風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

貴女と蒼穹を翔びたかった 第5話

2013年03月26日 07時02分14秒 | 文学小説『貴女と蒼穹を翔びたかった』

 忘却の河


 雲海を突き抜け、紺碧の空へ出ました。
 息苦しい水底《みなそこ》から浮かび上がり、ようやく息継ぎできたようなさわやかさがあります。なんといっても、世界は輝いているのがいちばんです。飛行場も爆撃したことですし、あとは帰投するだけ。無事に任務を終え、身も心も軽くなりました。喉の渇きを覚えた私は、座席の横からサイダーの瓶を取り出し、栓を開けてラッパ飲みしました。がらがらになった喉がすっきりします。
 艦隊へ針路を取ろうとした時、空の向こうでなにかが光りました。
 やはり、カーチスP40です。
 送り狼とばかりに待ち伏せているようですが、幸い、我々にはまだ気づいていません。のんきなとんぼのようにこちらにお尻を向けて飛んでいます。
「安田、海へ出ろ」
 掌飛行長はすかさず指示を出します。私は水平に戻したばかりの操縦桿を押し倒し、雲へ潜りました。
 蕭々《しょうしょう》と風の吹き荒《すさ》ぶ海は、みぞれまじりの冷たい小雨が降っていました。負傷した左肩が今頃になって疼き始めます。早く帰還して手当てを受けたいところです。
「掌飛行長殿、どうしますか? 適当なところで雲の上へあがりましょうか」
 晴れた空を飛んだほうが当然速いですし、荒れた海の上を飛行したのでは燃料の消費量もそれだけ多くなります。空中戦の際にエンジンを全開にして飛び続けたので、すでにガソリンをかなり使っていました。帰りの燃料は、ぎりぎり足りるほどしか残っていません。
「だめだ。このまま海の上を飛ぶ。雲の上を飛んだんじゃ、下が見えない。『摩耶』を見つけられなくなってしまうぜ。帰れないぞ」
 川島さんの分析は的確です。
 第一次攻撃隊のことが脳裡をよぎりました。
 散りぢりになって帰ってきた『隼鷹』飛行機隊の収容作業はずいぶん手間取り、九九式艦上爆撃機隊の一機が空母へ着艦できなかったのです。
 その爆撃機はすぐそばまでたどり着いていたのですが、厚い雲に阻まれてどうしても艦隊を見つけることができませんでした。九九式艦爆は誘導電波を出して欲しいと打電してきます。そうしたいのはやまやまですが、そんなことをすれば敵にも我が方の位置を教えてしまうことになるのでできません。アメリカ軍の爆撃機が、しめたとばかりに空母へ襲いかかてくることでしょう。結局、燃料を使い果たしたその九九式艦上爆撃機は「帰還できずに申し訳ない。天皇陛下万歳」と母艦へ別れを告げ、自爆してしまいました。
 掌飛行長が海図を調べ、取るべき針路を私に教えます。私は、その方角へ飛行機の鼻先を向けました。
 最果ての海をどこまでもまっすぐに飛びます。暗い波ばかりが続きます。黒い海とどんよりした空がまざりあい、波と雲が入れかわり立ちかわり逆さにひっくり返るようでした。霧が立ちこめ、シルクスクリーンをかけたようにあたりがかすみます。
 霧がしみるせいか、左肩の傷口がずきずき痛み、時折、激痛が走ります。まるで千枚通しを突き刺され、ぐいぐいとねじこまれているようです。霧の幕は濃くなるばかりでやわらぐ気配は一向にありません。真下から重苦しい波の音が聞こえるので海のすぐ上を飛んでいるのはわかるのですが、あたりはすっかり白乳色に染まってしまいました。
 左腕の感覚がなくなり、力が入りません。どうやら麻痺してしまったようです。息が苦しくて坐っていられません。どっさり横になりたい気分でした。
 苦しくなればなるほど、愛おしい貴女のことばかり思い出します。救いを求めるようにして、貴女の姿を思い浮かべてしまうのです。
 貴女と別れようと決めたのは、真珠湾攻撃の日でした。
 奇襲成功のニュースが流れ、日本中が勝利に沸きかえりましたが、私は妙に冷めていました。これからの戦いのことを思うと、とても喜ぶ気持ちにはなれませんでした。アメリカは巨大な敵です。一介の飛行機乗りでもそれくらいはわかります。激戦になるは必定です。おまけにイギリスや他の国々も敵に回すというのですから、尋常ではありません。私はきっと死ぬだろう。もう生きては還《かえ》れまい。私はそう腹を括《くく》りました。
