おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

小田原ちょうちん最中

2008-05-15 17:12:57 | 小田原-食
昨日 小田原商工会議所 を覗いたら、

一階に「小田原の名産品」の陳列棚があって__そこで発見したのです。

↑小田原ちょうちん最中、を!
 まあ、どちらのお菓子屋さんに?と思ったら
 山口菓子舗、ですって。

山口菓子舗にこんなお菓子があったんだー。
知りませんでした。


みずほ銀行隣の山口菓子舗は 見るからに「洋菓子店」って感じの可愛いお店です。で てっきり洋菓子しか置いてないと 思い込んでいました・・・和菓子も売ってたんですねー。
という訳で 早速買ってみました。(一番小さい箱で6個入りでしたが、バラ売りもありました。お遣物にする前に味見したい者には バラって嬉しいですよね^^)

皮が香ばしい。いい香りです。
ぱく。
餡は雑味のない素直な餡。美味しい。


見るからに「小田原!」な小田原土産。
ちょっと覚えておきましょう、と思います^^
(餡は 小倉・栗・柚子 の三種類。 今食べたのは小倉だから次はー とこうして又・・・ / ちょっと走ってきます!)

今日の菖蒲

2008-05-15 12:28:59 | 小田原-自然
やっと春に戻った今日の小田原。(昨日までは冬でした?)
久しぶりに お城まで歩いてみました。
菖蒲はどの位 咲いたかな?

あ、 ちらり ほらり と・・・。

でも 見頃はまだ先のようね。

と帰りかけたら、歴史見聞館の東側に 紫の花が見えました。
 

近寄ったらー
まーやっぱり菖蒲です。
(よくわからないけど、菖蒲園の方の株が痛んだ時に植え替える「予備軍」でしょうか?)
沢山咲いてます。(ここの方が風も当たらず 暖かい、のかな?)


花菖蒲まつりは6月からですが、ちょっと本番前のリハを覗かせて頂いたような 不思議に得した気持ちになりました~♪

さわやか梅ちゃん

2008-05-14 19:33:03 | 小田原-食

「神奈川産梅使用」と書いてあり、 この頃ちょっと「郷土愛」に目覚めている私としては「それは 頂いてみねば」と買って参りました。
お店の人に「よく冷やしてお上がり下さいね」と言われ、うっかり冷凍庫へ。
しばらくたって 「あ、爆発したら大変」(息子が冷凍庫でコーラを爆発させた時はもー 大変でした・・・)と取り出しましたが、 ちょっと遅かった。。。

あー、大分凍ってしまったみたい。

でも 蓋を開けると しゅわわ と泡を吹き始めました。
あわてて飲む。
あら! おいしい!
これまでに飲んだ どの炭酸割り梅酒よりも 美味しいじゃありませんか!
え? もう おしまい? そんなー

と缶の中を覗くと 氷がー・・・
はい、そうなんです、 凍って濃くなった炭酸割り梅酒を飲んでしまったんですねー。/ ちょっと間違った飲み方をしてしまったようです。。。
でも とにかく、おいしかったよ! なのでした^^


さわやか梅ちゃん については ↓こちら、小田原酒販協同組合さんの「商品紹介のページ」をご覧下さい__
http://homepage2.nifty.com/odawarasake/syouhinn-syoukai.html

中華料理店「いろは」

2008-05-14 13:50:58 | 小田原-食
ある方の書き込みで カタヤキソバ が食べたくなり、数日前 家族で行ってきました。
みんなで 適当に好きな物を注文~

↑大分つついちゃってから撮った写真・・・^^; どれも美味しかったのだけど、もっちりした皮の水餃子は 特においしうございました。

↑私は_カタヤキソバ がメニューになかったので「五目やきそば」を頼みました。/ うわ~具沢山。ボリュームたっぷりで美味しかったー。
で、、、 ごちそうさま~ と店を出る時 お勘定場近くのお客さんが「やきそば、やわらかい麺で」って注文してたんです。
んー? もしかして「かたい麺で」って注文する事もできたのかしら~?
次回 聞いてみようかしら~?

いろは は大きなお店で、地元では親戚やグループの集まりなどによく使われているみたいですね。因みに 伺ったこの日(土曜のお昼)は駐車場はほぼ満杯_店内もお客さんぎっしり、でしたよー。(予約して行った方がいいお店、かもー?)

