ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

『おくりびと』鑑賞後記 ~ 医者と葬儀屋の10年戦争 ~

2008年10月31日 | 日々の出来事
 納棺師の仕事を描いた映画『おくりびと』を観終わった後に、何かの記憶が頭に浮かんだのですが、思い出すことなく日々を過ごしていました。そして、昨日、その記憶が蘇りました。

 その記憶は、私の田舎で行なわれている、ある病院と、その隣にある葬儀社の長年に渡る争いの話です。

 私の実家の近所にある某病院の敷地の周りには、横断幕が張られています。そこには、

 「病院の横に葬儀屋なんて非常識。すぐに出て行け。」

みたいな文章が書かれています(正確な文面は覚えていません)。

 この横断幕が張られたのは、私が田舎の福岡を去ってからの出来事なので、ことの始まりや経過等の詳しい話は、両親や友人から聞いただけなのですが、葬儀社が出来た時は結構な騒ぎになったようです。話を聞く限り、騒いでいるのは病院側だけのようです。

 田舎に帰る度に、この横断幕を見て嫌な気分になるで、記憶の片隅にインプットされていたのだと思います(争いは10年以上経過したはずです。横断幕もすっかり汚くなっていました)。

 『おくりびと』を観終わった後に、私も劇中の登場人物達のように、納棺師や葬儀屋等の死に係わる仕事を無意識に敬遠しているのが判りました。同じように死に係わっている僧侶や医者には尊敬の念を持っているにも関わらずです。この感覚は自分でも説明できない無意識なモノでした。
 そんな感覚を覚えたので、病院と葬儀屋の争いの事が、ふと頭に浮かんだと思います。

 おそらく、私の田舎の病院の先生達も私と同じような感覚なんでしょうね。
 「生と死は同一線上にある。死は忌み嫌うものではない。死は1つの始まりに過ぎない。」と言う悟りにも似た認識を持っていれば、隣に葬儀屋が建とうが、寺が建とうが、墓地が出来ようが関係ない話ですよね。その考え方が正しいか否かは判りませんが、気持ちの持ちよう次第だと思います。

 あくまでも考え方の違いによる争いなので、この争いが終わるかどうかは判りません。
 できることならば、あの病院の先生にも『おくりびと』を観てもらって、どう思ったかを聞いてみたいですね。

 以上のようなことも考えさせられた映画『おくりびと』でした。
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