昨日 出かけようとしてガレージに行ったら、入り口すれすれに大きなダンプ
が停まっている
。
運転手は乗っていない
しかも直ぐ北の交差点が工事で、片側交互通行となっているため、車の渋滞が・・・
仕方なく行きたい方(右折)とは逆(左折)に車を出したが、それでもダンプに隠れて
車は全く見えず危ない
用事を済ませ帰ってきたが、ダンプはまだ同じ場所に停車
近くに消火栓
があるので、我が家のガレージすれすれに停めたと思うが、
そもそもこの道は「駐車禁止
」
ハザードを点灯し
暫く待っていたが、とてもガレージに入れることは出来ない
北側に停めておこうかと思い回ったら、そこには既に先客(
)が
・・・
仕方なく道路挟んだ反対側にある、借りている駐車場に駐車したが、荷物を持って渋滞の
道路を渡るのは大変だわ
警察に電話
・・・とも思ったが、今のご時世、変に怨まれても怖いので、
小心者(
)の私が我慢だわ
≪ 1月24日 ≫
法律扶助の日
・法律扶助制度を行っている法律扶助協会が、1993年(平成5年)に制定。
・1952年(昭和27年)のこの日、日本弁護士連合会が法律扶助協会を設立した。
・法律扶助とは、資力がないために、法律による保護を受けられない人に対する社会的扶助の
ことである。
・この日を中心に、全国の指定された弁護士事務所で、無料法律相談が実施される。
郵便制度施行記念日
・1871年(明治4年)のこの日、「郵便規制」が制定された。
同年3月1日から、東京・京都・大阪間で郵便業務が開始された。
・それまでは飛脚便に頼っていたが、前島密の建議により郵便制度が定められ、
まず東京・京都・大阪間で営業が開始された。
ゴールドラッシュデー
・1848年のこの日、アメリカ・カリフォルニアの製材所で働くジェームズ・マーシャルが、
川底に金の粒を発見した。
・この噂は全米に広まり、多数のアメリカ人がカリフォルニアに押しかける「ゴールドラッシュ」
となった。
・一攫千金を求めて集まった人たちは「フォーティーナイナーズ」(`49ers)と呼ばれた。
ボーイスカウト創立記念日
・1908年のこの日、イギリスでボーイスカウトが結成された。
イギリスの英雄・チャーチル元首相逝去
・1965年(昭和40年)のこの日、ウインストン・チャーチル英国元首相が
「もうあきあきした」という臨終の言葉を残し、90歳で他界した。
・ナチスドイツの猛攻に「私の提供しうるものは、ただ、地の苦しみと涙と汗のほかは何もない」
と戦い抜くことを国民に訴え、一国の危機を救った。
・戦後は、東欧の共産化を「鉄のカーテン」と比喩し、『第2次世界大戦回顧録』で
ノーベル文学賞を受賞。
初地蔵
・1年で最初の地蔵の縁日。
初愛宕
・1年で最初の愛宕の縁日。
≪ 1月25日 ≫
日本最低気温の日
・1902年(明治35年)のこの日、北海道旭川市で、日本の最低気温の
公式記録・-41.0℃を記録した。
・1978年(昭和53年)2月17日に幌加内町母子里の北大演習林で、これより
0.2℃低い-41.2℃を記録したが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、
旭川の記録が公式の日本最低気温となっている。
中華まんの日
・日本最低気温の日に因み、寒い日には中華まんを食べて暖まってもらおうと制定。
・中華まんの起源は、中国の三国時代(220年頃)、名将・諸葛孔明が作らせたことで
知られている。
・南方の蛮族を征伐するため川を渡ろうとした孔明だが、皮が氾濫して渡れない。
当時は川を静めるために、人頭を水神にささげ事になっていたが、部下を犠牲に
できなかった孔明は、小麦粉を水で練って皮を作り、羊と豚の肉を包んで人頭に似せた
饅頭を作った。
・これを氾濫する川に投げたところ、見事に風雨が静まり、戦いに勝つことが出来たそうだ。
・この饅頭が、いまの中華まんの始まりとされている。
ホットケーキの日
・日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと制定。
主婦休みの日
・生活情報誌『リビング新聞』が、2009年(平成21年)に制定。
・日ごろ家事を主に担当している主婦がリフレッシュをする日。
読者のアンケートにより、1月25日・5月25日・9月25日を「主婦休みの日」とした。
左遷の日
・901年(延喜元年)のこの日、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に
左遷された。
・彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の
政治を私物化している」と、醍醐天皇に何度も讒言した。
これより、天皇も道真のことを逆臣と思い込むようになり、901年1月20日に菅原道真を
太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷、筑紫国に流罪とすることとした。
・長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅の花が咲いているのを見て「東風(こち)吹かば
匂ひ送来(おこ)せよ梅の花 主(あるじ)無しとて春を忘るな」と詠み、この日都を旅立った。
・その梅は菅原邸から大宰府の庭まで飛んで行って、そこに根付いたという「大宰府の飛梅
(とびうめ)」の伝説がある。
・道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903年(延喜3年)2月25日に亡くなった。
・以後、京都で天変地異が相次ぎ、道真の崇りと恐れられたため「天満大自在天神」として
道真を祀ることになった。
・現在道真を祀った天満宮は全国で約1万2000社。文章・学問に秀でた道真公にあやかって、
この時期、各地の天神様は合格祈願をする受験生で賑わう。
・天神様といえば鶯のお守りが有名だが、これは天満宮建立の際、建材を虫が食い荒らして
困っていたところ、どこからともなく鶯が飛んで来て工事を助けたという故事から。
お詫びの日
・1077年のこの日、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世に
「お詫び」をする「カノッサの屈辱」の事件があった。
・ハインリヒ4世はイタリアの支配を目指し、ミラノ大司教等を次々と任命した。
グレゴリウス7世がこれらの教皇を無視した皇帝の行為を、激しく避難したのに対し
ハインリヒは激怒し、直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を決定した。
これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言した。
・破門の知らせを受けた諸侯たちは、次々とハインリヒに反旗を翻した。そこでハインリヒは
教皇から破門を解いてもらうために、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城
を訪れた。しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを
要求した。
ハインリヒは1月25日から3日間、雪の中、裸足に粗末な修道衣だけの姿で城の前に
立ち続け、ようやく教皇の赦免を受けることができた。
・しかし、赦免を受けた皇帝は巻き返しを謀り、教皇との対立は再び激化していった。
この争いは以降約半世紀も続いた。
初天神
・毎月25日は天神の縁日で、1年で最初の縁日は「初天神」と呼ばれる。
バーンズ生誕日
・スコットランドの詩人、ロバート・バーンズの、1759年の誕生日。
・スコットランド地方ではこの日、生誕を祝って作品を朗読し、肉料理を食べる。
法然忌
・浄土宗の開祖・法然(ほうねん)の、1212年(建暦2年)の忌日。