ケンペルとバーニーの碑

2008-05-13 13:58:51 | 箱根
箱根の旧街道の道脇に建てられていた碑__
 


ドイツ人ケンペルはシーボルトより140年も早く(1690年/元禄三年に)日本に来て 鎖国時代の日本を欧州に紹介した人、だそうです。箱根にはオランダ通商使節の一員として1691年(元禄四年)とその翌年来てるんですね。 欧州では絶滅したと思われていた裸子植物(イチョウなど)が 日本で どっこい生きている! 事を伝えたのも彼。彼の書いた『日本史』は1727年に英訳 後に仏訳(当時の国際語)されて 広く読まれたそうです。
一方のバーニーは 大正年間にこの地に別荘を持った英国人。ケンペルの日本史の序文を引用し、自然を大切にしましょう という英文の碑を立てたそうです。
____ という碑文でした。(という事は オリジナルの碑はなくなってしまったのでしょうね・・・)

碑文の英文部分載せますね 興味のある方はどうぞー

The following is ritten in the Introduction to KAEMPFER'S HISTORY OF JAPAN
Published  27th April 1727 (12th Year of KYOHO in the Reigh(n) of EMPEROR NAKAMIKADO)
It gives an account of a Mighty & Powerful Empire   
It describes  a Valiant & Invincible Nation.
An Industrious & Virtuous People; Possessed of a Country on which Nature has lavished Her Most Valuable Treasures.
You who now stand at the point where the old & New Ways meet, so act that this GLORIOUS FATHERLAND be transmitted to Posteritv(y) ever more Beautiful, ever more Meritorious! 

ナイショバナシ: 英文には綴りミスが二箇所程あって「外国からのお客さんも見るのになー」と思った。(ま、外国には「ちょっと間違ってる~」な日本語の看板が多いそうだから アイコかな。)

よく読むと、ケンペルの『日本史』を引用した といいながら ほとんどはバーニーの くすぐったい程の「日本は素晴らしいなあ」という賞賛の文章です^^ (そして「これからも美しくあってね」という応援、ね?)
きっと箱根町の人達も「ありがとう」という思いを込めてこの碑を立てたのでしょう。
(個人的には バーニーが享保を説明するのに、「吉宗の時代」とせず「中御門天皇の御代」と書いたり、ケンペルが見た当時(つまり江戸時代)の日本を「帝国」と書いたりしている部分も面白かった)

余談:wikipediaのケンペルの頁、興味深い記事が一杯でした。
ケンペルについて興味を持たれた方は是非お訪ね下さい。


『5/1 箱根旧街道を歩く』の中で打っていましたが、あまりに長くなったので 別項にしました。話がアチコチして ごめんなさいね。 でも「自分の記憶のあり処」としてちょっと残してておきたくて__^^;

ロープウェーで大涌谷へ

2008-05-11 17:29:30 | 箱根
遊覧船の発着所「湖尻」からロープウェーの発着所「桃源台」は、歩いて五分足らず__

あー何年ぶりだろう、箱根でロープウェーに乗るのは・・・

はっ 息子が生まれる前の週に乗って以来よ!
(そうそ 前回はぽんぽこのお腹で来たのでした。21年ぶりだあ)

 
ゴンドラは一度ちゃんと止めてくれるのに 
乗りっぱぐれるような気がしてどきどきする私・・・

三組乗り込んだところで出発。(ゆったり~)

お天気が良ければ ここから富士山もバッチリなのになあー
ちょっと残念でした。


あっさり着いた大涌谷。

 (↑このピークは覚えておくとランドマークに使えますよね。ガラスの森からも「あ、あそこが大涌谷ね?」ってわかった^^)

名物「黒卵 6個入り 500円」を買いました。

一つ食べると 7年寿命が延びるそうな~

当たり前ですが 中は普通のゆで卵。
(ちょっとむきにくかったけど これって新鮮な卵が使われている ってことですよね?)

ここのご当地キティちゃんも黒卵。

と のんびりモードだったのに、ややっ 入山は5時まで???
(ゲートまできて知った! 卵の写真なんか家で撮りゃよかったよー)

あとホンの数分です。
走れ!亭主! (私はあとからあえぎあえぎ上った・・・)
以下は亭主(だけ)が観た景色ですー^^;
 
 
 
 
 
 
 
 ↑玉子茶屋から 大涌谷駅の方を見たところ
  はるか向こう_左の方_に薄霞むピークは金時山(のはず)
私は「玉子茶屋」(っていうんだって?「山小屋」って打ってたのを訂正しました)まで あともうちょっとだったのに 非情にもお帰りの鐘が鳴ってしまいましたー。
(ま いいか 二人とも見られないよりは)

帰りは小田原駅行きの路線バスで戻りました。

そして 「黒卵」の残りは_夕食のカレーのトッピングになりましたとさ。
(私と亭主は 大涌谷で一つずつ食べた上に又食べたので 14年も長生きすることになっちゃったー?)

