医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

明治維新と1945年(昭和20年)の敗戦

2015-06-05 00:01:08 | 受けとめる力
信じる道を生きた朝河正澄・貫一父子

小説「維新の肖像」安倍龍太郎著

維新、敗戦、3・11に共通の病根


日米開戦が間近に迫った1941年(昭和16年)イェール大学教授だった貫一は、ルーズベルト大統領に昭和天皇あての親書を書いてもらい、何とか戦争突入をさけようとした。
ところが親書が天皇のもとに届いたのは、真珠湾攻撃の艦隊が出港した後だった。
1932年の上海事変や日本の軍国主義に直面した朝河貫一が、明治維新の本質を問い直すために父正澄の小説を書くという構成にした。
貫一は長い間維新を肯定的に評価していたが、今の日本の暴走の原因は維新にあると考えなければ説明がつかない。
長年比較法制史の研究にたずさわってきた貫一はそう考え、これまで維新の反動勢力として否定してきた父と、先入観を捨てて向き合うことにしたのである。
貫一の父正澄は二本松藩士として戊辰戦争を戦ってきた。
正澄はこの戦争をかろうじて生き延び、立子山小学校の校長となって故郷の復興と後進の育成にあたった。
日露戦争後の日本の方針を批判した朝河貫一は「日本の禍機」を著した。
この中で貫一は、このまま植民地拡大政策を取るなら、やがてアメリカとの戦争になるだろうと警告している。
日米開戦の32年も前のことだ。
明治維新と1945年(昭和20年)の敗戦、3・11は太い棒のような病根によって貫かれている。
その本質をあぶり出さない限り、現代日本の本当の姿は見えてこない。
そう考えるようになり、正澄と貫一の小説を書くことでその問題に取り組むことにした。
作家・安倍龍太郎さん




















コメントを投稿