たまちゃんに教えてもらうまで 私は『斜陽』が太田静子さんの日記をベースに書かれたもの、とは知りませんでした。
太田静子さんは下曽我の大雄山荘(時代により「雄山荘」とも呼ばれたようですが、静子さんの日記に「D山荘」とあるそうなので 彼女は「大雄山荘」と呼んでいた事がわかります)に住み、ここで太宰にすすめられて日記を書き、太宰との間の娘 治子さんを産んだんですね・・・。
大雄山荘は門が屋敷の北側にありました。
門から西を眺めたところ。
正面に足柄の「矢倉岳」が見えます。
とても低い門で かなり頭を下げねばくぐれそうにありません。
(太宰さんもここで頭をぶつけたそうな・・・)
門扉は傷み 穴があいていました。
門の中も荒れていて 心が痛みました。
『斜陽』にあるように 屋敷の周りには梅と蜜柑の木が沢山ありました。
門の向かい(つまり北)
門の東
屋敷の東の辻から南を見たところ
作中にあるように 屋敷の中からは海が見えたのでしょうか・・・
屋敷については周辺に何の表示もなく、散策中の梅観客も 屋敷前を素通りしていきます。
私もネットで調べてから出かけていなかったら ここが大雄山荘とはわからなかったでしょう。
修復は難しいのかもしれませんが、せめて建物の名称を書いた札だけでも立ててもらえないものか、と思いました。
大雄山荘については『斜陽の家・雄山荘物語』という本が出ているそうですね。
図書館にあるようなので 太田静子さんの『斜陽日記』と合わせて読んでみたく思います。
太田静子さんは下曽我の大雄山荘(時代により「雄山荘」とも呼ばれたようですが、静子さんの日記に「D山荘」とあるそうなので 彼女は「大雄山荘」と呼んでいた事がわかります)に住み、ここで太宰にすすめられて日記を書き、太宰との間の娘 治子さんを産んだんですね・・・。
大雄山荘は門が屋敷の北側にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/b5/012de1b51f05258cd0bb8f65488b3446.jpg)
門から西を眺めたところ。
正面に足柄の「矢倉岳」が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/1f/2e5ebfee54ab3e2723310d0030091f0a.jpg)
とても低い門で かなり頭を下げねばくぐれそうにありません。
(太宰さんもここで頭をぶつけたそうな・・・)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c7/89d5ee6263568c79f72062698821f877.jpg)
門扉は傷み 穴があいていました。
門の中も荒れていて 心が痛みました。
『斜陽』にあるように 屋敷の周りには梅と蜜柑の木が沢山ありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/da/943aa2ee72a9032dd4cddd04b6f2e984.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/9f/8804dd04225b5bc6a494c8ac15be13ea.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/5b/c5278281b7fdd19bfe92ca9448788e71.jpg)
作中にあるように 屋敷の中からは海が見えたのでしょうか・・・
屋敷については周辺に何の表示もなく、散策中の梅観客も 屋敷前を素通りしていきます。
私もネットで調べてから出かけていなかったら ここが大雄山荘とはわからなかったでしょう。
修復は難しいのかもしれませんが、せめて建物の名称を書いた札だけでも立ててもらえないものか、と思いました。
大雄山荘については『斜陽の家・雄山荘物語』という本が出ているそうですね。
図書館にあるようなので 太田静子さんの『斜陽日記』と合わせて読んでみたく思います。