つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

学歴だけが全てではない・・・

2006-06-26 | Weblog
 連日、奈良の少年の事件が報道されているが、犯行以前の少年の変化を周囲の人間が気づいていた様子もある。それなのに事なかれ主義で、誰一人手を差し伸べる者もなかったが、両親でさえ気づかなかっただから非難はできない。
 少年の父親は泌尿器科の優秀な医師だとか。この父親も母親から医者になることを強制されて成長したらしく、今度は我が子に宿命付けることを当然のこととして、少年の心の内を斟酌することもなかったのだろう。とすれば、この父親は医師として「医は仁術なり」の原点から大きくずれた、医者という職業人でしかなかったと言えよう。
 また、この少年も、なぜもっと大声を上げて自己主張し、暴れてもいい、精一杯反抗して自分のあり様を分らせる行動をとらなかったのか。このような少年犯罪が起きるたびに、周囲の大人は一様に「おとなしい普通の子だ」という。親の期待に応えて「いい子」でいようとすればするほど内にたまる鬱積は大きい。少年には7歳の時に別れた実母と妹がいるというが、少年にとって実母の存在が心の拠り所にもならなかったのかと思えば、この少年の孤独さが一層哀れに思える。

 今までにもこれに類似した事件はたくさんあり、その度に今の学歴偏重社会のひずみを考えさせられる。機械的な詰め込み教育で知識のみ習得しても、一番肝心な常識や人間性に欠陥のある高学歴人物ばかりでは世の中はお先真っ暗である。どこかのハムのCMではないが「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」というように、現代社会を生き抜くたくましさと常識を兼ね備えた人間であれば、立派に社会の一員として生きてゆけるのである。

 私事であるが、私の父親は自分が勉強嫌いであったため勉強を強いることはなく、これに反し母親は勉強が好きで、戦前の高等女学校を優秀な成績で卒業したそうだが、「勉強は人に言われてするものではなく、自分の意志でするもの」という考えであったため、勉強しろと言われたことは一度もなかった。おかげで姉弟3人の成績は自慢できるものではなかったが、それでも社会に出て勉強をしなかったことで困ったことはない。その変わり日常のしつけには事の外厳しかった。昔はみなそうであったが、それがいつの間にか、学歴偏重になって、今や子どもの一週間のほとんどは塾か習い事に費やされ、元気に外で遊ぶ子どもは少なくなっている。そして、成長して人並み優れた社会的地位を得ても、恥ずかしい犯罪や凶悪な犯罪に手を染める者も少なくない。勉強できる者が立派な社会人になれるというものでもなく、何のための勉強か、何を学んで成長したのか疑問に思うことが多い。こういう現状では、子どもを生むことをためらう若い世代が多いことも、一概に経済的なことだけなく、子どもを育てる環境にも問題があるのではないだろうか。
 どこの親御さんも、我が子だけはいい学校を出て、いい職業についてほしいと切実に願っているが、それも親心である。だが、肝心なのは本人の意志であり、意地とプライドを持って自分の未来を切り開いてゆくたくましさが必要であろう。
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2 コメント

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Unknown (関西のヤングばーば)
2006-06-28 09:58:04
このような事件が毎日のようにおきるのを黙って聞くしかないのがやりきれない。親は子供の叫びをきけ!大声で言いたい。
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親も大変ですね。 (オールドレディー)
2006-06-29 07:43:09
子どもがいないことが、なんだかホッとすることもあります。日本の大学も欧米諸国のように、入学するのはたやすいが卒業するのが大変、というのでなければ、今の大学生は遊び半分で大学へ通っているのが多いのでは。

親御さんの落胆が目に見えるようです。
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