ばらになった王子
C ・ ブレンターノ 文
L ・ ツヴェルガー 絵
冨山房
ロザリーナひめは、美しい髪が自慢で花が大好きな高慢なおひめさま
ひめに結婚の申し込みをすげなくことわれたタエマナシ王子は
魔女に相談し、四季ざきのばらの花に姿を変えます。
そのばらの花びらを口にしたロザリーナひめは身ごもり、
やがて女の赤ちゃんを産み落とすのですが・・・
( 冨山房紹介文より )
ツヴェルガーの幻想的で美しい絵をみていると、不思議な気持ちになる。
お話は少しグロテスクでもあるのだけど・・・。
いまの季節 さんぽをしていると バラがきれい
私はバラを観ると なぜか幻想的な気持ちになります。
まだ、どこへ行っても はしゃぐ気にはなれないのだけど・・・。
リビングに飾った母の写真
とても笑顔の写真なんです。
うん、うん、写真は笑顔で撮っておくものですね。
今夜はサッカー パラグアイ戦
となると・・・ カレーかな 晩ご飯は ( 笑 )
それでも、私は検定・合格!
あなたの主婦力をためす検定
ねんね
文 さえぐさ ひろこ
アリス館
動物たちの寝姿の写真絵本です。
キツネ、ライオン、キリンに カバやイヌ、ネコ
ページをひらく度に微笑んでしまう。
きりんって、こんなふうに寝るんだ。
カワイイ~
「ねんね」 こんな言葉があったんだよね。
<ほんわか>していて いい響き
ウチのワンコも「ねんね」している。
おなかを出して寝ているよ。
今日は暑い日だったので 疲れたのかしら
きょうのさんぽみち
一昨日の夜から、熱が出て寝込んでしまった私。
でも、今日は回復 !
実家に行って父の様子をみてきました。
ガクッ・・・としているので2人で庭の手入れをしました。
紫陽花がもうすぐ咲くね。
母の施設から持ってきた山野草を植えました。
娘も 「第二新卒」 として就職活動を始めました。
学生の時は面接でガチガチになっていたのに
今は面接でも<本音>で会話が出来るそうです。
駄目だったら、バイト&専門学校かな・・・
なんか、ハツラツと就活している娘。
明日は みんなのところへ遊びにいきますね。
工藤直子・詩 佐野洋子・絵
あいたくて
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた
そんな気がするのだけど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
今日は役所にいって、母の「 死亡届 」を提出したり
施設にいって「 退所届 」や母の「 私物 」の処分をした。
母が この世にいた形跡がどんどん消えていく・・・
もう、この町には 訪れることもないだろう。
私はこの町が好きになっていた。
人の気持ちなんかに関係なく
春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて、
いつも 美しかった。
私はいつもなにか<ことづけ>を
にぎりしめて、この町を歩いていた。
シズコさん
佐野洋子
新潮社
私は正気の母さんを 一度も好きじゃなかった。
いつも食ってかかり 母はわめいて泣いた。
そしてその度に後悔した。
かわいそうな母さん。
かわいそうな私達。
人生って
気がついた時はいつも
間に合わなくなっているのだ。
( 書籍帯より)
『 シズコさん 』 書評 角田光代
絵本 『 100万回生きたねこ 』の佐野洋子さんが書いた
<お母さん>の本だ。
せつなくて、かなしくて、あったかくて、何度も中断しながら読んだ。
ありがとう・・・ 少しだけ心が軽くなれた気がする。
きょうのさんぽみち
母の葬儀の日は
5月だというのに、とても寒くて 朝から雨が降り続いていた。
「 五月に降る雨は、太く、青くにおう。
傘は重くなる 」
( 日本の名随筆より 増田れい子・雨 )
火葬場へ向かう途中
山の緑とヤマブキの花の黄色が 雨にぬれていて
そのうつくしさに心をうばわれた。
万葉集に
「 山吹の立ちよそひたる山清水汲みに
行かめど道の死らなく 」という歌がある。
ヤマブキの黄色と清水(泉)で「黄泉(あの世)を表す。
ヤマブキは「面影草」とも呼ばれ、その花の咲く水辺で
死者に会うことができるという。
黄泉の国へと旅立つ母の棺をのせた車窓から
緑とヤマブキの黄色を眺めながら
ぼんやりと
棺の中へいれた 母のお気に入りだった着物に「名前」を
書かなかったなあ ~とか ( もう母は施設にいるわけでないのに )
私が 先に癌で死なないで母を送れてよかったなあ~ とか 思っていた。
それでいて
何を思っても、考えても、
すべてが空っぽのような気がした。
どうしたら、その 「空白」を埋めることができるのだろうね?
