ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

青空に白いコブシ

2016-03-26 | 日記

 

寒の戻りが続いています。

天気晴朗なれど風冷たし、の中を自転車漕いで区役所へ。

来年度の協定書を取り交わし、区報の特集記事について協議。

 

終わって、年寄りの館へ。

ここも来年度の契約書の取り交わしです。

渡した後、夕方、契約書が別の教室のものでした、と電話がかかってきました。

 

どうやらわたしが封筒と中身を入れ間違えたようです。

申し訳ありません。「区の中で交換するようにします」。よろしくお願いします。

やれやれ、本格的にボケてきたかのかもしれません。

 

読みたい本があったので、駅ナカの書店へ。

家の近くの書店が2月いっぱいで閉店してしまったので、不便になりました。

あとには何ができるのでしょう?

 

本は見つからず、帰ってからネットで買うことにしましょう。

テクノへ行くのに、ふだんとは別の道を通ってゆきました。

めったに通りませんが、環七沿いの道、車の通りも少なくてなかなかいい道です。

 

御殿山公園に桜の樹があったかな?

サクラは見当たらず、モクレンとコブシの樹が一本づつ。どちらも花の盛りは過ぎていました。

あとはユキヤナギがあちこちに。

 

住宅街の中を抜けて、毎度おなじみのテクノへ。

建物前のサクラ、数輪、ほころびかけたところです。

駐輪場に入って、左手を見たら、青空をバックにコブシがいっぱい花を咲かせていました。

 

お~、素晴らしい。こんな大きなコブシの樹があったかな?

しょぼくれた御殿山とちがって、こちらはまだ満開、つかの間の眼の保養になりました。

最終金曜日とあって来場者数25名。疲れました。

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老いて厨房に入るべし

2016-03-25 | 日記

 

このところ、家にいる時は、食事作りの手伝いをやっています。

といっても料理のほうは手が出なくて、ご飯を炊く、野菜を茹でる、みそ汁を作るくらい。

最初はカミさんの指図に従うままでしたが、最近は一人でできます。

 

ご飯炊きは、コメの量と水加減さえ覚えれば簡単です。

どちらも計量カップや釜に目盛りがついているので、それを頼りにします。

つめたい水でコメをとぐのがちょっとたいへん、無洗米にしたら?

 

野菜は、ほうれんそうかブロッコリーを日替わりで茹でます。

ほうれん草はまず水洗いしてざるにあけて水切り。

沸騰したお湯に根っこのほうから入れ、茎がしなってくるまで葉っぱを抑えているのがコツ。

 

太めの茎を菜箸でつまんで、ラクに離れるようになったらOK、あげて水にしばらくさらす。

そのあと茎と葉、方向をそろえてまとめ、軽く絞って水気をとって終わり。

あとは適度にカットし、ボールに用意しただし汁の中で混ぜ混ぜして、おひたしの出来上がりです。

 

ブロッコリーは、切るのに手間がかかりますが、茹でるのは簡単です。

丸ごと茹でてから切るのはどうなんでしょう?

茹でるのに時間がかかるのでダメかな、それにかえって切りにくくなるかも。

 

みそ汁は、シジミ汁が定番。毎日、これでも飽きません。

水を入れたボールにシジミを入れ、手のひらで掴んでグリグリと殻をこすり合わせて洗います。

鍋に水を適量入れ、シジミを放り込んで、強火で沸騰させます。

 

沸騰するとアクがわ~っと浮かんでくるので、アミ杓子?を使ってアク取り。

とりおえたら、火を弱めて6~7分、煮ます。途中でアクが浮いて来たら、またアクとり。

できたら火を止めてしばらく待ち、ある程度さめてから味噌を入れます。

 

家では長らく米味噌というのを使っています。コメから作っている?

味噌の量はカン、お玉の中でよく溶かしてから入れ、汁全体に行き渡るように。

これで出来上がり。食べる直前に、もう一度熱くして、お椀によそります。

 

これらのこと、何年か前、カミさんが寝込んだ時にもやりましたが、すっかり忘れています。

久しぶりに自分でやってみて、日々の食事の支度のたいへんさが改めてよくわかりました。

カミさんに依存しっぱなしの食生活、懺悔しつつ厨房に入ろうかと思っているところです。

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コンピュータは人を幸せにしているのか

2016-03-24 | 日記

 

どのくらい前からでしょうか。

再就職などでパソコンスキルが必要、と言われて受講する人が増えてきました。

ハローワークなどでもそう言われるようです。

 

様々な仕事がありますから、必ずしもパソコンを必要としない仕事もあるとは思うのですが。

また、パソコンスキルといっても、キーボードからデータ入力ができる程度でよい。

そのくらいで済む職場もけっこうあると思います。

 

もともとコンピュータを企業で使う目的は業務の効率化。

仕事の手順を標準化してコンピュータで処理すれば、仕事が画一化、規格化されます。

そうすれば、専門の業務知識を持たなくても仕事ができるようになります。

 

