風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

あんまり中国語脳になりすぎると……(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第59話)

2011年09月16日 07時12分17秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 英語をマスターする場合、英語で物事を考えて英語で理解することが不可欠だ。これを英語脳という。中国語も同じで、中国語で物事を考えて中国語で理解しなければいけない。中国語を聞いて、それをいちいち日本語に変換していたのではスピードが遅すぎて、こみいった会話などとてもできない。さしずめ、頭のなかに日本語OSと中国語OSの二つのオペレーションシステムをつけるようなものだろうか。
 雲南省で留学していた頃、僕も中国語脳を作ろうと必死だった。とはいうものの、初級クラスから中国語の勉強を始めたので、はじめのうちは単語もそれほど覚えていないし、中国語の複雑な文章を頭のなかで組み立てることなんてとてもむりだ。そこで、
「今晩、なにを食べようか」
 とか、
「何番のバスに乗ればいいんだろう?」
 といったかんたんなことを中国語で考えるようにした。日本語が心に浮かんだ時は、すぐに心のなかで中国語に言い換え、自分が日本語を使うのを禁じた。語学の才能がある人はもっとスマートに外国語を習得できるのかもしれないけど、僕みたいなポンコツ脳みそではそうもいかない。とにかく、なりふりなどかまっていられなかった。アホになったつもりで一から積み上げなければ、とてもマスターできるものじゃない。
 正直言って語学は不得意だ。学生時代は英語でさんざん苦労したくちだった。僕にとってアルファベットの羅列はインクの染みにしか見えなくて、ちんぷんかんぷんだった。『試験に出る英単語』を何度暗記しても、覚えたそばからすぐに忘れた。
 それでも一念発起して留学したからには、語学は嫌いだなどといってられない。単語の暗記が苦手だと自分でも自覚しているから、なんども教科書を読んで、テープを繰り返し聞いた。頭で理解するのではなく体にしみこませるしかない。中国人の友人を何人か作ってなるべく彼らとだけ過ごすようにしたり、日本語の本もほとんど読まず、日本のDVDもほとんど観ず、日本人同士の付き合いも極力断ったりして、日本語にはできるだけ触れないようにした。こんな風に中国語漬けの生活を送って、ようやく粗悪品だけど中国語脳らしきものができあがった。日常会話をなんとかこなせるようになり、留学の目的はとりあえず達成できたかなとほっと胸をなでおろした。
 だけど、今度は反対に、日本語が出てこなくて困った。日本人と会話しようとすると言葉がスムーズに出てこない。日本語を話そうとするとつっかえたり、なんて言えばいいんだろうと考えこんでしまったりするし、頭のなかにまず中国語の文章が浮かんでしまうので、それを日本語へ翻訳して話していたりする。言葉の選び方も変だ。硬い言葉をどうしても使ってしまう。一般的に言って、中国語使いはどうしても漢文っぽい言葉の使い方になりがちだ。
 日本語と中国語は、「一杯」、「簡単」、「社会」、「自由」という風に同じ漢字を使った同じ意味の言葉がたくさんあるから、それを現代中国語の発音にしてそのまま使えば済むので助かるけど、なかには同じ漢字を使った熟語でも微妙に意味が違っていたりすることがある。そんな言葉を使おうとすると、どっちが日本語の意味で、どっちが中国語の意味だったのかわからなくなって混乱したりもする。
 僕の知り合いで中国語脳が完璧に出来上がりすぎてしまった人がいる。彼は中国の大学を卒業して、そのままこちらで働き、中国人の奥さんと一緒に暮している。仕事以外はほとんど中国語だけで暮しているようなものだ。ある時、彼と話していたら、
「えっと、朝、太陽が出るのはなんて言うんでしたっけ?」
 などとすっとぼけたことを僕に訊く。
 まさか同時通訳をできるくらいの中国語の技量の持ち主が中国語でなんというのか訊いているわけでもないだろうと思い、
「もしかして、日の出?」
 と答えたら、
「ああ、そうでした。日の出でしたねえ」
 と、彼はほがらかに笑った。
 ここまでくると中国語が母国語になっているようなものなのかもしれない。
 もっとも、彼はかなりの天然ボケで、いっしょにタクシーに乗っていたら、
「いやあ、さっきの歩道橋、いきなり人が渡るから危なかったですよねえ」
 などとまたすっとぼけたことを言う。もちろん、人が歩道橋を歩いて危ないことなんてひとつもない。周囲に歩道橋があるわけでもない。僕は目が点になったのだけど、根が関西人なのでボケられたら、そのまま放っておけない。
「それを言うなら、横断歩道やろ」
 とりあえずツッコミを入れたら、
「えっ?」
 と、今度は彼の目が点になる。どうやら、歩道橋と横断歩道の区別がついてないようだ。
「道の上に橋がかかっているのが歩道橋で、道路に白い縞々を描いたのが横断歩道だよ」
 しょうがないので僕は説明した。
「そうだったんですかあ」
 彼はふむふむとうなずく。なかなか素直な人だ。僕はこんな飾らない人が好きだ。でも、目を白黒させながら僕の話を聞いていたから、ほんとうにわかったかどうかは怪しいものだなと思っていたら、案の定、一週間くらいしてから、
「えっと、道路に白い縞模様をつけたあれはなんて言うのでしたっけ?」
 と、また僕に訊く。
「せやから横断歩道やがな」
 僕は爆笑してしまった。ちなみに、「中国語ではなんて言うの?」と訊いたら、「人行横道(レンシンヘンダオ)」とすぐに答えが返ってきた。
 彼の例から考えてみると、もしかしたら、中国語をマスターしたあまりに日本語が出てこなくなったり、日本語と中国語が混乱するのは天然ボケのなせる業なのかもしれない。僕もけっこう天然だから、人のことはまったく言えないのだけど。



 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第59話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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