 死ぬとわかりきった軍人と結婚することほど、女人にとってつらいことはないでしょう。このまま結婚すれば、あなたを苦しめてしまいます。貴女と家庭を持ち、子を育てることが私のささやかな夢でしたが、死んでしまえば貴女も子供も養うことはできません。大切な貴女にとんでもない苦労を強いることになります。私は貴女に迷惑をかけたくなかった。貴女の人生を狂わせたくはありませんでした。婚約を解消するとなれば、悲しまない人はいないでしょう。ですが、たとえひと時苦しむことになっても、ほかにいい人を見つけて幸せになって欲しい。そう願って南方の戦地から別れの手紙を送りました。それが貴女のためだと信じたからです。
 貴女は「わかりました。お元気で」とひと言だけ書いた葉書を送ってくれましたね。その葉書には、貴女が自分の筆で描いた御内裏様と御雛様の絵が添えてありましたが、御雛様の寂しそうな表情を見て、思わず涙ぐんでしまいました。私は貴女を傷つけてしまいました。いくら貴女のためを思ってのこととはいえ、約束を破ったのは私です。貴女の泣き顔ばかりが脳裡に浮かびます。すすり泣きが今にも聞こえてくるようです。貴女はどんなにつらい気持ちでいるだろう。そう考えると居ても立ってもいられませんでした。夜は独りで『摩耶』のデッキへ出て、赤道直下の満点の星を見上げながらずっと貴女のことを想い、誰よりも貴女のことを見つめてくれる素敵な人を一日も早く見つけて欲しいと祈り続けました。
 どすんと衝撃が伝わります。
 掌飛行長の怒鳴り声が割れ鐘のように響きます。
 私ははっと我へ返りました。
 いつの間にかうつらうつらしてしまったようです。操縦がおそろかになって高度が下がりすぎたために、主フロートが波頭に接触してしまいました。九五式水偵は、けつまずいたようにふらつきます。私は慌てて上昇しました。
 なぜか、前方が薄ぼんやり明るくなります。春の陽射しのようなあたたかな光です。太陽が出たのかと思って空を仰いだのですが、なにも見当たりません。
 ふと行く手へ視線を戻すと、白い鳥の後姿が目に入りました。
 白鳥のような形をした見たこともない大きな鳥です。ふさふさとした純白の翼を広げた鳥はゆったり羽ばたき、まるで私を誘《いざな》うようにして前を進みます。
 まさか。
 私は頭《かぶり》を振りました。
 九五式水偵は巡航速度の時速百九十八キロで飛行しているのです。そんなスピードを出せる大型の鳥がこの世のどこにいるのでしょう。
 思わず目を瞠《みは》った私ですが、驚きながらもその一方で、その鳥のふっくらとした容姿に安堵感を覚えました。なんともいえないやさしい姿です。乳飲み子を胸に抱きかかえた母親を連想しました。この鳥についてゆけば、魂のふるさとへ連れて帰ってくれる。幼い頃に死別した母の住む国へ案内してくれる。どういうわけか、そんな気がしてなりませんでした。
 とりとめもなく、貴女のことを思い出しました。
 私の所属する小部隊がダッチハーバー攻撃準備のために青森県大湊港へ集結した時、貴女の手紙を受け取りました。私はすぐにトイレの個室へ駆けこみ、そこで封を切りました。共同生活を送る艦《ふね》のなかで完全にひとりきりになれる空間は、そこだけしかありませんでしたから。
 貴女は、いつもながらのきれいな楷書で文を綴ってくれましたね。知らないうちに涙がこぼれ、インクの文字が薄紫色ににじみました。貴女の新しい婚約者が広島の軍需工場に勤める事務職の方だと知り、ほっとしました。
 戦時中はどの軍需工場も大忙しでしたから、その従業員の方であれば、たとえ召集令状がきたとしても、短期間の内地勤務だけですぐに会社へ戻してもらえる可能性が高くなります。戦場の最前線を飛びめぐる私と違い、戦火のおよばない内地にいて生き延びることができるでしょう。
 いい相手を見つけてくれた。
 これで幸せになってもらえる。
 私は肩の荷がおりました。
 とはいうものの、やはりさみしさは隠し切れませんでした。心にぽっかり穴が開いたようで虚ろな気分です。今さらながら、貴女の存在が私の心の真ん中を占めていたのだと気づかされました。私の心は、とまったかざぐるまでした。
