ガンダムが今までのロボットものと違ったのは、主人公の性格が繊細なことだ。
ロボットものというか、戦闘ものの主人公は、みんな明るい。敵がやってきたらいつでも元気よく立ち向かう。バリバリの体育会系のノリだ。
ところがアムロは違った。
もうガンダムに乗りたくないと弱音を吐いたりするし、ブライトに「もうアムロはいらない」などと言われてひどく傷ついて脱走したりする。瞳もなんだか少女マンガ風に描かれているし、天然パーマの風貌もどこか女性的だ。それでいて、ガンダムを自由自在に操って次々と敵を撃破する。ギャップがけっこうあって、それがよかったりする。
主人公の繊細さが引き鉄(がね)となっていろんな物語を紡ぎ出す。
ひ弱だったアムロも戦いを重ねるにつれてたくましく成長するのだけど、たとえば女ニュータイプのララとの出会いと別れのように、こまやかな心の持ち主というキャラクターが物語に奥行きを与えていたりする。
大人になってからもう一度観てみると、子供の頃には気づかなかったことにいろいろ気づかされる。『ガンダム』ってヒューマンドラマとしてもよくできているよなあと思うのだけど、やっぱりそれはキャラクター作りがしっかりしているからなんだよな。
(2012年7月23日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第191話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/