仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

将棋の殿様 / 入船亭扇蔵(四代目)

2021年08月15日 | エンタメ
落語『将棋の殿様入船亭扇蔵(四代目)。
噺は、「ある藩の殿様が将棋に凝り始めたのだが、相手の金銀を飛び越えて飛車を動かしたり、自分の駒を取ってはならぬ、余は二十五万石の大名であるぞ等とやりたい放題で、とても勝負事にならない。誰に負けることもなく、すっかり物足りなくなった殿様は、負けた者は鉄扇で頭を打たれるという決め事を打ち出し・・・」という内容。
規則無視に動く殿様の駒の動きは無茶苦茶で、誰も殿様に勝てるわけがなく、家臣の頭はすぐにこぶだらけだ。
ここで登場するのが御意見番、田中三太夫。
幼い殿様に将棋の手解きをしていたという爺さんなので、傍若無人な殿様も、苦手な三太夫が相手では卑怯な手も使えないのだった。
さて、演者の四代目入船亭扇蔵師匠は、入船亭扇遊師匠の弟子。
二ツ目時代から、「大江戸再発見講座」、「男の着物講座」といった複数のカルチャー教室の講師を務めたり、映画『しゃべれどもしゃべれども』(2007年/平山秀幸監督)」に出演するなど、広く活躍されているようだ。
落語協会には現在200人ほどの真打がおられて、その190番目くらいにいるのが自分だというようなことも話されていたが、落語家さんの世界というのも大変そうだ。

牡丹灯籠 お札はがし / 入船亭扇遊

2019年01月26日 | エンタメ
落語『牡丹灯籠お札はがし入船亭扇遊
噺は、「根津の清水谷に萩原新三郎という内気な青年がいた。浪人ながら商才があった父親・新左衛門が残した蓄財で不自由無く暮らしていたが、あまりに外出しない様子を心配した医者の山本志丈が梅見に誘う。その帰り、用事があるからと牛込に屋敷がある旗本・飯島平左衛門の娘である露が住んでいる柳島の寮に立ち寄った。引き合わせてもらい意気投合した新三郎と露。二人共また会いたいと願ったのだが、露は死んでしまい・・・」という内容。
山本志丈によると、露の死因は、"恋こがれ死に"だという。
そんなに会いたいと願っていたのなら、互いにさっさと会いに行けばよかったと思うのだが、露は旗本家のお嬢様だし、そう簡単にはいかなかったのだろうか。
これは、初代三遊亭圓朝(1839年~1900年)師匠が創作した全22章から成る物語『牡丹灯籠』の中の一節だが、六代目三遊亭圓生(1900年~1979年)師匠は6章にまとめ、その中の露が新三郎に祟るくだりが、この『お札はがし』で、このあと『栗橋宿』へ物語は続いていく。
さて、演者の入船亭扇遊師匠は、平成30(2018)年3月に「平成29年度(第68回)芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)というのを受賞されているようだ。
素晴らしい。

蜘蛛駕籠 / 入船亭扇遊

2018年12月18日 | エンタメ
落語『蜘蛛駕籠入船亭扇遊
噺は、「"へい駕籠、へい駕籠"と声を掛け続けてもなかなか客に乗ってもらえない駕籠屋。相棒が用を足しに離れる時に"しっかり客を捕まえておけよ"と言われ、声を掛けたものの・・・」という内容。
新米の担ぎ手が声を掛けたのは、いつも煙草の火を借りたり、弁当を使う際に茶や湯を出してもらっている向かいの茶店の主人。
前掛けをして、両手には箒と塵取りを持ってる人に声を掛けちゃいけない。
(^。^)
さんざん世話になっているのだから「俺の顔くらい覚えておけ」と怒鳴られるのも当然だ。
さて、落語協会のウェブページで演者の入船亭扇遊師匠のプロフィールを見てみると、「趣味 = 何もしないこと」と書かれている。
何もしないことを続けるというのはナカナカに難しそうだ。
(^_^;)

