のんののサカサカ日記

ドラゴンズが大好きで
  毎日サカサカ(忙しなく)してます
  

お寺カフェ

2015-03-29 09:40:43 | Weblog
前から行ってみたいと思っていた「お寺カフェ」に行ってきた

本物のお寺さんがやっているカフェで、座禅体験なども体験できる

想像以上の人で、駐車場の入り口には誘導する人も・・・(ちょっと分かり難いのもあるが)

抹茶かエスプレッソコーヒー&選べるスイーツで300円。

ちょっとした記念品(昨日は「アニマル付箋」だった)と次回使える50円の割引券までついている

子どもには駄菓子(失礼)が用意してあり、自由に好きなだけ食べられるみたいで、

隣の席の兄弟はビックリするほど食べていた

次も行ってみたい所が加わった

   ≪抹茶 & ロールケーキ≫
   

   ≪ アニマル付箋 ≫
   




     ≪ 3月28日 ≫

 シルクロードの日
   ・1900年(明治33年)のこの日、スウェーデンの探検家・地質学者のスウェン・ヘディンに
    よって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭(クロライナ)が発見された。
   ・楼蘭は、今から2000年前、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロブ・ノール湖のほとりに
    あったシルクロードのオアシス都市。

 スリーマイル島の日
   ・1979年(昭和54年)のこの日、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で
    炉心溶融事故が発生した。
    世界初の原発事故だった。

 三つ葉の日
   ・「み(3)つ(2)ば(8)」の語呂合わせ。

 三ツ矢サイダーの日
   ・アサヒ飲料が制定。
   ・「み(3)つ(2)や(8)」の語呂合わせ。

 名張毒ぶどう酒事件発生
   ・名張毒ぶどう酒事件とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で起きた
    毒物混入事件。
    5人が死亡し、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。
   ・容疑者の奥西勝は死刑判決が確定しているが、逮捕後の取り調べ中から犯行を否認している。

 チベット農奴隷解放記念日(チベット自治区)
   ・1959年のこの日、中華人民共和国がチベット政府の廃止を宣言した。

 教師の日(チェコ、スロバキア)
   ・チェコ生まれの教育者・コメニウスの1952年の誕生日。

 京都裏千家利休忌
   
 宗因忌
   ・江戸前期の連歌師・俳人の西山宗因(にしやまそういん)の、1682年(天和2年)の忌日。
   ・井原西鶴の師として知られ、俳壇の中心的存在として活躍した。

 鑑三忌
   ・明治、大正時代のキリスト教指導者で評論家の内村鑑三(うちむらかんぞう)の、1930年
    (昭和5年)の忌日。
   ・1891年(明治24年)に信仰上の立場から教育勅語に対する敬礼を拒否して、第一高等中学校講師の
    職を追われて以来著述に専念した。
    雑誌『聖書之研究』を創刊し、聖書に基づく無教会主義を唱えた。
   ・英文による『余は如何にして基督信徒となりし乎(How I become a Christian)』は、数ヶ国語に翻訳された。
   ・札幌農学校でクラーク博士に学び、洗礼を受けたのが、キリスト教徒の出会い。
    教育制度や儀礼をなくし、聖書と信仰そのものに基盤を置くという主義は、真のキリスト教の福音を
    世に知らしめた」
    「予が宗教を信ずるは、天国または極楽に行かんがためにあらず。予がこれをなすは、人らしき人
    たらんがためなり」

 邂逅忌
   ・小説家・椎名麟三(しいなりんぞう)の、1973年(昭和48年)の忌日。
   ・長編作品『邂逅』から邂逅忌と呼ばれる。
   ・椎名麟三を偲ぶ会主催の追悼会が行われる。


     ≪ 3月29日 ≫

 マリモ記念日
   ・1952年(昭和27年)のこの日、北海道阿寒湖のマリもが国の特別天然記念物に指定された。
   ・阿寒湖のマリモは、1897年(明治30年)に当時の札幌農学校(現在の北海道大学)本科生だった
    川上龍彌農学博士によって発見された。
   ・同時に、富山湾のホタルイカ群遊海面、鹿児島県出水市のナベヅル、高知のオナガドリ等も国の
    特別天然記念物に指定された。

 八百屋お七の日
   ・1683年(天和3年)のこの日、18歳の八百屋の娘・お七が、3日間の市中引回しの上、
    火あぶりの極刑に処せられた。
   ・前年12月28日、江戸駒込の大円寺から出火し、東は浅草、南は日本橋にいたるまで焼き尽くし、
    焼死者3500名を出す大火災が起こった。
    その際、家を焼け出されたお七は駒込の正仙寺(一説に円乗寺)に避難。そこで出会った寺小姓・
    生田庄之介のこのが忘れられず、「火事になればまた会える」と考えて3月2日の夜に放火、火は
    すぐに消しとめられたが、お七は御用となった。
   ・当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。
    そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問うが、その意味がわからなかった
    お七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。
   ・お七が丙午(ひのえうま)の年の生まれであったことから、丙年生まれの女子が疎まれるようになった。

 作業服の日
   ・作業服などを販売する川口市の「まいど屋」が制定。
   ・「差(3)ぎょうふ(2)く(9)」の語呂合わせ。

 青年節(台湾)
   ・1954年から実施。
   ・1911年旧暦3月29日(新暦4月27日)、清の広州で反清武装蜂起「黄花崗起義」が起こった。

 立原道造忌
   ・詩人・立原道造(たちはらみちぞう)の、1939年(昭和14年)の忌日。