風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

客の呼びこみに必死なタクシーとサイレンを高らかに鳴らす救急車(『ゆっくりゆうやけ』第228話)

2014年03月23日 08時28分01秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 広東省広州の街角を散歩していたらこんな光景に出くわした。
 交差点の横断歩道の前にタクシーが赤信号でとまっていて、その後ろに救急車が続いている。
 歩道にはタクシーに乗りたそうな素振りの女の子の三人連れがいた。救急車はサイレンを回しているのだが、タクシーの運転手は窓から身を乗り出してその女の子たちに声をかけ呼び込もうと必死だ。道を譲ろうとはしない。じれた救急車はサイレンをひときわ高く鳴らしたのだが、それでもタクシーの運転手は一向に気にせず、
「乗りなよ」
 と大声で叫び続けた。
 結局、信号が青に変わるまでタクシーは動かなかった。女の子の三人連れもタクシーに乗らなかった。救急車は、青信号でタクシーが発進した後にようやく走ることができた。
 日本では救急車が後ろからくればさっと道を譲ったり、救急車の邪魔にならないように救急車が走ってくるレーンへ入らないようにして道を空けたりする。しかし、広州ではそんな光景はほとんど見かけない。むしろ、青い回転灯を回した救急車が渋滞にはまって身動きがとれなくなっている姿をよく見る。
「他人のことはまったく関係ない」
 というのが中国人の基本的なスタンスだから、「急病で誰が苦しんでいようと関係ない」ということになるのだろう。

 ここで救急車に道を譲らないなどとは道徳(モラル)がなってない、と批判するのは簡単なことだが、根はもっと深い。
 道徳(モラル)というものは、ルールを設けてお互いの行動を規制し、その結果、お互いが気持ちよく行動できるようにしたり、お互いに利益を分かち合えるようにしましょうというものだ。たとえば、交通ルールを守るからこそ、お互いに安全を確保できるわけで、行列を作るのも、行列を守ることで順番を確保することができる。だから、赤の他人との信頼関係が暗黙の了解のうちにある程度結ばれる文明でなければ、道徳(モラル)は成立しない。信頼関係のないところでは、利益を奪い合うだけになり、道徳(モラル)を守れば損をする一方になってしまう。誰がルールを守ろうとするだろうか?
 もちろん、暗黙の了解の信頼関係がある程度あったほうが物事はスムーズに運ぶ。日常生活を営むうえでも便利だ。困った時に手助けしてもらえる。だが、ある程度の信頼関係を赤の他人と暗黙の了解のうちに結ばない――つまり、社会を作らないという中国の文明は、長い歴史やいろんな経緯があってできあがったものだ。一朝一夕に変えることはできない。
 このような文明のなかで暮らすのは、中国人自身にとってもなかなかきついものだと思う。




(2013年3月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第228話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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