 白い鳥は私を連れて飛び続けます。
 一瞬、無限の光があたりを覆い、なにも見えなくなります。私は手をかざし、光から目をそむけました。
 光がやんだので目を開けてみると、両側に石の河原の広がっていました。九五式水偵は、うっすらと霧の流れる静かな川のうえを飛んでいます。
 そんなはずはありません。海上を一直線に飛ぶ予定でした。いったいどこへどうまぎれこんでしまったのでしょうか。
「掌飛行長殿。まわりを見てください」
 私は思わず振り返りました。ですが、後部座席には誰も乗っていません。川島さんはどこへ行ってしまったのでしょう。まさか、私が居眠り操縦をしてしまったために彼を振り落としてしまったのでしょうか。
 河原から頼りなげな軍靴の音がばらばらと響きます。
 ぼろぼろの軍服をまとった兵たちが、足をひきずるようにしてうなだれたまま進軍していました。破れて引き千切れたオランダの国旗が川風にそよいでいました。
 ――オランダ兵?
 なぜ彼らがこんな北の果てにいるのでしょうか。わけがわかりません。ダッチハーバーにオランダ人が入植したのは遠い昔のことで、とっくにアメリカ領になっていました。オランダ本国はナチスのドイツ第三帝国の占領下にありましたから、アリューシャン列島へ援軍を送ることなどできないはずです。なにかの間違いではないかと思い、目を凝らしてもう一度よく見てみましたが、赤白青の横縞の国旗はやはりオランダのそれでした。
 私は、オランダ軍と戦ったことがあります。
『摩耶』は開戦当初のフィリピン攻略戦が終了した後、今はインドネシアとして独立した蘭印(オランダ領東インド)の油田地帯の攻略作戦に参加しました。その作戦は、資源の乏しい日本にとって戦争継続の鍵を握る重要なものでした。石油ばかりではなく、鉄、錫《すず》、ゴムといった南方の豊富な資源を手に入れられるかどうかは、死活問題です。
 連日、私は油田地帯の偵察と艦隊の前路哨戒の任務に励みました。偵察隊がもたらした情報をもとに巡洋艦を主力とした南方攻略艦隊が相手の守備艦艇を撃破し、それから上陸部隊が乗りこみます。本国が占領されたとはいえオランダ植民地守備隊は健在でしたから、偵察任務中にオランダ軍航空隊と遭遇して空中戦になったことや、地上部隊へ機銃掃射をかけて歩兵を斃《たお》したこともありました。
 心のなかまで靄《もや》がかかったようなぼんやりした気持ちで飛んでいた私ですが、敵を見ればすぐに頭が切り替わり、偵察機パイロットの本能が働きます。なにがどうであれ、敵情を確認しなくてはなりません。私の任務は偵察し、そして報告することです。判断は私の職掌を超えていますから、それは司令部に任せればよいのです。
 ざっと見た限りでは、敵兵の数は五百人前後でした。包帯を巻いた負傷兵ばかりで、松葉杖をつく者や担架に乗せられた者も大勢いますから、次の野戦病院へ移動中といったところでしょうか。
 ――上からよく観察してみよう。
 私は右へ旋回しようとしました。ですが、操縦桿を何度倒しても、操縦ペダルをいくら踏みこんでみても、舵も空戦フラップも利いてくれません。
 意気消沈したオランダ兵を追い越します。彼らの姿が遠ざかります。なぜだか知りませんが、彼らが無性に恋しくてしかたありませんでした。まったく人気のないさびしいところを行く先も方角もわからないまま飛んでいたので、たとえ敵兵でもいいから、誰か人と接していたくてしかたなかったのでしょう。
 愛機は川を遡ります。機体の自由を取り戻そうと試みましたが、やはり舵は利きません。自動操縦のようにして、まっすぐ飛び続けました。
 石ころばかりでなにもない河原が延々と広がっています。
 このままどこまで行くのだろう。
 途中で燃料が切れて、こんなところに置き去りにされてしまうのでしょうか。
 漠然とした不安が私をつつみます。
 不意に、河原の左岸から子供たちのかわいらしい歌声が風に乗って流れてきました。心の奥をくすぐられるようで、懐かしさがこみあげます。村の幼馴染といっしょに歌ったふるさとの童歌《わらべうた》でした。