お見立て / 入船亭扇遊

2018年11月09日 | エンタメ
落語『お見立て入船亭扇遊
噺は、「金離れのよい上客、杢兵衛が花魁の喜瀬川目当てに吉原遊郭へとやって来た。しかし、杢兵衛に会いたくない喜瀬川は、"病気で寝ているので会えない"と伝えるよう喜助に頼む。それでも帰らない杢兵衛に喜瀬川は・・・」という内容。
牛太郎の喜助がどれだけ言っても「会いたくない」の一点張り。
せっかく来てくれた客なのに、"あん畜生"と言い出すし、「どれだけ金を使わせたと思ってるんですか」と喜助が言っても、無駄。
終いには、死んでしまったと言えと、とんでもないことを言い出すのだった。
「お待ちしておりました」と二階に上げた喜助もこれでは立場がないだろう。
(^_^;)
この噺は、フランキー堺主演の映画『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)のエピソードに使われもした落語で、『居残り佐平次』、『品川心中』などと並ぶ"廓噺(くるわばなし)"のひとつだが、この手の噺を聞くと、面白いのはさることながら、手玉にとられる男の情けなさに同情もしてしまうのだった。
さて、演者の入船亭扇遊師匠は、落語協会所属。
同協会のウェブページによると、"携帯電話も持っていない古いタイプの人間"なのだそうだ。

文違い / 入船亭扇遊

2018年10月22日 | エンタメ
落語『文違い入船亭扇遊
噺は、「飯盛女・お杉。父親が二十両を無心してきたので何とかならないかと相談した半七は半分の十両ほどしか用立てできなかった。同じ馴染み客の角蔵には、患っている母親に唐人参を飲ませたいと言って金をせびり、まんまと十五両をせしめた。しかし、お杉が必要としているその二十両の理由とは・・・」という内容。
何度も足を運ばせようと、初めての客には背が高いからと誉め、背が低ければ"山椒は小粒でヒリリと辛いよ"と誉め、どうにも誉めようが無ければ、"様子がいいねぇ"とよく分からない褒め方をするのだという。
そんなようなことで鼻の下を伸ばすのだから、男なんて単純なものだ。
(^_^)
田舎者の角蔵には年季が明けたら一緒になると言い、半七にも、"うちの人"と言いながら角蔵を"あん畜生"と言うお杉だが、こういうのも常連客を引き離さない飯盛女のテクニックの一つなのだろう。
ところが、そんなお杉も自分が惚れてる芳次郎にはまったく同じことをされるのだから、男でも女でも、人間というのは所詮同じようなもののようではある。
(^。^)
さて、演者の入船亭扇遊師匠は、昭和53(1978)年に始めた古今亭志ん輔師匠との二人会を40年にも亘って続けているのだという。
これは何とも凄いことだと思う。

唐茄子屋政談 / 入船亭扇遊

2017年12月04日 | エンタメ
落語『唐茄子屋政談入船亭扇遊
噺は、「毎晩のように吉原に通い詰めるご大家の若旦那。このままだと勘当になってしまうと言ったものの、"若旦那が勘当になったら私が面倒見ますから、もっと一緒にいてくださいよ"という花魁の言葉を真に受けて遊郭に入り浸ってしまった。本当に勘当になってしまった徳だったが、花魁はもう顔を見せず、遊郭から追い出されてしまう。家に帰れず、親類も頼れず、友達を頼ったものの、やがては行く所がなくなってしまった。どうしようもなくなって吾妻橋から身投げをしようとしたところ、偶然通りかかった叔父に助けられ・・・」という内容。
家族、親類が集まった席で、「勘当、結構でございます。お天道様と米の飯はどこへ行ってもついてきますよ」と調子のよいことを言って家を出て行った手前、徳は家には帰れない。
遊郭では誰からでもチヤホヤされる若旦那だが、それはいい金ヅルだからなのであって、そこに恋愛感情があるわけではない。
「傾城の恋はまことの恋ならで 金持ってこいが 本のこいなり」
これが徳には分らなかったわけだ。
(^_^;)
「あの時、親の言うことを聞いておけばこんなことにはならなかった」と後悔したところで後の祭りだったが、最後の最後に叔父さんに助けられたのだから、徳の運はまだ尽きていなかったのだろう。
何かと小言の多いこの叔父さんの唐茄子売りを手伝うことになる徳にとっては生まれ変われる最後のチャンスだった。
演者の入船亭扇遊師匠は、九代目入船亭扇橋(1931年~2015年)師匠の弟子。
とてもよく通る声で活舌も良く、目力がある。
(^。^)
江戸っ子の叔父さんや唐茄子を売りさばいてくれる(お節介な?)長屋の住人の切符の良さがとてもよく伝わってくる。