芦ノ湖を渡る

2008-05-11 17:20:07 | 箱根
『腸詰屋』で遅いお昼を頂いた私達は お店からすぐの船着場から 遊覧船 に乗りました。

(海賊船の乗り場も ちょっと先にあるのですが、遊覧船の方が出航時刻が早かったのです。それに海賊船は「フリーパス」を買った時に、と考えて。)
 

遊覧船は「双胴船」。安定がよいのが売り、です。

定刻通りに出航。

乗り場の向こうに二子山が見えました。

箱根神社の湖上の鳥居。

美しいなあー


程なく見えてくる 小田急「山のホテル」

ツツジは丁度見頃かな~(山の下よりちょっと季節は遅めと聞きます)

こちらはプリンスホテルの「龍宮殿」

いつか泊まってみたい宿ですー(ぽ~)


箱根園_遊覧船はここにも停まります。
いつかロープウェーであの駒ケ岳山頂に行き、富士山を見たいなー。


船の屋上は__ 少し前まで修学旅行の小学生が木刀を自慢し合ったりしてたのですが、風が冷たいので皆船室に入っちゃったの。という訳で今は私と亭主の貸切。あー寒いー
(この日は午後から雲が出て・・・ 時々ポツリと雨が当たったりしました。
富士山も ぼ~んやりカスンでいました。)

あらー?
向こうから海賊船がどんどん近づいてきます。
すれ違って~ みるみる遠ざかるー・・・
あらあらー?
後からも海賊船がー ・・・
 

抜かれてしまったー。
__でもね こんな写真が撮れるのは 遊覧船に乗ったからよ^^
(マケオシミ?)

程なく湖尻に到着。

次は 桃源台からロープウェーに乗りましょう~♪

箱根旧街道を歩く 4 (~芦ノ湖)

2008-05-11 13:49:38 | 箱根
それにしても・・・いつまで登りが続くのー?
←白水坂

向こうから(下り坂を)駆け下りてきた子供が「あーっ人がいたーっ」(←今まで出会わなかったのね^^;)と言って引き返していきました。。。(つまり 畑宿側から芦ノ湖を目指す人は少数派、なのでしょうー)
 
← へ~
 
すれ違った年配のご夫婦に「あとどれ位で下り坂になります?」と尋ねると、
「んんー そうねええー・・・」と来し方を振り仰いでしばらく考えてから、
「もうちょっとですよ」と慰めて下さる。。。(つまり まだまだ ってこと?)

 
ちょっと「展望広場」ってとこで休んでいこう_

展望広場(旧街道を100mほどそれた処)からは 二子山が見えました。
 上二子
 下二子
_近過ぎて一枚の写真に納まらない「二子山」達。
 (ここから見ると「二子」というより「四子」に見えます・・・)

旧街道に戻る。
しかし二子山より芦ノ湖側に来て なお上り坂、なのだ。

(ゆるいとはいえ・・・)

亭主が「おーい そこ立って~」というのでよくわからないままポーズ(?)をとる。

・・・ 亭主はここを峠だと思ったのだ。が、
上り坂はまだ続きました・・・。

あー どうやらここが峠のよう。
後で(写真を整理する時の)目安になるように とポーズ。


やれやれ やっと下り坂、です。
(芦ノ湖側から上ってくる修学旅行生達が「まだー?」なぞと弱音を吐いているのがおかしかった^^;)


 ↑休憩広場へー
心にヨユウがあるので「見てみるか」と上がってみる♪
 

↑休憩広場から見た二子山。
 (なんとか 二子山達 に見えますかね?)