ただ、業務の効率化が、仕事の喜びや幸せ感につながっているのかどうか。

もし、それができていないとすれば、単に経済合理性が進んでいるだけとも思われます。

仕事を効率化するはずが、人間のほうを効率化しているだけのような気もします。

 

ひところよく言われたマニュアル人間も、そのあたりのことを危惧して生まれた言葉なのでしょう。

多数のマニュアル人間かと少数の非マニュアル人間・・・2極分化も進んでいるような気がします。

いいかえると従属人間と主体人間・・・どちらがいいとか悪いとか区分する気はありませんが。

 

ただ、マニュアル従属人間が、仕事の達成感、充実感をどう思っているかは気になるところです。

新しい思いつきも工夫も、その結果としての喜びも幸せも数値化はできないものです。

もともとアナログな人間の感覚、感受性を磨くことに、コンピュータはどれだけ寄与できるのか。

いまも心の底に引っかかっている疑問です。

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春のひと時

2016-03-23 | 日記

 

冷たい風の中、午前は東の事務所、午後は西のウェルピアへ。

咲いているかな~・・・桜の樹があるところは、枝を見上げながら通ります。まだだな~。

でも、ウェルピアへ行く途中、1か所だけ、咲いていました。

 

宝木塚小学校の正門のところ。

見上げたら、お~、咲いている~・・・危うく門にぶつかりそうになりました。

バッグからカメラを取り出して何枚か撮影。

 

その先にある寺の境内の桜、遠目に一輪だけ咲いているのが見えました。

寺をぐるりと回るとウェルピア。その手前に四季の道の出発点があります。

あたりの桜の樹を見渡しましたが、まだ、開いている花はなさそう。

 

今週の土曜日、懇親会で花見がてら四季の道を歩く予定です。

ただ、このところの寒さで開花も足踏みしています。

あと、3日ほど、暖かくなり、わっと花開いてほしいですね~。

 

家に戻って、探し物をしていたら、花札が出てきました。

何でこんなものがあるのでしょう? 昔、花札とばくの胴元をやっていた頃の名残り?

サイコロもツボもゴザもあります・・・というのは冗談。

 

12か月それぞれに4枚の花が割り当てられていて、3月の花は「桜」です。

桜に幕(幔幕)が1枚・・・これは光という最高札の一つ。

みよしの、と書いた赤い短冊が下がった1枚、桜の花さけのカス札が2枚です。

 

札の組み合わせで得点を競うのが「こいこい」という遊び方。

五光、四光とか、赤短とか、花見で一杯とか、猪鹿蝶・・・最後は桜とは無関係。

あとどんなものがあったでしょう、すっかり忘れてしまいました、点数も。

 

短冊のみよしの、これは、み吉野、なのでしょう。

わからないのが桜に幕・・・昔は幕を巡らして花見の宴をしたのでしょうか。

幕は太い横縞で、濃い紫色とえんじ色に見えますが、あまり見かけない組み合わせ・・・。

 

夕方、窓から東を眺めたら、ほぼ満月の月が見えました。

西には沈む夕日、これで菜の花畑が見えれば舞台が整います。

菜の花や月は東に日は西に  蕪村

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惻隠の情

2016-03-22 | 日記

 

孟子と聞けば「性善説」。

性善説、性悪説、どちらが人間の自然に近いのか?

どちらかわかりませんが、少なくともわたしの判断の基礎には性善説が働いているようです。

 

幸いにして、こいつは性悪(しょうわる)だ、と心底思わされた人間はいませんでした。

なので、人間不信に陥るような体験もせずに済んできました。

もちろん、みんながみんな善男善女というわけでもありませんでしたが・・・。

 

さて、孟子いわく、人間の心には四端というものがある。

 惻隠・・・他人の不幸をいたましく思う心

 羞悪・・・恥を知り、不正や悪を憎む心

 辞譲・・・遠慮し、謙譲する心

 是非・・・良否の判断をする心

 

これらは人間が生まれながらにして誰もが持っているものだというのが孟子の四端説。

言われて自分の心の中を推し量ってみれば、なるほど、と思います。

四端の中でも、「惻隠」がもっとも基本的な心の働きだと孟子は云います。

 

小さな子が井戸に落ちそうになったら誰しも放っておけない・・・。

という話は、子どもの頃に聞かされましたが、これが「惻隠の情」「惻隠の心」。

同情とか憐みとかの感情も含まれますが、それよりももっと広くて大きな心の働きなのでしょう。

 

「可哀そうとは、惚れたということよ」というのは漱石の言葉。

相手の立場になって考え、理解し、それを一緒になって受け入れる・・・たぶん、愛情の基本形。

惻隠というと何やら難しそうですが、今の言葉でいうと「博愛の精神」がいちばん近いでしょうか。

 

この頃の社会風潮で欠けていると思うのは、この「惻隠の情」。

弱肉強食は、性善説からはもっとも遠いものです。

惻隠は仁の端でもあります。「巧言令色すくなし仁」の人が増えたということでしょうか。

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