今日はもう17日のAM2時頃・・・
朝がくれば、ごく普通の日常生活が始まる。
掃除して洗濯して、犬と散歩して ご飯を食べる。
あ~そのうち 図書室にも行かなくては、ね。
いろんな母の顔が浮かんでくる。
健康だった頃の母
呆けて酷い状態だった頃の母
呆けが進行して穏やかになった頃の母
80年の母の生涯を・・・
いつか、すべてを理解する時がくるのだろうか。
たかだか、何十年かの人間の命を、グリム童話は面白く語っている。
「神様が世界を創り、生き物たちの寿命を考えた。
ロバには30年の命をあげた。
しかし、ロバは背中に重い荷物をのせての30年は辛すぎる、
そこで神様は、18年引いて、12年とした。
犬にも、年老いて餌を食べるにも歯がなくなって、ただヨダレを
垂らして唸っているのは可哀想と12年引いて18年として
猿も道化となって30年は長すぎると10年削って20年
人間だけが、長生きがしたいというので
30年にロバの辛抱の18年
老いて横たわる犬の12年
そして最期は猿の10年を足し70歳とした。
85歳を過ぎる寿命は 15年をある生き物から差し引くと
さて、この生き物は・・・ねこ。」
このグリム童話の物語は、人が自分の寿命と思うところの寿命は
実はロバ、犬、猿、猫から足された時間なのだという教え
人は植物や動物の命を得て生きているのだ。
母を看取り
人の命のせつなさと尊厳を知った気がする。
お悔やみのお言葉をありがとうございました。
とても とても 感謝しております。
私は元気で過していますから!ご安心を・・・。
昨日、母がこの世を去りました。
この日、 母は <今日、明日・・・> という容態ではなく
私は 母のこれからのケアプランを施設のスタッフと話し合っていました。
その話し合いが終わり
母の部屋に戻ると 心停止していました。
わずか10分ぐらいの間の出来事でした。
丁度、施設内は おやつの時間
音楽やTVの音が流れていて にぎやかで
おやつはプリンだったのかな・・・
楽しい生活感のある空気に満ちていました。
そんな雰囲気の中
母はひとりで フゥ~と息を引き取ったようです。
無理な延命処置もなにもなく
ごく自然に 植物が枯れるように・・・
もちろん、まだぬくもりがあってね。
そっと、目を閉じさせてあげました。
スタッフも施設のお友達も集まってくれた。
認知症になってから12年・・・
長い間、苦しかったよね、お母さん
母は 自由になれたんだと思います。
これから
母の葬儀です。
いままで母のことで温かいコメントをくださった皆様
本当にありがとうございました。
「母の日」
母の施設へ行く。
昨日より発熱 しているという。
声をかけても 手を握っても反応がない。
でも、苦しんでもいない。
もう自力で水を飲むことも出来なくなった。
自ら終わろうとする命
看護師さん、介護士さんが手厚いケアをしてくださっているが
ごく 自然なカタチで終わりの時がきている気がした。
もう母には 特別な医療を施行していない。
ただ、自然に 穏やかに・・・ それだけを願っている。
< 施設の庭で 撮影 >
何もできない。
何もしない辛さに耐えられず・・・
栄養などの点滴をお願いする。
「点滴も 3回ぐらいが限界かな
おそらく血管がボロボロだし、もう吸収できないと思いますよ。」
だのに
ごめんね、お母さん
「行かないで」って まるで駄々っ子みたい私。
ラブ・ユー・フォーエバー
ロバート・マンチ 作
梅田俊作 絵
乃木りか 訳
岩崎書店
『 アイ・ラブ・ユー いつまでも
アイ・ラブ・ユー どんなときも
わたしが いきているかぎり
あなたは ずっと、わたしの あかちゃん 』
母はまいにち、子どもに歌った。
そして時がすぎて・・・
年老いた母を抱き、今度は子が 母が歌っていた あの歌を歌う。
『 アイ・ラブ・ユー いつまでも
アイ・ラブ・ユー どんなときも 』
明日は「母の日」
「ベストマザー賞2008」とかいうのに
黒木瞳さん、小渕優子さん、坂東眞理子さん
勝間和代さん、栗原はるみさんが選ばれたという。
( 母子手帳を持つ妊婦さんたちの投書で選出された。)
理想の母のイメージは やっぱり 美しく、賢く、料理上手なのね。
ピンクリボンキャンペーン 乳がんセルフチェック
明日は 母の施設へ行くつもり
アイ・ラブ・ユー いつまでも
アイ・ラブ・ユー どんなときも・・・
ON THE ROAD ( 路上 )
ジャック ・ ケルアック 著
青山 南 訳
河出書房新社
「 It's an anywhere road for anybody anyhow 」
「誰でもが自由にどこへでも行けるどんな道もある」
< オン・ザ・ロードより >
娘が退職した。
すこしまえの私なら・・・
黄金週間あけに 入社したばかりの会社を辞めてしまうような
若者には呆れて 「 なんて、ふがいない 」 と思っていた。
いまでも そう思っては いる。 「 ウスバカゲロウ社員」・・・
昨夜、退職届けを出して 会社から帰宅した娘に
「ご迷惑をおかけして すいませんでした。」と頭を下げられた時
親として どんな言葉を返すのが相応しいのか、戸惑ってしまった。
「 ・・・・ 」
ひりひりとした ひどくせつない気持ち
あ~ ウエットな私
「なんて ふがいない」 部分はこれから娘が自分で埋めて
いくしかないのだろう。 だから、私は何も言わない。
人の心は せっぱつまってしまったら とても脆くなるようだ。
いまは「ぼんやり」 してみるのもいいのかも知れない。
休養して 心に余裕が出来たら また、何かできるはずだから。
翌朝 とぼとぼと と 歩いていたら
おおきなケヤキの木の下で友達に会った。
娘のことを聞かれる。
「 やめちゃったよ!」と私
友達に娘さんのことを聞く。
「 やめちゃったよ!」と彼女
友達の娘さんは超有名校の学生だった。
なぜか、2人で笑ってしまった。
達観できるようになった。 これって、年の功かしら
それとも
おおきなケヤキの木からの
木もれ陽がまぶしかったせいかしら
深刻にならない。シンプルな生活がいい。