六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

本日の脱力

2005年10月13日 | 日々のこと
 朝のニュースの芸能コーナーで、和泉元彌がこんなことに・・・

 ご本人的にはいろいろ考えがおありとは思いますが、わたし的に言わせてもらえれば、何というか・・ナメてると思う、この人。狂言界のことも、格闘技界のことも。
 そういう《高いところにいる人(しかも端正な顔立ち)》がブチのめされて地べたに這いつくばり壊れていく姿を、舌なめずりして楽しむ人種(含マスコミ)がいる。むざむざとその悪意の餌食になりに行くようなものじゃない?
 どんな《ステージパフォーマンス》を目指すのか知んないけど、そもそも披露するような内面をアンタは持ってたっけ? ドタキャンとダブルブッキングという、神聖な舞台をないがしろにする行為を繰り返し、宗家だか本家だかと争っていたあの騒動で、そのあたりはかなりアヤシイと私は疑いの目で彼を見ている。

 それとも、彼がナメてかかっているのは自分を含む世界全てで、もう堕ちるところまで堕ちようとでも考えているのか。
 そんな姿は、別にテレビで見なくてもいい。そういう生き方をしてしまう人なんてごまんといる、珍しくない。

 古典芸能にしろ格闘技にしろ、その道を究めようとする背中を、私は美しいと思う。あくなき探究心からほとばしる汗が、美しいと思う。私が、お金を払い時間を費やしても見たいと思うのは、そういう姿だなぁ。