ロンドン五輪のメダリスト71人が20日、東京・銀座で凱旋パレードをした。首にメダルをかけた選手たちは、オープンカーや屋根のない2階建てバスに乗って銀座中央通りの約1キロを20分ほどかけて進み、沿道の人たちに笑顔で手を振った。平日の午前にかかわらず、メダリストたちをひと目見ようと、50万人もの人々が銀座中央通りを埋め尽くした。(朝日新聞より)
この朝日新聞の記事について、俳優・津川雅彦さんが自身のブログに『大衆の心を察知するのも記者の心得』と題して、こう書いている。
この月曜日に、オリンピックのメダリストが揃って銀座をパレードした!
平日にもかかわらず集まった観衆は、なんと50万人!
写真で見ると、それは、それはびっくりするような物凄い人出だ!
朝日は写真の下に『メダリストを一目見ようと集まった人々』と書く!
『一目見ようと』ではなかろう!
『メダリスト達に感謝をしたいと』だろう!
メダリストだけじゃない!
日本の誇りを掛けて、オリンピックで、本気で戦ってくれた人達に、
観衆は感動し、元気を貰った有難うを言いたくて、集まってきたんだ!
一人一人に聞いて見ろ!
大新聞ともあろうものが、『一目見たさ』など!火事場の野次馬じゃあるまいし、
記事の『肝心』を忘れて書いている!
日頃から、本音を書かないしまりのない社風は、こんな時に思わず出てしまうものだ!
益々精進すべし!
しかし、「ひと目見ようと集まった」と書いているのは朝日新聞だけではなく、NHKニュースでも、他の新聞でも同様の表現をしている。集まった50万人の皆が皆、津川さんのように思っているわけではなく、「ひと目顔が見たい」という野次馬根性でなくて何だろう。暑い中集まって、歓迎ムードを盛り上げた人たちは、みんな「ひと目見たい」という気持ちだったに違いない。
メダリストの活躍はすばらしかった。人々に感動を与えたことも確かだろう。しかし、代表選手に選ばれた限り、頑張るのは当たり前だし、そのために努力をするのも当然のことだ。厳しいことをいうようだが、それが選手の仕事、役目であろう。彼らの功績はたたえるべきだが、感動はしても、私には感謝するという感情はない。
津川さんは、最近、日テレの「たかじんのそこまで言って委員会」のレギュラーとなり、引退した三宅さんの席に座っている。年齢からして考え方が多分に保守的で、三宅さんや石原都知事とよく似ていると思うが、物事を小難しく考えるところはババも似ているかな? まあ、これしきのことで目くじら立てる津川さんは、いまだ若い情熱をお持ちだということだろうか。
パレードといえば、大洋ホエールズ(現、横浜DeNAベイスターズ)のエースとして活躍した平松政次さんが、岡山東商時代に甲子園に出場、昭和40年春の選抜優勝投手になったときのことを思い出す。彼は、4連続完封勝利という球史に残る輝かしい記録を作り、決勝で市和歌山商に延長13回サヨナラ勝ちで初優勝。39回連続無失点は、今でも選抜大会の最多イニング無失点記録である。
東商ナインが帰岡したときの岡山駅周辺はものすごい人で、これほどの人が集まったのは初めてではなかったろうか。岡山駅から東商高までオープンカーに乗って凱旋パレードをしたが、5キロ余りの沿道の両側は人、人、人で埋め尽くされ、大変は歓迎振りだったと、マスコミは大きく報じた。
東商校は父と弟の母校であり、私も応援に力が入ったのはいうまでもない。母と2人で、平松投手を「ひと目見たい」と何時間も立ちっぱなしで待ったものである。その頃の平松投手は、日本ハムの斎藤佑樹投手によく似た、端正な顔立ちの美少年で、女生徒はもちろんオバサンに至るまで、その騒ぎようは尋常ではなかった。
あれから47年、当時、24歳のうら若き乙女? の私も71歳のババに。今では両親も弟も泉下の人となって、あのパレードを語り合う人はいなくなってしまった。
さて 東京に誘致となると、どれくらいの人が賛成にまわるか? は未知ですね。
パレードと言えば、南海のエース「杉浦忠」を擁しての御堂筋優勝パレードは圧巻でした。車について走ったものでした(笑)
パレードが盛り上がったわりには、東京への誘致に対しての気運はそれほど盛り上がらなかったと聞きます。
群集心理で集まった人も多かっただろうし、人の気持ちはすぐに冷めてしまいます。
4年先のことなど誰もわかりませんものね。