 母者がきたから帰ろ
 ゆうげのしたくに帰ろ
 あした ここさで 指切りげんまん

 私は、幼い頃この歌を歌うたび、死んだ母がひょっこり迎えにきてくれないかとあたりをきょろきょろ見回したものでした。小さすぎた私は母が他界したことを理解できず、それでしかたなく、母は遠い国へ行商に出かけていると教えられていたのです。毎日、「お母さまはいつ帰ってくるの?」と尋ねては、祖母や母代わりに育ててくれた叔母を困らせたのですが、彼女たちはいつもやさしく「もうじき帰ってこられるからね。いい子にしていてね」と私の頭をなでて慰めてくれました。私をここまで導いてくれた白い鳥の姿がすっとかき消えます。
 河原には子供たちが散らばり、銘々《めいめい》が思いおもいに石を積み上げて小さな塔をこしらえていました。
「賽《さい》の河原だ」
 私はつぶやきました。幼くして現世を去った子供たちが親のために石を積むというあの河原です。そうだとすれば、今飛んでいるのは、あの世とこの世の境を流れる三途の川なのでしょう。
 賽の河原は殺風景といえばそうですが、とても穏やかなところでした。
 子供たちは、悲しそうな素振りを見せたり、泣き叫んだりすることもなく、むしろどこかしら浮きうきとした仕草で童歌を口ずさみながら石を積むだけです。誰かにいじわるをしたり、けんかをしたりしている子供もいません。賽の河原には恐ろしい鬼がいて、子供がせっかく積み上げた石の塔を片っ端から蹴飛ばして潰してしまうのだと子供の頃に聞かされましたが、そんな鬼の姿はどこにも見当たりません。昼下がりの公園のようにたおやかです。死者を乗せた渡し舟が川をゆっくり横切りました。
 誰かが私を呼んでいます。
 とても親しげな声です。
 右岸を見やれば、十数人の人々が河原に立ち、私に向かってこっちへおいでと手を振っています。
 弟を出産した後、産褥熱《さんじょくねつ》を発し、若くして他界した不運な母。私をかわいがってくれた祖父。休みの日はよく遊び相手になってくれた村の駐在さん。私が病気をするたびに一つ山を越えた向こうの町から往診に駆けつけてくれた診療所のお医者さん。いつもいっしょに川で遊んでいたのに腸チフスに罹《かか》ってあっけなく死んでしまった幼馴染。マーシャル群島で米軍に強襲されて戦死した航空学校の同期生。みな、会いたくてたまらなかった人たちばかりです。
 彼らの声はとてもやさしく響きます。
 思い出ばかりが胸にあふれます。
 迷子がようやく親に出会えた時のように、私は泣き出してしまいました。
 私のふるさとには、死者はあの世へ行く前に必ず三途の川のほとりでその水を飲むという言い伝えがありました。なんでも、三途の川の水を飲めば、現世の記憶をすべて忘れてしまうのだそうです。そうしてこの世の苦さや憂いすべて忘れ、現世で汚れた心を洗い清め、赤ん坊の肌のようにすべすべしたまっさらな心に戻ってからあの世へ行くのだそうです。彼岸はまさに楽園そのものです。浄土です。誰も穢れることなどありません。つまらないことで人を憎んだり、諍いを起こしたりせず、みんな仲良く暮しているのだとか。災害も戦争も飢饉も、人を苦しめることや悲しみはなにもないのだそうです。
「安田、なにしてるんだ。早くこっちへこいよ。みんな待ってるんだぞ」
 飛行帽をあみだにかぶった髭面の戦友は、昔と変わらないまじりっけのない笑顔を浮かべて手招きします。彼はマーシャル群島に設置された水上機基地の宿舎で休んでいたところ、夜陰に乗じて忍び寄ってきたアメリカ艦隊の艦砲射撃を受けて戦死してしまいました。腕利きのパイロットでしたが寝込みを襲われてはどうにもなりません。彼とはよく模擬戦をやり、得点を競い合ったものです。お互いによきライバルであり、よき理解者でした。彼のような友人とはもう二度と出会えないでしょう。戦争でなによりつらいのは、腹を割って話せる友を失うことです。
 私は死んだのだ。
 そうはっきり悟りました。
 きっと出血多量で命がもたなかったのでしょう。掌飛行長にはほんとうに申し訳ないのですが、もうどうしようもありません。
 運よく味方に見つけてもらわない限り、川島さんもおっつけここへやってくるでしょう。その時、彼に謝ろうと思いました。飛行機乗りはみな、死を覚悟の身の上ですから、掌飛行長もきっと許してくださるでしょう。もちろん、小学校のお子さんを残したまま戦死してしまうのはさぞ心残りだろうと彼の心中を察すれば気の毒でなりませんし、無事に『摩耶』へ送り届けられなくてすまない気持ちでいっぱいなのですが。
 私自身は、怖いとも悲しいとも思いませんでした。
 肉体は滅んでしまっても、私の魂はこうして別の世界へ飛んできているのですから、なんてことはありません。この世を離れてあの世へ行くだけのことです。写真でしか知らない母にも会えます。愛機に乗ったまま三途の川へ到着したのですから、本望です。
 私は操縦桿を押し倒しました。
 九五式水偵はゆっくり高度をさげます。
 いったん川へ着水し、川の水を飲んでから、九五式水偵で川を滑走して彼岸へ渡ろうと思いました。それが私らしい最後でしょう。
 水面が近づきます。
 あと少しで着水です。
 突然、誰かが竹竿で私の頭を激しく叩きました。
 掌飛行長の叫び声が聞こえます。
 はっとして目を開けると、目の前に黒い波が立ちはだかっています。復讐に燃える白鯨のような荒々しい波頭が、愛機を呑みこもうとしていました。




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