六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

本当は泣きたいのに

2006年01月13日 | 心や命のこと
 この部屋の契約更新通知が来た。私と暮らすためにダーリンが引っ越して、もう丸2年が経過したことになる。

 先日、二人で新年の挨拶に行ったら、ダーリンは関係者から面と向かってこう言われた。
 「十九ハタチの若者じゃあるまいし、その歳で1年も2年も同棲だなんてふざけてる。お前にはガッカリだ」
 そして、ほとんど面識の無い私に対しても、その人は言った。
 「きちんとせずに一緒に暮らすなんて、常識無いと思えて感じ悪いね。貴女、彼とは遊びですか」

 もっともな言い分だ、と思った。

 当然のことだけれどダーリンは、私の愛しいひとであるずっと以前から、ダーリンにつながる親戚縁者にとっての《大事な男子》の一人(しかも、わりに出世株の方らしい)。
 一族にはご高齢の方もいるらしく、ダーリンの吉報は今か今かと待たれている。
 そういう方たちにとって、私という存在は、どう見えるだろう。私個人だけでなく、私につながる人たちを含めて。

 私は、両親がいくら機能不全の狸親だからと言って、彼らを《無かったこと》にすることは出来ない。彼らが、他者の心を知ろうとせず、嘘をつきまくって、自己保身に汲々として、ズルベタに子を頼り、求め、すがってくるばかりだとしても、その手を完全にふりほどくなんて出来ない。いずれ介護が必要になったら、子の義務として、私は実家に戻る事になるだろう。

 ダーリンと別れて。

 だからせめて今このひとときの幸せを、こころゆくまで味わおうと思う。ずうっと、後々までも、心の中で反芻してはふふっと微笑むことができるような、悔いの残らない時間にするための努力を、毎日全力で続ける。

 でも、それはあくまで《私の側の都合》だ。
 そんなかたちは、ダーリン家にとっては迷惑にちがいない。年頭の、その人の言葉でハッキリ思い知った。
 私は甘えている。ダーリンにも、ダーリンにつながる方たちにも。
 私のせいで・・私につながる人々のせいで、ダーリンが誤解され、評価が下がる、そんなことは私の本意ではない。
 「だからさ、別れるという選択肢もアリだよ」と、私はダーリンに言った。ダーリンの判断に従います、と。

 どうしてそーゆー《自分にとって不利なこと》を口に出して言っちゃうかなーと、心の中で自分で自分にツッコミ入れながら。

 バカな女だ、私は。