もしもし下北沢 よしもとばなな 毎日新聞社
お父さんが知らない女の人と一緒に死んでしまった。
残された私とお母さんは、新しい人生を始めようと
思い立った、下北沢で。
どこにでもある
でも、たったひとつの人と街の愛おしい物語
( 日販MARCより )
> 私は窓辺に行ってお母さんの隣に座った。
この人は、この年齢から突然人生が白紙になるなんて。
がんばって育てるような年齢の子どももいないし
ばりばりに 働かなくてはいけないわけでもない。そう思った。
そのうえ私たちには いつでも重く暗い後悔の影がこびりついていた。
ある意味では、なにをしたって、ここで暮らしてみたりしたって
もう私たちは二度とは元には戻れなかった。
ずっとこれを抱えていくしかないのだとわかっていた。
たまに全てを忘れたかのような明るい時間があっても
その底にはいつもその影があった。
それを全部持って歩いていくのが人生だともう私たちには
痛いほどわかっていた。
> でもまあいいや 今は今だし、ここはここ
今日は今日しかないし。
私の暮らしている場所から下北沢は近い
若い頃は本当によく行った。
マサコというJAZZ喫茶やジローというPIZZA屋があった。
いまはもうないけど・・・。
最近は滅多に行かないシモキタ
それでも、この街が好き
時間や空間が混線しているような独特な街
そのエネルギーが息苦しくなったら
そのまま、小田急線で江ノ島のねこに会いにいけばいいし。
あの頃の下北沢はもう、どんどん遠くにいってしまったけど
それまでの1日1日が自分なのだろう。
もしもし、下北沢。。私はいまだに人生の意義なんてわかりません・・・
あの頃と同じようにぐるぐる歩いているだけです。
「もしもし下北沢」は感覚的に共有できる物語だった。
そこには確かに人間らしい、あたたかい光景がある。
よしもとばななさんの文章に惹きつけられた。