ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

検査不要論

2007-07-06 | ISO外論
ある友人から質問を受けました。
「検査はいるのか、いらないのか・・・やっぱりいるような気がする」
この質問を考えているとき、頭に浮かんだことが、2つあります。
ひとつは、古くから品質管理で言われてきた言葉、「品質は工程で作りこむ」。
この言葉には「検査で作れない」という言葉が続きます。

60年程前、日本にアメリカ流の品質管理が入ってきたはじめはアメリカに輸出した製品のクレームの返品が山積みされたとき、こんな不良はまともに検査すれば、はねることができるはずだ。ということもあり、軍の検査規格方式:MIL(ミル)が導入されたのが初めのことです。軍の規格は軍に納入される部品や製品を検査する規格で、品質の悪い納入先からは納入されないように、検査の厳しさを調整するなどの統計理論を使ったもので、供給者側の品質管理には必ずしも役に立つ方法とはいえません。
その後、デミング博士の指導もあり、品質管理は検査だけでなく製造、設計、営業など全社が協力して実施する活動であることが、定着してきました。

当時の日本の工業は海外の技術を導入して製造するもので、製造主体の品質管理が発展しました。このころから日本の特色となった品質管理が「品質は工程で作りこむ」です。
けして検査が不要ということではありません。

話が長くなりましたが、頭に浮かんだもうひとつのことは、40年も前のこと、アメリカの機械工業の現場を見学したときのことです。現場にときどき、白衣を着た人がいるので案内の人に聞いてみました。検査員とのことでした。日本の検査員と違い非常に権威ある態度に驚いたことを記憶しています。今考えると、まるで顧客の監査やISOの審査のようで、違和感をおぼえました。当時の日本では、現場の作業員も検査員も平等ですが、何か権威主義に見えて気になりました。
日本では検査員と作業員の協力があって品質のよいものが出来ます。
検査の目的は合格、不合格の判定をすること、検査で得られた情報を工程や生産技術、設計に伝達することです。合格不合格の判定だけでは、半分の仕事しかしてないことになります。

日本流の全社が協力する品質管理をしますか、それとも古い欧米流の権威主義の品質管理をしますか、これからの日本のものづくりの将来を決める選択と思います。
「検査はいるのか、いらないのか」は明日も続けます。
コメント
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