六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

日本中が見ている

2007年06月29日 | 心や命のこと
 都内に出かける用事があり、昼食はさっさと済ませたくて、駅前のオフィスビル地下のレストラン街に入った。
 となりのテーブルには、同じ職場同士らしい20代後半のサラリーマンが数人。周囲に気兼ねなく、のびのびと脈絡のない雑談で昼休みの憩いの時間を過ごしている。

 ほどなく話題が、例の山口県光市の母子殺害事件の差戻し審について、になった。
 「想像するとオレは怒りで身体がふるえるね」と、妙に淡々とした口調で感想を述べる一人。それに応じて「あーゆー人間を更正しようと思うこと自体ヘンじゃねー?無理っしょ」
 同意の沈黙に続いて、話題はまた別の方へ移った。

 弁護団の語る「母胎回帰のストーリー」が、司法の場においてどれほどあの罪を減ずる要素となりうるのか私には想像できないが、少なくとも犯人の元少年と同世代の一般の若者にとっては、何の説得力ももっていないことがこのやりとりの短さでもよく分かる。

 そして、弁護団のストーリーに沿うように証言を変えた被告。
 死刑になりたくなければ言うとおりに行動しろとでも言われたのだろうか。
 命とひきかえに自分の心をいつわる。他者の心を踏みにじる。その元少年の魂に深く深く刻まれる傷については、弁護団はきっと考えたこともないのだろう。

 生きてさえいればよいのか。死刑という制度がなくなれば、この国が、そこに住む人が、どう良くなるというのだろう?ぜひ説得力ある意見を伺いたい。

 そしてこの元少年のような魂をどう救うのかについても。
 弁護側の心理鑑定人が主張する「彼が反省できるような心の成長を促すサポート」ってのは誰がどんな国家予算(税金)を使ってやるのかね。できるプログラムがこの国にあるんですかね。

 少なくとも私は、被害者の夫・本村洋さんの「反省したうえで死刑に臨んでほしい。反省しても死刑は免れない、その実感から命の重さを学び、自らの命で罪を償ってほしい」という想いの方が、ただの処罰感情を超えた、犯人の魂や人格に寄り添う人情味を感じますですよ。

 生と死と魂と行いは渾然一体となって、各人の在りようの全体をかたちづくる。
 生きていればチャンスがあるのだからとにかくその時間を延ばすことが善で、死ねば終わりだからそれは負け、敗北・・みたいな死生観をもつセンセイがたは(弁護士だろうと医師だろうと教師だろうと議員だろうと)正直言って胡散臭い。 
 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たかの)
2007-07-04 12:25:09
今の弁護団の戦略だとかえって死刑になっちゃうんじゃないかな。弁護団の連中には何か別の目的があるような気がする。
返信する
別の目的のために (風野)
2007-07-04 22:50:07
集まった21人のセンセイ方が実は、自分を救う目的で集まったわけではなかったと思い知った時の心の荒れを、つい想像してしまいます。そういう状況では、更正する気も失せちゃうのでは?
元少年がそこまで繊細な人格かどうか分かりませんけど。
返信する

コメントを投稿