おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

ケンペルとバーニーの碑

2008-05-13 13:58:51 | 箱根
箱根の旧街道の道脇に建てられていた碑__
 


ドイツ人ケンペルはシーボルトより140年も早く(1690年/元禄三年に)日本に来て 鎖国時代の日本を欧州に紹介した人、だそうです。箱根にはオランダ通商使節の一員として1691年(元禄四年)とその翌年来てるんですね。 欧州では絶滅したと思われていた裸子植物(イチョウなど)が 日本で どっこい生きている! 事を伝えたのも彼。彼の書いた『日本史』は1727年に英訳 後に仏訳(当時の国際語)されて 広く読まれたそうです。
一方のバーニーは 大正年間にこの地に別荘を持った英国人。ケンペルの日本史の序文を引用し、自然を大切にしましょう という英文の碑を立てたそうです。
____ という碑文でした。(という事は オリジナルの碑はなくなってしまったのでしょうね・・・)

碑文の英文部分載せますね 興味のある方はどうぞー

The following is ritten in the Introduction to KAEMPFER'S HISTORY OF JAPAN
Published  27th April 1727 (12th Year of KYOHO in the Reigh(n) of EMPEROR NAKAMIKADO)
It gives an account of a Mighty & Powerful Empire   
It describes  a Valiant & Invincible Nation.
An Industrious & Virtuous People; Possessed of a Country on which Nature has lavished Her Most Valuable Treasures.
You who now stand at the point where the old & New Ways meet, so act that this GLORIOUS FATHERLAND be transmitted to Posteritv(y) ever more Beautiful, ever more Meritorious! 

ナイショバナシ: 英文には綴りミスが二箇所程あって「外国からのお客さんも見るのになー」と思った。(ま、外国には「ちょっと間違ってる~」な日本語の看板が多いそうだから アイコかな。)

よく読むと、ケンペルの『日本史』を引用した といいながら ほとんどはバーニーの くすぐったい程の「日本は素晴らしいなあ」という賞賛の文章です^^ (そして「これからも美しくあってね」という応援、ね?)
きっと箱根町の人達も「ありがとう」という思いを込めてこの碑を立てたのでしょう。
(個人的には バーニーが享保を説明するのに、「吉宗の時代」とせず「中御門天皇の御代」と書いたり、ケンペルが見た当時(つまり江戸時代)の日本を「帝国」と書いたりしている部分も面白かった)

余談:wikipediaのケンペルの頁、興味深い記事が一杯でした。
ケンペルについて興味を持たれた方は是非お訪ね下さい。


『5/1 箱根旧街道を歩く』の中で打っていましたが、あまりに長くなったので 別項にしました。話がアチコチして ごめんなさいね。 でも「自分の記憶のあり処」としてちょっと残してておきたくて__^^;