六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

スターウォーズ考

2005年07月07日 | 映画
 明日かな?エピソードⅡが地上波放映されます。
 最終話を待つまでもなく、Ⅱでアナキンの《暗黒面への転落》が始まったことが見て取れます。

 以下、過去の日記から抜粋。

 『2002年7月19日 : エピソードⅡを観た。泣けた。涙が出ないくらいに泣けた。この感じは「Uボート」のラストの衝撃と同じ。たっぷり48時間は落ち込んだ。

 ヘンな話だけれど、これ観てあたし、結婚しようと決心した。相手をみつけて結婚して(注:この時ダーリンとはまだ出会ってませんでした)子供を生んで、その子を思いっきり抱きしめて、いつか《外の世界へ》放してあげる。それでしかこの切なさは癒せないことが、とてもクリアに理解できた。この感覚(feeling)が私のリアル、私のForceの導き。それは真実にちがいない。

 私にアナキンは救えない。でもルークを産む可能性は許されている。女だから。そのことを無駄にするのはもったいないと、心から思ってしまった。ささやかだけど、そんなふうに戦うしかないんだ、暗黒面とは。一人ひとりが、世界中で。
 その痛みの中に、希望がある。

  ・・(中略)・・

 サンドピープルの村から戻ったアナキンが自分の所業を吐き出すように告白する時、私達は知る、彼が《負ける戦い》を始めたことを。
 彼は言う。「愛する人を、もう誰も死なせない」と。「そのくらい強いジェダイになる」と。
 せつない。たまらない。
 それは負けると決まっている戦いだ。生きとし生けるものはみな、死ぬのだから。

 アナキンは永遠に勝てない。生と死は戦いではなく、対立ですらない。アミダラの告白の言葉にもそれが語られている。なのにアナキンは戦いを挑むと誓うのだ、そして、勝つと。
 「そうじゃない、そうじゃないんだよ」と彼を思い切りHugしてあげたい。
 でも手は届かない。誰も、転がり落ちていく心を止められない。まるで切れているかのように、誰の手も短すぎて届かない。
 アナキン自身がこちらへ腕を伸ばしてくれなければ、それは届かない距離だ。永遠につめられない距離。でも表情ははっきりと見える距離。ささやき声さえ届く距離。人の心の、距離。

 私達が社会生活を営むうえで毎日つきつけられるこの《分かり合えなさ》と《分かり易さ》のはざまの絶望感を、こんなにあざやかに切り取ってみせるルーカスは、やっぱ凄い。アナキンの、アミダラの、オビ・ワンの、ヨーダの、絶望は私達のそれだ。日々のリアルな、それだ。

 そして、その絶望が、その痛みが、SWを通して世界を結ぶ。同じ人間として、同じ痛みを知る者として、私達は今この世に在る。

 9・11
 あの映像が世界中を駆け巡った直後、何の縁もゆかりもない私でさえ、ニューヨークに行きたかった。崩れ落ちるビルの前に呆然と立ち尽くす人を、誰でもいい、抱きしめたいと思った。きっとすぐ「報復を!!」の叫びがあがるにちがいない、その前に飛んで行って、手当たりしだいHugしてあげたかった。一緒に喪失を泣きたかった。「そうじゃない、そうじゃないんだ」と力の限りHugして、暗黒面を遠ざけたかった。
 でも、世界はあまりにも遠く、平和と秩序はついえ、暴力と悲しみの連鎖が拡大している、今。

 この痛みから、目をそらしてはいけない。
 痛い、という感覚(feeling)が、私達をつないでいる。Force(想い)をふるわせる great pain(大いなる痛み)が、そのつながりこそが、新しい希望(A NEW HOPE=エピソードⅣ)を生むのだから。米国人もまた、この痛みを共有しているのだと信じたい、それこそが平和と秩序の守護者ジェダイの帰還を約束する流れになるのだから。』

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2 コメント

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Unknown (パパ)
2005-07-08 19:16:12
おじゃましま~す。

正直すごい!

いいblogですね!

見習わなくては(泣)

また遊びに来ます。
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ようこそ (風野)
2005-07-08 23:36:02
パパ様、いらっしゃいませ!

早速来ていただけて光栄です。

SWはいろいろな観方ができる映画なので、こんな小難しいことは考えずに、冒険譚としても楽しめますよね。

息子さんは素直に喜んでいらっしゃるようで、何か心洗われる思いがします。

こちらからも、またお邪魔しますね。
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