再び旧街道に戻ります。
 

おや、あそこで道が途切れている・・・

↑ ここは 鎌倉時代の東海道(湯坂道)と 江戸時代の東海道の交差地点、だそうです。へ~っ (鎌倉古道もいつか歩いてみたいなあー)

更に進むとー
 
 

杉並木に出ました。

ケンペルとバーニーの碑。

(これについては 又あとで・・・)

芦ノ湖はもうすぐそこ。


へーい到着~♪

いや、厳密にはまだ芦ノ湖に着いてないけれど、
ランチランチ。(2時半!もうおなかペコペコ!)
 腸詰屋
 私はソーセージセット。亭主はハムステーキを注文。(そして又ビール・・・)
         ここで「旧街道を歩く」は一旦おしまい、です。
         (この後は 遊覧船で「元箱根」から「湖尻」を目指します)

箱根旧街道を歩く 3 (~甘酒茶屋)

2008-05-11 12:11:42 | 箱根
旧街道に戻りましょう__


それにしても いつまでも上り坂が続きます。

亭主も「おかしいなあー」なぞと言い始める始末・・・。
←甘酒橋
いつになったら下り坂になるのお?

「多分 甘酒茶屋 とやらがあるのが峠なんやろう」
 
この言葉を信じてひたすら上る 上る 上る・・・
←猿滑坂 
 
←追込坂

やっと到着!甘酒茶屋さん!
 (白状すると 旧街道はこの茶屋の裏を回っているので 私達危うくここを素通りするところでしたー)

が、 あらーっ 建て替え工事中です。

でも ああよかった 隣の仮店舗で営業してました。
 名物甘酒を頂く__。

はー ちょっと生き返る。
 (亭主はタバコを一服)

資料館(70円)も見学。


ここからは楽な下り・・・かと思ったら、甘かった。

まだまだ登り坂が続きます___。 つづく

箱根旧街道を歩く 2 (七曲~見晴茶屋)

2008-05-11 10:24:18 | 箱根

車で通ると ここらは「七曲」と呼ばれる ヘアピンカープの連続で 昔はローリング族御用達 の場所、だったそうです。一時は二輪の走行が激しく制限されていた、とも聞きます。
今は__落ち着いているようですね。旧街道はしばしば車道の横を通るのですが、マナーの悪いバイクなぞついぞ見ませんでした。

 
 樫の木坂バス亭
 樫の木坂
(↑「樫の木坂」は 街道きっての急坂として知られていたそうです。今は階段~)

この辺りの旧街道は車道のようにうねることなく、ひたすら急な坂(今は階段になっている場所もあります)が続きます。
でも、ここを歩く__のはともかく、籠はどうしたのでしょうね?
横にカニ歩きをするには道幅が狭過ぎるような・・・。
でもそのままでは 中のお姫様が「罰ゲーム」の様にトンデモナイ角度に絶えねばなりません・・・。(知りたいなあ~)

おや?

「山菜そば 見晴茶屋」だってさ。
ちょっと寄って軽くお蕎麦を頂きましょう。
勝手なもので、こうなると急な階段もさっさと上れます^^;
 おほほ

階段を上った先は、車道横の駐車場つきのお蕎麦屋さんでした。

(車で簡単に来られるお店へ ふーふー言いながら行くというのは なぜか妙に恥ずかしく思えてきました。必死で息を整える・・・)

__とそんなことはともかく・・・
ぽん と開けたこの場所は「馬子唄にも歌われた樫の木平(かしのきだいら)」だそうです。
山と山の間に小田原の 酒匂川が海にそそぐ辺りがチラと見えました。

(って 写真には写ってないー なぜー?)

お店の中は ちょっと「民芸~」で懐かしい感じ。
 
 

頂いたのは とろろのザル。とこんにゃくの味噌田楽。
(この後、こんにゃくの田楽は我が家でちょっと流行った・・・。/左の柚子風味の大根のお漬物もとても美味しかったですー)
山歩きの途中だから 軽目にしておこうね、というのに
亭主は調子にのって おかわりのザルを一枚追加。
ビールも飲んだ・・・

  思いもかけずすっかりここでくつろいでしまいましたー

            ___ つ づ く

箱根旧街道を歩く (本陣跡~畑宿)

2008-05-10 22:46:18 | 箱根
すみません、ちょっともどって__
5/1に箱根旧街道を歩いてきた話、を これから何回かに分けてUPしていきますね。


亭主が「GWは箱根の旧街道を歩いてみよう」と言う。
んー 歩いてみたいけど 箱根と言えば 天下の険。
山歩き初心者の私には厳しいのでは?
と思ったのですが「大丈夫。畑宿(はたじゅく)からスタートすれば 登りはほんのちょっとで あとはだーっと楽な下り坂だから」(←あとでこれがガセとわかる・・・)と言われ、
んー それじゃあー
と__ついて行ってみました。

