わが購読紙の投書欄に「懐かしい文通友達思い出す」という73歳女性の投稿文があった。
15,16歳の頃、文通をしていたのを懐かしく思い出しました。当時は雑誌などに「文通しませんんか?」という欄があったと思います。私もよくいろんな方と文通していました。その中の一人から「一度お会いしませんか?」と言われ、新見で会うことに。
当日、バスと汽車に乗り、不安と期待が入り交じる複雑な気持ちで新見駅に着きました。改札口で「和田さんですね」と声をかけてくださりすぐに打ち解け、数時間でしたが、楽しく過ごしました。
それから数年間は続いたと思いますが、いつとはなく途切れました。あの人は今頃どうしておられるのかしらと、文通友だちを懐かしく思い出したひとときでした。
私も思い出した。中学2年か3年だったかは忘れたが、私にも同じような思い出が…。当時、若い人向けの雑誌に「平凡」「明星」という月刊誌があって、発売日に貸本屋の新刊棚にに並ぶのを待ちわびたものである。
その雑誌に文通相手募集のページがあって、たくさんの希望者氏名・住所が掲載されていた。自己紹介文を読んで、この人は…と思う人に手紙を書き、返事がくれば文通が始まる。私も2、3人くらいに手紙を出したように覚えている。
ある日、佐世保市に住んでいるという男子高校生から手紙が来た。何となく感じがよかったので、すぐに返事を出して文通が始まった。
しばらくして「写真を交換しましょう」と言われた。容貌にまったく自信がない私、実物も悪いが写真写りはもっと悪い。なので1人で写った写真は少ない。かといって友達と映っているのを送るわけにはいかないし…、困り果てた。
彼から送られてきたのは凛々しい制服姿の上半身写真で、今でいう“イケメン”だったからなおのこと。しかたなく遠くから撮ったワンピース姿の、前で両手を組んだ全身写真を送った。「夜目遠目」どいうから顔は少しはごまかせるだろうと…。
今なら佐世保へは日帰りできるが、今から60年も昔だ。そう簡単に「会いましょう」とはならなかった。むしろそれでよかったのだ。私に会ったら、きっとガッカリしただろうから…。
当時は純真だったから疑いもしなかったが、彼のイケメン写真も果たして本人かどうか…、まあ「知らぬが仏」で良かったと思っている。
どれくらい続いたか覚えていないが、いつとはなく終わっていた。一度も会ったことのない“イケメン”のペンフレンドに淡い恋心を抱いて、せっせと手紙を書いたあの頃が懐かしい。
今はやりのSNSなら、この人はと思ったらコメントを入れて、ネットで写真を交換する。気に入ったらすぐに会う約束を…、と出会いまでに大した時間は要しない。だが、昨今のSNSの出会い系サイトは犯罪に巻き込まれる可能性もあるから怖いネ!
私も中学3年当時2人と文通していました。写真も交換して、やっぱりイケメンだけとは
長く続いていました。名前も住所も今でも覚えていますが、はてさて生存しているか?
岩手県の胆沢郡・・・。手紙送ってみようかな!!!
花の容(かんばせ)紅顔の美少年?になりきって、文を交わす!
SNSの手軽さは犯罪にも直結ですが、やり取りするのに最低で1週間昔は時間の余裕が社会の円滑剤でもあったように思います。
ええ、このsirousagiも御多分に漏れず、その頃東映のニューフエイス
春日倶子ファンクラブのご縁で福知山在住の年上のお姉さまとこまごま、今から思うと酷い悪筆、乱文で穴があったら入りたいような。
その方のご結婚が決まり、遠い福知山のご自宅へ遊びに行った日の事は今でも時々夢に見るくらいです。
残念ながらイケメンとの文通はありません
ちょっと心残りですね。
いまでも凛々しい制服姿の彼の顔を思い出すことができます。
あの頃の純情な乙女心はどこへやら、今では面の皮の厚い厚かましいおばさんに。
無性にあの頃が懐かしく思い出されます。感傷の秋ですかね?
同年代の女性は同じ思い出に浸ることができますね。
今のSNSと違って、手紙を出して返事がくるまでは約1週間ほど掛かりました。その間の待つことの楽しみ、返事が来たときの心のときめき、今の若い人たちには想像もできないでしょうね。
中学生時代が一番純な乙女でした。あの頃に戻りたいですわ。
男性の方でもやっておられましたか。お会いになったこともおありとか、なかなか積極的だったのですね。
やはり文通は異性とでなければ…。同性同士の文通というのはあまりいただけません。あのころはよかったですねえ。