ダーリンが小林よしのりの「靖国論」を買ってきたので、先にパラパラっと覗かせてもらったら、7ページ5コマ目に、こんなことが書いてあった。
中国の学者に対して小林よしのりが言った台詞。
「中国共産党は唯物論のはずでしょう。中国人民には『あんな所(=靖国神社)には遺骨も位牌も何もないんだ。日本人はありもしない霊というものを信じてる連中だ。放っておこう』と言っておけばいいじゃないですか」
あはは その通り。
8月15日に、総理が靖国に公式参拝すると、近隣国の民の心を傷つけることになるから止めろ、という議論がある。
それに対し「日本人の宗教観をもっと説明して近隣国に理解してもらえば」という意見もある。
う~ん。
前回の記事の、山登りの喩えで言うとね。分かり易いと思うのね。
平原に住んで、山に登りたがらない人が、山を登る人に対し「登るな!」と要求する。「私には、山を登る必要があるとは思えないから、やめろ!それに、登られると上から見下されるから不快だ。見下ろされた過去も思い出すし」と。
登る人はとまどう。別に見下すのが目的で登るわけじゃないし、平原の人から登るのを止められるいわれもない。(でも、あんまり騒いでっから、五月蠅いな~やめとくかな~・・って気にもなる)
一方、山の魅力を語って理解してもらえれば、平原暮らしの人も、登る気になるのではないか?少なくとも、黙ってくれるのではないか?と考える人もいる。
・・何というか、どちらもお互いに《余計なお世話》じゃない?
山には、黙って登ったらいい。
登りたがらない人を、無理に登山に誘う必要もない。
また、平原の人が「登山道から見下ろされた!」だの「それで自尊心を傷つけられた!」だのと騒いでも、そんな内政干渉はサックリ無視して、言わせておけばいい。
平原の人からは見えない景色が、山腹からは見える。でもその風景は、平原の人にとっては《存在しない幻》なのだ。
平原に暮らすことは、尊重すべき選択であって、登山者の方からとやかく言う事でもないし。
お互いに、平原と山で棲み分ければ、こんなの何の問題にもならないのに。
こうして国際問題めいてしまうのは、本質とは違う部分で意図を持っている一方が、わざと騒ぎたてているから。その意図を、冷静に見きわめる必要がある。
中国の学者に対して小林よしのりが言った台詞。
「中国共産党は唯物論のはずでしょう。中国人民には『あんな所(=靖国神社)には遺骨も位牌も何もないんだ。日本人はありもしない霊というものを信じてる連中だ。放っておこう』と言っておけばいいじゃないですか」
あはは その通り。
8月15日に、総理が靖国に公式参拝すると、近隣国の民の心を傷つけることになるから止めろ、という議論がある。
それに対し「日本人の宗教観をもっと説明して近隣国に理解してもらえば」という意見もある。
う~ん。
前回の記事の、山登りの喩えで言うとね。分かり易いと思うのね。
平原に住んで、山に登りたがらない人が、山を登る人に対し「登るな!」と要求する。「私には、山を登る必要があるとは思えないから、やめろ!それに、登られると上から見下されるから不快だ。見下ろされた過去も思い出すし」と。
登る人はとまどう。別に見下すのが目的で登るわけじゃないし、平原の人から登るのを止められるいわれもない。(でも、あんまり騒いでっから、五月蠅いな~やめとくかな~・・って気にもなる)
一方、山の魅力を語って理解してもらえれば、平原暮らしの人も、登る気になるのではないか?少なくとも、黙ってくれるのではないか?と考える人もいる。
・・何というか、どちらもお互いに《余計なお世話》じゃない?
山には、黙って登ったらいい。
登りたがらない人を、無理に登山に誘う必要もない。
また、平原の人が「登山道から見下ろされた!」だの「それで自尊心を傷つけられた!」だのと騒いでも、そんな内政干渉はサックリ無視して、言わせておけばいい。
平原の人からは見えない景色が、山腹からは見える。でもその風景は、平原の人にとっては《存在しない幻》なのだ。
平原に暮らすことは、尊重すべき選択であって、登山者の方からとやかく言う事でもないし。
お互いに、平原と山で棲み分ければ、こんなの何の問題にもならないのに。
こうして国際問題めいてしまうのは、本質とは違う部分で意図を持っている一方が、わざと騒ぎたてているから。その意図を、冷静に見きわめる必要がある。
「山腹から見下ろされて不愉快」って荒唐無稽な反論もとんちんかん具合がぴったり^^
終戦記念日、いよいよ近づいてきましたね。この夏一番のイベントが(笑)
さて、首相は公約通り8/15に参拝するでしょうか?
いやあ、わくわくします^^
PS.
ラブバトン、よりによって私ですか・・・orz
うう・・・恥ずかしい・・
LOVEとは基本無縁なんですが・・・。