っていたのに…。

心理学的に言われる戦争や殺人を引き起こさない要点は2つです。1つは大きな憎しみを作らないことです。もう1つは大きな不安を作らないことです。政治でも国の外交でも、そうしたものを作らない努力をすること政治家の役割です。中東のイスラム国やゲリラの問題も、そうしたことができなかったことが大きいと言えます。

グローバル化するこれからの世界の、急務の課題として、どうしたら血で血を洗う争いが収まるかを考えることがあります。自分の立場を正当化するかぎりは、争いは続きます。大変苦しいことですが、相手の憎しみ、不安を受け入れ、どうしたら鉾を収めることが出来るかを、世界にオープンにして、考えるしかないと思えます。
まず、特に正邪をはっきりさせたがるキリスト教、教義を前面に打ち出すイスラム教では収まりがつかなくなることを自覚すべきなのです。宗教的にもそれを気がつかせる役割を持っているのが日本ではないでしょうか。

先の大戦で数百万人以上の国民が命を落とした国として日本、ドイツ、ロシア、ポーランド、中国などがあります。その中でも平和を守り他国を攻めず、国際貢献を積極的に行ってきた日本は、世界に向けて提案する力を、軍事ではなく、外交、貢献で、力を持つことができる国です。
米国について行っては大変に危ない、違う道を考えるべきという、別の“積極平和主義”をなぜとらないのでしょうか。
憎しみの連鎖を断つのは、軍事力では難しいことは歴史が物語っているのですが…。
かつての公明党、危ない政策にはストップをかけていた党はどこに行ってしまったのでしょうか…。

(民本主義者)

















鶏肉が苦手

2015-06-29 23:41:53 | 創作欄
当方はカメラマンではない。
自称写真家である。
正確に言えば写真・映像愛好家である。
カメラが2度も壊れて動画は止めたが、静止画像でもそれなりに切り取れる映像がある。
昨日、「カメラマン、今度は何処へ行くの?」と顔なじみの人から声をかけられた。
「予定はありません」と答えた。
だが、相手の名前も聞いて居なかったし、どこに住んでいるかも知らないが、「おお、また会ったな、カメラマン」と出会うと笑顔で寄って来るのだ。
時には「おお、会長」と声をかけられる。
年齢は70代の中頃であろうか?
「取手においしい焼き鳥屋は?」と尋ねられた。
実は当方、鶏肉が苦手なのだ。
話は幼児のころにさかのぼるが、ニワトリをペットのように想っていた。
ニワトリはトウモロコシを与えると手の平からでも食べた。
雛鳥の頃から慣れ親しんだニワトリたちである。
だがある日、その中の1羽が居なくなっていた。
徹は従兄の朝吉に尋ねた。
「ニワトリが1つ、居ないね。どうしたの?」
「ニワトリ?昨夜、徹も食べただろう。おいしかっね」
「食べた?!」徹は正確にその意味が理解できなかった。
昭和23年、卵は貴重なご馳走であった。
当然、鶏肉もご馳走であった。
東京大空襲の前の月に徹と姉、妹たちは母の実家(取手・小文間)に疎開し、約3年余田舎暮らしをしていた。
その間、徹の父は関東軍に居て終戦を迎えたことから満州からソ連へ連行されていたのだ。



















他に安倍晋三首相に変われる人材は自民党内には居なかったのだろうか?

2015-06-29 06:44:08 | 沼田利根の言いたい放題
安倍晋三首相は、どこかゾンビを彷彿させる存在に想われる。
一度、自らの体調の問題で失脚した。
それなのに、なぜ復帰出来たのか?
多くの国民が疑問に思わないのがむしろ不思議である。
安倍晋三首相の復帰を国民が強く望んでいたのであろうか?
正確に言えば自民党内だけで、彼は奇しくも復帰を待望されたのであろう。
他に安倍晋三首相に変われる人材は自民党内には居なかったのだろうか?
自民党は日々、墓穴を掘りつつある。
何が問題であるのか?
安倍晋三首相の信奉者の若手議員たちのの無知、無能さである。

沼田利根






















ミサイルや砲弾が飛び交うのは、最前線だけではない

2015-06-29 03:11:54 | 受けとめる力
★戦死者が県民の4分の1に及んだ沖縄戦の惨禍を鑑みれば、沖縄の地は本来なら軍事基地を置くに最もふさわしくないはずである。
だが、本土防衛の「捨て石」として日米の地上戦の場となったことから、戦後の米軍支配下で住民の土地が広大な基地建設のために奪われ、復帰後も縮小されることはなかった。
琉球大学教授(政治学)波平恒男さん
★安倍晋三首相の安保関連法案をめぐる言語表現にはあぜんとさせられるものが少なくない。
「リスク」「レッテル貼り」といった用語を繰り返して、議論の中身をぼやかしている。
民主党の辻本清美氏の質問中、冷笑して「早く質問しろ」とヤジる(審議を受ける側の行政の総師が審議する側をヤジるとは、三権分立を軽視する権力丸出しではないか)。
日本を取り巻く国際情勢が厳しくなったのだから、それに対応した政策を取るのは「政治の責任だ」と言って、閣議決定の方を憲法より優先するかのように主張する。
一旦戦争が始まると、ミサイルや砲弾が飛び交うのは、最前線だけではない。
後方の兵站を立つことは、重要な戦術になる。
そんなことは戦争のイロハだ。
近隣国との戦闘が生じれば、それがどんな状況を日本各地にもたらすのかは、中東の戦争が見せつけてくる。作家・柳田邦男さん













