ここ何回か心に残った言葉をもとにして書いている。
言葉は不思議なものでそれを話した人が見えないと何も感じない。今引き合いに出すこともないと思うが、ISOの標準や規程は無味無臭、本来人間的なにおいが必要なのに何も感じられない。心が入ってないからなのだろうか。
詩人の佐藤春夫が、詩を書く極意は、と聞かれ、「言葉は浅く、心は深く」と話したことは前に書いた。組織の全体に通用する文書を書くとき、このような心構えが必要である。
さて、ここしばらくのテーマは、「高シナジー経営」である。
最近起きている組織犯罪は、「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉にあるように、「ことなかれ主義」や「やすきに流れる」考えが、負のシナジー効果を生み,とどまるところを知らない。「やせ我慢」が足りないことは、前回書いた。
今回はあの西堀榮三郎先生(第1次南極越冬隊長)の「異質の協力」という言葉を考えたい。始めてこの言葉を聞いたときは、国際化の幕開けの時代このような考えが必要なことを感じた。改めて考えると、世代のギャップ、考え方の多様性など抱える、いまの日本の組織には、異質の協力が必要なことがわかる。
一つ一つを正誤や善悪で分けるのでなく、異質だからこそ協力するといういう考えで、理解しようという融通をきかせた「異質の協力」が必要である。
そのためにも、異質を包み込む心の広いビジョンや方針が待たれる。
言葉は不思議なものでそれを話した人が見えないと何も感じない。今引き合いに出すこともないと思うが、ISOの標準や規程は無味無臭、本来人間的なにおいが必要なのに何も感じられない。心が入ってないからなのだろうか。
詩人の佐藤春夫が、詩を書く極意は、と聞かれ、「言葉は浅く、心は深く」と話したことは前に書いた。組織の全体に通用する文書を書くとき、このような心構えが必要である。
さて、ここしばらくのテーマは、「高シナジー経営」である。
最近起きている組織犯罪は、「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉にあるように、「ことなかれ主義」や「やすきに流れる」考えが、負のシナジー効果を生み,とどまるところを知らない。「やせ我慢」が足りないことは、前回書いた。
今回はあの西堀榮三郎先生(第1次南極越冬隊長)の「異質の協力」という言葉を考えたい。始めてこの言葉を聞いたときは、国際化の幕開けの時代このような考えが必要なことを感じた。改めて考えると、世代のギャップ、考え方の多様性など抱える、いまの日本の組織には、異質の協力が必要なことがわかる。
一つ一つを正誤や善悪で分けるのでなく、異質だからこそ協力するといういう考えで、理解しようという融通をきかせた「異質の協力」が必要である。
そのためにも、異質を包み込む心の広いビジョンや方針が待たれる。