のんののサカサカ日記

ドラゴンズが大好きで
  毎日サカサカ(忙しなく)してます
  

阪神が先手!

2014-10-26 09:50:18 | Weblog
 昨日行われた日本シリーズ、 トラ  タカ の第1戦は、トラ(阪神)が先勝

クライマックス・ファーストステージは広島に「1勝1分」。

ファイナルステージ、あの強かった(過去形でゴメン)王者巨人に1つも勝たせない

4連勝という強さは本物か

○○な阪神ファンたちは、もう既に日本一は確実 と騒いでいることでしょう

ここ暫くそんな気持ちにならない(ならせてもらえない)ドラファンとしては、

羨ましい限りだわ・・・来シーズンこそは・・・出来るかなぁ

ただ喜びすぎて阪神ファン恒例()の大阪・戎橋から道頓堀へ飛び込んで、警察官に

迷惑を掛けないようご注意あそばせ

(そこまで熱狂できるのは、ある意味 羨ましいかも





   ≪ 10月25日 ≫

 世界パスタデー
   ・1995年(平成7年)のこの日、イタリアで世界パスタ会議が開催された。
   ・EUやイタリアパスタ製造業者連合などが合同で、パスタの販売促進キャンペーンを
    行っている。

 民間航空記念日
   ・1951年(昭和26年)のこの日、戦後最初の国内民間航空会社として設立された
    日本航空が、一番機の「もく星号」で東京~大阪~福岡間の運航を開始した。
   ・ノースウエスト航空へ委託運行したため、クルーはすべて外国人で乗客は36名だった。

 産業観光の日
   ・名古屋商工会議所文化委員会が制定。
   ・2001年(平成13年)のこの日、名古屋で産業観光サミットが開催された。

 リクエストの日
   ・1936年(昭和11年)のこの日、ベルリンのドイツ放送で、ラジオのリクエスト番組
    が始まった。
   ・生演奏番組の放送中にリスナーから、希望する曲目を演奏してほしいと電話があったのが
    きっかけで始められたもので、その後リクエスト番組は大ヒットした。

 島原乱の日
   ・1637年(寛永14年)のこの日、苛酷な年貢の取り立てや、キリシタン弾圧に
    耐えかねた島原の領民が、代官・林兵左衛門を殺害し、島原の乱が勃発した。

 生まれた日もなくなった日も同じだった大作曲家
   ・1825年のこの日、『美しく青きドナウ』で知られる「ワルツの王」
    ヨハン・シュトラウス2世がウィーンで生まれる。
    13年後の1838年の同じ日に生まれたもう一人の作曲家は『カルメン』で
    知られるジョルジュ・ビゼー。
   ・この2人のもう一つの共通点は、死亡した日付も同じだということ。
    ビゼーが1875年6月3日。シュトラウスは1899年同日に亡くなった。

 台湾光復節(中華民国)
   ・1945年のこの日、日本の統治下にあった台湾を中華民国が接収した。

 軍隊記念日(ルーマニア)
   ・1944年のこの日、ルーマニア軍がルーマニア全土の解放を達成した。

 共和国記念日(カザフスタン)
   ・1990年のこの日、ソ連のカザフ・ソビエト社会主義共和国最高会議が国家主権宣言
    を採択した。
    翌1991年にはソ連から独立した。


   ≪ 10月26日 ≫

 原子力の日
   ・日本政府が1964年(昭和39年)に制定。
   ・1963年(昭和38年)、茨城県東海村の日本原子力研究所で、日本初の
    原子力発電が行われた。
   ・また、1956年(昭和31年)のこの日には、日本が国際原子力機関(IAEA)
    に加盟した。

 反原子力デー
   ・「原子力の日」に因み、各地で原発反対の運動が行われる。

 柿の日
   ・全国果樹研究連合会が、2005年(平成17年)に制定。
   ・1895年(明治28年)のこの日、俳人・正岡子規が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」
    の句を詠んだ。

 青汁の日
   ・アサヒ緑健が制定。
   ・「10」をアルファベットの「IO」に見立てて「青」と読み、「26」を「汁」と
    読む語呂合わせ。

 きしめんの日
   ・愛知県製麺工業協同組合が制定。
   ・食欲の秋の10月と、きし麺はつるつる感が特徴であることから「つ(2)る(6)」
    の語呂合わせ。

 サーカスの日
   ・1871年(明治4年)のこの日、東京九段の招魂社(靖国神社)で、フランスの
    「スリエサーカス」が日本で初めて洋風のサーカスを興行した。
   ・本格的なサーカスが来日したのは、1886年(明治19年)のチャリネ曲馬団だった。

 ナショナルデー(オーストリア)
   ・1955年のこの日、オーストリアが永世中立国宣言をした。

 アンガムデー(ナウル)
   ・第一次大戦後の人口調査で、民族の存続に人用とされる1500人を下回った、
    南太平洋の国・ナウルの人口が、1932年のこの日に1500人に達成したことを
    記念。