彼はわたしにとって重要な人物だった

2015-06-29 01:38:20 | 受けとめる力
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ドストエフスキーに影響を与えた作家は、プーシキン、シラー、バルザック、ユーゴ、ホフマン、ゲーテ、ホメロス、フランス古典など。
母親のマリアは、商家の娘ながらなかなか教養があって、詩や小説まで読んでいたという。
子供たちはこの母の手引きで、平易な聖書物語をテキストとして、読み書きを学んだ。
また青年時代のドストエフスキーに大きな影響を及ぼした人物として、イワン・ニコラーエヴィチ・シドロフスキイ(1816~1872)が存在した。
当時役所につとめていた詩人、文学者であり、理想主義的な、高揚した精神の持ち主であった。
この5歳年上の青年によってドストエフスキーは感化され、哲学的、文学的な議論や人生談義を交わすことによって、いわば精神の窓が開かれたらしい。
シドロフスキイは、ありあまるほどの才能をついに一語も文章に表現することができず、詩作からロシア教会史の執筆に筆を転じたがそれも果たさず、のちに僧院へはいって、生涯、世を捨てて暮らした。
ドストエフスキーは晩年になってもこの友のことを思い出して「彼はわたしにとって重要な人物だった。彼の名は永遠に残る値打ちがある」と書いている。














破棄された経験があると日常が奇跡になる

2015-06-29 01:38:20 | 受けとめる力

★現代は、理想と一体でもある表現、言葉への信頼が失われた時代かもしれない。
★東日本大震災の直後、多くの作家らが「言葉を失った」と言い、発言から逃げました。
佐伯さんは逃げなかった数少ない一人だったことを今でも鮮明に覚えています。
被災地で逃げられない患者と共に医師はいましたが、書き手も言葉から逃げてはならない。批評家・若松英輔さん
★僕は言葉を失うというのとは違って、世界が真空状態になった。
現実感も喜怒哀楽もなくしたという感覚でした。
★他方で数カ月後には、「言葉を失った」はずの人が、テレビで当時のことをぺらぺらと話した。作家・佐伯一麦さん
彼らにとって言葉は単に表現の道具に過ぎないのでしょうか。批評家・若松英輔さん
★本当は、書き手が言葉に言わされるというところがあるのだけれど。
この間はつくづく、現代日本の知識人の考え方の典型が、原発から文学まで露になっていますね。
なんでも、技術の問題に切り縮めてしか理解しないし、できない。
文学ならば、大震災以前からの傾向ですが、作品の企みや細部の精巧さばかりが評価され「いのち」の表現であるはずの文学が見失われる。
作家・佐伯一麦さん
★芸術や宗教は元々、死者を含んだつながりで成り立っている。
ところが、現代は生きている者だけが市民権を主張しがちです。
今、文壇で評価を得ているある種の人たちにも、その傾向を強く感じます。
あえてとても大ざっぱに言えば、大震災後で何一つ新しいことはなかった。
元々あった問題を露呈させただけです。
だから問題は一層深刻で、根深い批評家・若松英輔さん
★少なくとも大人にとっては、見ないできた、先送りしてきた問題が露わになっただけ。
たとえば、大震災後に「何の変哲もなく暮らせることは素晴らしい」と言われるようになったけれど、死者は誰もが以前からそう痛切に思っていたはずです。
文学の言葉は、何かを破棄された経験から出てくる。
なんであれ、破棄された経験があると日常が奇跡になる。
その思いで日常を描いています。
文学は、言葉で表現できない無力感と「でも、言葉で表現する」という矛盾から始まる。
そもそも。一人の人間が生きて死ぬとは、一冊の本みたいなものです。
誰も添削などできないし。またモデル化もできない。作家・佐伯一麦さん
















映像表現の可能性を追求する美術家が増えた

2015-06-29 01:09:45 | 受けとめる力
★「過去の日常にも現代と同じだけの密度や複雑さがあったことははっきりと誰にでもわかる 。
しかし、わずかに残された記録を手掛かりに歴史が叙述されてきた。
いつの間にか過去の「断片」が歴史となってしまう。
★例えば同じ風景でも誰かが表現したものは、記録写真で見るのと異なり、その個人の見方が同時に作品を見る者の中に入り込んでくる。
それは、もしかしたら「知る」というよりも「触れる」に近い感覚ではないだだろうか。
★過去の起きた出来事を明確に知ることができるわけではない。
むしろ、混沌さを増すかもしれない。
自分とは異なる個人の感覚を通して歴史に
触れるようなお感覚である。
★美術が自らの歴史だけでなく、社会の歴史との結びつきを強める動向は、冷戦体制が崩壊した後の1990年代ごろから欧州で顕著に見られるようになった。
★植民地主義や戦争、あるいは人種差別のような負の記憶に目を向け、歴史の叙述を固定化せず、複雑化させる作品に多くの関心が向けられた。
とくに映像という新しいメディアはこれを加速させた。
★もともと社会の出来事に敏感に反応してきた写真家のみならず、映像ともドキュメンタリーとも異なる映像表現の可能性を追求する美術家が増えた。
アーツ前橋館長・住友文彦さん