六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

泣きたい夜

2006年03月13日 | 自然関連
 本当に偶然なのだが、先週末、2日連続で 哲学者の内山 節 氏の講演を聴く機会があった。

 初めの日は、環境省の役人さんとか小池大臣とかも喋った、大々的な講演会だったので、私のような自称ナチュラリストが修士レベルの知識で質問に手を挙げるような雰囲気でもなく、胸にモヤモヤを抱えたまま会場を後にした。
 ところが、翌日の講演会は、小規模で、会場からの質問が議論に発展するような活発なタイプのものだったので、私の気分もほぐれていた。質問しようかなぁ、とグズグズためらっていたら当然のことながら時間切れ。会はお開きとなった。しかし、帰りがけのトイレの前で、内山氏を発見!思わず、大胆にも呼びとめて質問をしてしまった。
 (お時間とらせて、申し訳ありませんでした って、この場で謝っても仕方ないが・・)

 質問の内容や内山氏のお答えは別な機会に譲るが、とにかく、短時間でかなり深遠なテーマをぶつけてしまったので、内山氏もかなり直截に答えて下さった。共通認識を得て、前日の私のモヤモヤは晴れたものの、その思考の霧の向こうに現れた、事実の重さや現実世界への絶望に、本当に泣きたくなって、ひとりトボトボ帰路についた。

 湿り気のある春の夜の中を歩いて、ビルに囲まれた公園にさしかかると、闇の中に、梅の香りが充満していた。
 何かすごく、意味もなく、運命的な気がした。
 それから「私は哲学者には成れない・・」とつくづく思った。いや、哲学者を志した事はないが、それにしても、こんな《世界への絶望の思い》に日々向き合うことを生業とするなんて、弱い私にはとても無理だと思った。


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