医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

人間を主役に置いた歴史観の確立

2015-06-05 13:39:01 | 編集スクランブル
★目的の深さが学ぶ意欲を高める。
「何のために学ぶのか?」
★人間を主役に置いた歴史観の確立。
平和建設を教育の目的に掲げる。
★「志の連帯」がある限り、英才は陸続と生まれるに違いない。
★変化を待つ傍観者に歴史は変えられない。
★高齢社会-この社会の価値観をどのように創りあげるのか、これが、これからの日本に求められる大きな課題だ。
★すべての人間にはそれまで生きてきて身に付いた能力がある。
それを引き出すことは、高齢者の人格尊重の核心であり、高齢者福祉の真髄だ。
★今日、仕事、結婚、育児などの女性のライフスタイルは変化し、社会や地域で直面する課題も変わってきた。
「多様化社会と女性」が新たなテーマである。
★昭和40~50年代、団塊の世代は育児に追われていた。
団地には子どもが溢れていた。
砂場やジャングルジムなど公園で遊ぶ幼児たちと見守る母親たち、出会いがあり会話も弾んでいた。
地域の行事も盛んであった。


























周作人と武者小路実篤

2015-06-05 05:51:01 | 受けとめる力
新発見書簡から友情をたどる。
元北京大学教授の周作人は魯迅の弟。
1906年(明治39年)に日本に留学。
片上伸、相馬御風、志賀直哉、里見、長与善郎、千家元麿、木村荘八、犬養健、梅原龍三郎ら作家、詩人、画家、政治家たちと交友関係にあった。
幅広い人脈の中で、白樺派同人との交流を大切にした。
また、文芸評論では早稲田派に親しみを持っていた様子が書簡からうかがわれる。
実篤に触発され農業共同集落「新しき村」の北京支部を作る。
晩年は文化大革命で不遇になる。
紅衛兵にベルトで撃たれた傷跡が残ったままだった。
戦乱や文化大革命の動乱のさなかでも、明晰な理性をもって信念を曲げず、芸術家としての良心を失わなかった。
しかしながら。公民権と創作活動を奪われた。
1964年(昭和42年)に死去。
弘前学院大学教授・顧偉良さん(上海生まれ、1985年に来日、専門は日本近代文学、日中比較文学研究)












最先端の医療を患者に届ける

2015-06-05 00:18:27 | 医療と介護
AMEDについて
 医療分野の研究開発における基礎から実用化までの一貫した研究開発の推進・成果の円滑な実用化及び医療分野の研究開発のための環境の整備を総合的かつ効果的に行うため、医療分野の研究開発及びその環境の整備の実施や助成等を行います。

国立研究開発法人日本医療研究開発機構の役割
 機構は、医療分野の研究開発及びその環境整備の中核的な役割を担う機関として、これまで文部科学省・厚生労働省・経済産業省に計上されてきた医療分野の研究開発に関する予算を集約し、基礎段階から実用化まで一貫した研究のマネジメントを行います。また、知的財産に関する専門家、臨床研究や治験をサポートする専門スタッフなどの専門人材による研究の支援を行います。研究費申請の窓口や手続きは一本化し、ワンストップサービス化します。こうした支援を通して、基礎から実用化までの一貫した研究開発の推進及び環境の整備をおこなうことにより、世界最高水準の医療・サービスの実現や健康長寿社会の形成を目指します。

国立研究開発法人日本医療研究開発機構の業務
(1) 医療分野の研究開発及び環境整備
(2) その成果の普及・活用の促進
(3) 医療分野の研究開発及び環境整備に対する助成
(4) (1)~(3)の業務に附帯する業務


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http://www.amed.go.jp/aboutus/aitatus.html

明治維新と1945年(昭和20年)の敗戦

2015-06-05 00:01:08 | 受けとめる力
信じる道を生きた朝河正澄・貫一父子

小説「維新の肖像」安倍龍太郎著

維新、敗戦、3・11に共通の病根


日米開戦が間近に迫った1941年(昭和16年)イェール大学教授だった貫一は、ルーズベルト大統領に昭和天皇あての親書を書いてもらい、何とか戦争突入をさけようとした。
ところが親書が天皇のもとに届いたのは、真珠湾攻撃の艦隊が出港した後だった。
1932年の上海事変や日本の軍国主義に直面した朝河貫一が、明治維新の本質を問い直すために父正澄の小説を書くという構成にした。
貫一は長い間維新を肯定的に評価していたが、今の日本の暴走の原因は維新にあると考えなければ説明がつかない。
長年比較法制史の研究にたずさわってきた貫一はそう考え、これまで維新の反動勢力として否定してきた父と、先入観を捨てて向き合うことにしたのである。
貫一の父正澄は二本松藩士として戊辰戦争を戦ってきた。
正澄はこの戦争をかろうじて生き延び、立子山小学校の校長となって故郷の復興と後進の育成にあたった。
日露戦争後の日本の方針を批判した朝河貫一は「日本の禍機」を著した。
この中で貫一は、このまま植民地拡大政策を取るなら、やがてアメリカとの戦争になるだろうと警告している。
日米開戦の32年も前のことだ。
明治維新と1945年(昭和20年)の敗戦、3・11は太い棒のような病根によって貫かれている。
その本質をあぶり出さない限り、現代日本の本当の姿は見えてこない。
そう考えるようになり、正澄と貫一の小説を書くことでその問題に取り組むことにした。
作家・安倍龍太郎さん