「箱根湯本」から「元箱根」行きのバスに乗り、「畑宿」の一つ手前、箱根の中腹「本陣跡」で下車。(「畑宿」と「本陣跡」は 歩いてほんのちょっとの距離なので どうせだから と「本陣跡」からトレッキングをスタートする事にしたのです。)

本陣 というからにはきっとここに立派なー__

と思ったのですが、 旧本陣 茗荷屋・畑右衛門の屋敷は 大正元年の火災で焼失し、今は庭の跡地と それがどんなに立派だったか(あのハリスも目を見張った、そう) を語る看板があるのみ、でした。((なんでも 山から水を引いて瀧をおとし、池には沢山の鯉を泳がしていた、のですって))

「本陣跡」から「畑宿」までの道脇には 寄木細工の工房が幾軒もありました。
 

 

お店を覗きながら歩くうちに あっさり「畑宿」に到着。。。

いよいよ「旧街道 石畳を歩く旅」がスタート。


ここには、江戸から23里目であることを示す「一里塚」があります。

文字通りの「塚」です。

教科書で習ってはいたけれど 見るのは初めて。
道の両脇に一基ずつ「対」で築かれています。
思っていたよりずっと大きな物だ。
(直径9m!)


雨が降れば ヒザまで泥に埋まる、という箱根越えの道__。物流のためにも重要な道ゆえ、最初は竹を敷いていたそうですが (竹を敷く話は16世紀・北条時代の文章にもあるのですって)、この費用がバカにならない。というので石畳が敷かれたのは1680年の事、らしい。(文章として残っているのは 箱根から三島宿への石畳についてのみ。箱根から小田原への石畳がいつ敷かれたか、は不明だそうです)
 


赤穂浪士も新撰組も ここを通ったんだなあー・・・。


          ___   つ づ く

おしつけ!!!(アブラボウズ とも)

2008-05-09 19:32:29 | 小田原-食
←ダイヤ商店街の「魚国」さん
やーやー 今までおすし屋さんや 魚屋さんの「今日のオススメ欄」で「名前」は読んだ事ありましたが、顔を見たのは初めてだ!

↑ジャジャーン!
「私は おしつけです」
すごいインパクト!
(一度見たら忘れられないね?)

店内では他に「マンボウ+肝」なんて珍しい物も(済みません、地元の皆さんには普通、でしょうか?)売られていました。

まだまだ 相模湾初心者のnumabeです。

おしつけも マンボウも まだ食べた事がありません。。。
(おだわらっ子への道はまだはるか・・・)

(そうそう、ここ小田原では スーパーでイルカの切り身がごく普通に売られています・・・。/イルカもまだ食べた事 ありませーん)

ちょっとだけ・・・青物町商店街

2008-05-09 00:02:15 | 小田原-街歩き
今日はちょっと通っただけなので そんなに写真は撮れていないのですが、、、
とりあえず__の画像をつけますね。

↓国道一号線側の「青物町商店街」入り口。

↓一号線にかかる陸橋の上からの眺め(東を向いたところ)_

↓反対側(西)を眺めると 正面に市民会館。
 バックにはうっすら箱根の二子山が見えます。


商店街に入って間もなく見えてくる「三政屋」さんは
今も昔も「学生さん御用達」のお店、だそうです。

あ、あの「麺屋 昆明」のチャーシューは美味しかったです。チャーハンに入ったチャーシューが又 香ばしく炒められてて・・・(後略)

私は階段が好き。こんな螺旋階段を見ると写真撮りたくなります。
・・・と おや?奥に公民館がありますよ。(青美公民館、ですって)
更にその奥に赤い鳥居が見えます__

半田稲荷さん、だそうです。

くるりと回ると おや又別の公民館。(第十八区公民館)

人口密度の高い地区なのでしょうね?

きょろきょろしながら道を尋ねたのは このお店の前。
教えて頂いた「龍宮神社への道」は この奥、です^^

とりあえず今日はここまで。
(八百屋さん 薬局 手芸店 履物屋 食堂・・・ は 又今度探してみますねー / 誰に~???)

