すみません、ちょっともどって__
5/1に箱根旧街道を歩いてきた話、を これから何回かに分けてUPしていきますね。
亭主が「GWは箱根の旧街道を歩いてみよう」と言う。
んー 歩いてみたいけど 箱根と言えば 天下の険。
山歩き初心者の私には厳しいのでは?
と思ったのですが「大丈夫。畑宿(はたじゅく)からスタートすれば 登りはほんのちょっとで あとはだーっと楽な下り坂だから」(←あとでこれがガセとわかる・・・)と言われ、
んー それじゃあー
と__ついて行ってみました。
「箱根湯本」から「元箱根」行きのバスに乗り、「畑宿」の一つ手前、箱根の中腹「本陣跡」で下車。(「畑宿」と「本陣跡」は 歩いてほんのちょっとの距離なので どうせだから と「本陣跡」からトレッキングをスタートする事にしたのです。)
本陣 というからにはきっとここに立派なー__
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b3/acc2cc7a1c5a572a696b011e28f5f635.jpg)
と思ったのですが、 旧本陣 茗荷屋・畑右衛門の屋敷は 大正元年の火災で焼失し、今は庭の跡地と それがどんなに立派だったか(あのハリスも目を見張った、そう) を語る看板があるのみ、でした。((なんでも 山から水を引いて瀧をおとし、池には沢山の鯉を泳がしていた、のですって))
「本陣跡」から「畑宿」までの道脇には 寄木細工の工房が幾軒もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/21/16c25269b32b2f9e356fec23085b5c48.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0b/b55c7113eb46d65e976e6066f46e5b02.jpg)
お店を覗きながら歩くうちに あっさり「畑宿」に到着。。。
いよいよ「旧街道 石畳を歩く旅」がスタート。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/14/d6d1e83f01256c768a2f6847f8b2fcc4.jpg)
ここには、江戸から23里目であることを示す「一里塚」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/bd/8936c24343e65fbabe4d28e6e752114f.jpg)
文字通りの「塚」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/fd/cc4f1f20f63ba4f3773c9292454cb151.jpg)
教科書で習ってはいたけれど 見るのは初めて。
道の両脇に一基ずつ「対」で築かれています。
思っていたよりずっと大きな物だ。
(直径9m!)
雨が降れば ヒザまで泥に埋まる、という箱根越えの道__。物流のためにも重要な道ゆえ、最初は竹を敷いていたそうですが (竹を敷く話は16世紀・北条時代の文章にもあるのですって)、この費用がバカにならない。というので石畳が敷かれたのは1680年の事、らしい。(文章として残っているのは 箱根から三島宿への石畳についてのみ。箱根から小田原への石畳がいつ敷かれたか、は不明だそうです)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a6/d6c81818cde4df73aefcbbf38ce371a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/92/35b3213c436abf574e1dde790e161a1c.jpg)
赤穂浪士も新撰組も ここを通ったんだなあー・・・。
___ つ づ く
5/1に箱根旧街道を歩いてきた話、を これから何回かに分けてUPしていきますね。
亭主が「GWは箱根の旧街道を歩いてみよう」と言う。
んー 歩いてみたいけど 箱根と言えば 天下の険。
山歩き初心者の私には厳しいのでは?
と思ったのですが「大丈夫。畑宿(はたじゅく)からスタートすれば 登りはほんのちょっとで あとはだーっと楽な下り坂だから」(←あとでこれがガセとわかる・・・)と言われ、
んー それじゃあー
と__ついて行ってみました。
「箱根湯本」から「元箱根」行きのバスに乗り、「畑宿」の一つ手前、箱根の中腹「本陣跡」で下車。(「畑宿」と「本陣跡」は 歩いてほんのちょっとの距離なので どうせだから と「本陣跡」からトレッキングをスタートする事にしたのです。)
本陣 というからにはきっとここに立派なー__
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b3/acc2cc7a1c5a572a696b011e28f5f635.jpg)
と思ったのですが、 旧本陣 茗荷屋・畑右衛門の屋敷は 大正元年の火災で焼失し、今は庭の跡地と それがどんなに立派だったか(あのハリスも目を見張った、そう) を語る看板があるのみ、でした。((なんでも 山から水を引いて瀧をおとし、池には沢山の鯉を泳がしていた、のですって))
「本陣跡」から「畑宿」までの道脇には 寄木細工の工房が幾軒もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/c2/8ec554959d04f388ead39d667cbcb6f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/21/16c25269b32b2f9e356fec23085b5c48.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/09/bb882c480e95495b394424acadd6a31a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0b/b55c7113eb46d65e976e6066f46e5b02.jpg)
お店を覗きながら歩くうちに あっさり「畑宿」に到着。。。
いよいよ「旧街道 石畳を歩く旅」がスタート。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/14/d6d1e83f01256c768a2f6847f8b2fcc4.jpg)
ここには、江戸から23里目であることを示す「一里塚」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/bd/8936c24343e65fbabe4d28e6e752114f.jpg)
文字通りの「塚」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/fd/cc4f1f20f63ba4f3773c9292454cb151.jpg)
教科書で習ってはいたけれど 見るのは初めて。
道の両脇に一基ずつ「対」で築かれています。
思っていたよりずっと大きな物だ。
(直径9m!)
雨が降れば ヒザまで泥に埋まる、という箱根越えの道__。物流のためにも重要な道ゆえ、最初は竹を敷いていたそうですが (竹を敷く話は16世紀・北条時代の文章にもあるのですって)、この費用がバカにならない。というので石畳が敷かれたのは1680年の事、らしい。(文章として残っているのは 箱根から三島宿への石畳についてのみ。箱根から小田原への石畳がいつ敷かれたか、は不明だそうです)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/48/5b59272ce2d32eb05a1d8d4ee2944372.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a6/d6c81818cde4df73aefcbbf38ce371a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/92/35b3213c436abf574e1dde790e161a1c.jpg)
赤穂浪士も新撰組も ここを通ったんだなあー・・・。
___ つ づ く