龍宮神社をお訪ねする

2008-05-08 22:57:51 | 小田原-街歩き
午前中の散歩で海を見て エネルギーを使い過ぎたか、 今日の義父の「午後のお散歩」は 家の周りをくるりと回る になりました。ので
「私はもう少し歩いてきますね」とダイエットを口実に(イエ、決してウソではありません)家を出た私は・・・

「龍宮神社」をお訪ねする小冒険に出る事にしました。

龍宮神社 というお宮があることは 先日のお祭の折のお神輿の提灯で知ったのです。
 

↑5/5、「御幸の浜」の交差点角の呉服屋さんに「つっかけ」をしている
 龍宮神社のお神輿。
 (一号線の向こう側は「間中病院」です)
龍宮__何やら心トキメク響き・・・。

海の近くにあるらしいので、とりあえず「青物町商店街」あたりをウロウロ・・・しましたが 龍宮神社はなかなかみつかりません。
通りがかりの方に尋ねると__
「ふーん どっちの龍宮神社?」と尋ね返されました。
えー????? 龍宮神社は二つあるんですか?
「ええ、上と下とねえ。でも この近くのならー」
・・・と教えて下さったのが この道!
 

(道、というより 堤防と他所のお家のスキマといった感じです・・・)
ちょと どきどきしましたが、教えて頂いた通りに行きましたら_
ぽかり と駐車場があり、その横に「龍宮神社保存会」という看板を掲げた集会所が。

車の向こうに鳥居もある。

近寄ってみたら、 おお こちらが!

龍宮神社さんです。
こじんまりしているけれど 金属製の扉が重厚かつ豪奢な感じ。

元々は金色だったようです。
(サイズの小さい写真ではこの感じがお届けできず残念)

でね、ここまで来てからわかったのですが__
ここは午前中に来た「第二十三区公民館」の裏、だったのです。。。

可笑しく、同時にがっくりきもしたけど、なかなかメズラな道を通って龍宮神社さんに挨拶できてよかった^^。一歩「地元民」に近づけた気持ちになりました。(道を教えて下さったあのオトーサンに感謝)

さてもう一つの龍宮神社にもお訪ねしなくちゃ。
(どこでしょうー・・・?)


■ちょっと横道__
 第二十三区公民館の向こう側(旧防波堤と西湘南バイパスの間のスペース)は 公園になっています。

  ↑あのスロープは元々は防波堤から浜辺へ下りる道だった、のかなあー・・・
 まるで知らない「アノコロ」なのに、
 なんだかちょっとノスタルジックな気分になりました。

おじいちゃん、海を目指す

2008-05-08 20:43:35 | 小田原-街歩き
義父が「海ったらどっち?」と言う。
おおー やっと海を見てみようという気持ちになられたかー。
体調もよいようです。
気が変わらぬうちに(?)海へ行ってみることにしました。
(おじいちゃんは まだ小田原の海を見た事がなかった!)

市民会館前を通り__

韓国料理:海雲台(へうんで)さんの前の椅子にちょっと腰かけさせてもらって小休止。

幸町のバス停前を越し更に南へ・・・
 (左にチョロリと宮小路の入り口が見えています)

とりあえず あの↓「なりわい交流館」で休ませてもらいましょう。

「街かど博物館めぐり」の折にもお訪ねしたこちら
 なりわい交流館は、無料休憩所でもあるのです。

お茶も頂けます。

前回は、二階は集会に使われていて 覗く事ができませんでしたので、今回 ちょっと上がらせてもらいました。

ほう、なかなか落ち着いたスペースです。ボール型の電灯がレトロ+モダン。

「あと どんだけえ?」と尋ねる義父。どうやらちょっと疲れたようです。でも「あと150位かな?(←どうでしょ、あってる?)」と言ったら もうちょっと頑張ってみる、と言う。
そいじゃ、と なりわい交流館の東側の道を更に南へ__

蒲鉾会館まで来たら 西湘バイパスを走る車が チョロッ チョロッ と見えるようになります。

昔の防波堤と 西湘バイパスの間に建つ 第二十三区公民館。

海はもう すぐソコ!
(西湘バイパスの下をくぐるトンネルの向こうに 波が見えています)
「海を見ながら一服つけましょう」と誘ったのですが・・・

義父「坂が急だ。止まれなくなっちゃう」と言って__
 引き返してしまいました。。。

そして なりわい交流館の裏(南側)のベンチで一服。

でもま、とりあえず ちょっとだけですが
 海を見る事ができた おじいちゃん だったのでした。

↑(再び市民会館前)
                    おしまい。