仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

牡丹灯籠 お札はがし / 入船亭扇遊

2019年01月26日 | エンタメ
落語『牡丹灯籠お札はがし入船亭扇遊
噺は、「根津の清水谷に萩原新三郎という内気な青年がいた。浪人ながら商才があった父親・新左衛門が残した蓄財で不自由無く暮らしていたが、あまりに外出しない様子を心配した医者の山本志丈が梅見に誘う。その帰り、用事があるからと牛込に屋敷がある旗本・飯島平左衛門の娘である露が住んでいる柳島の寮に立ち寄った。引き合わせてもらい意気投合した新三郎と露。二人共また会いたいと願ったのだが、露は死んでしまい・・・」という内容。
山本志丈によると、露の死因は、"恋こがれ死に"だという。
そんなに会いたいと願っていたのなら、互いにさっさと会いに行けばよかったと思うのだが、露は旗本家のお嬢様だし、そう簡単にはいかなかったのだろうか。
これは、初代三遊亭圓朝(1839年~1900年)師匠が創作した全22章から成る物語『牡丹灯籠』の中の一節だが、六代目三遊亭圓生(1900年~1979年)師匠は6章にまとめ、その中の露が新三郎に祟るくだりが、この『お札はがし』で、このあと『栗橋宿』へ物語は続いていく。
さて、演者の入船亭扇遊師匠は、平成30(2018)年3月に「平成29年度(第68回)芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)というのを受賞されているようだ。
素晴らしい。

牡丹灯籠・栗橋宿 / 桂歌丸

2018年11月30日 | エンタメ
落語『牡丹灯籠栗橋宿桂歌丸
噺は、「根津清水谷。父・新左衛門が残した家に、二十二歳になる学問好きの萩原新三郎という浪人が住んでいる。父が残した貸し長屋の隣に孫店を建て、伴蔵とお峰の夫婦を住まわせ、家来のように使っていた。ある夜、長屋に住む易の名人と評判の高い陰陽師・白翁堂勇斎が、人の声が気になって雨戸の節穴から新三郎の様子を伺ってみると、まるで骸骨にしか見えない女性と手を取って語り合っている。夜が明けて早速訪ね、人相を見てみると、新三郎の顔にはありありと死相がでているのだった。二人は、末は夫婦にとの約束をしたと言うのだが・・・」という内容。
これは、初代三遊亭圓朝(1839年~1900年)師匠が、中国明代の怪奇小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』を翻案した怪奇物語集『御伽婢子』、深川の米問屋に伝わる怪談、牛込の旗本家で聞いた実話などに着想を得て、1864年に創作したという怪談話。
1884年に出された速記本では二十二章から成り立っているとのことだが、近年は六代目三遊亭圓生(1900年~1979年)師匠がまとめた『お露新三郎』、『お札はがし』、『栗橋宿』、『関口屋のゆすり』等に分けて演じられているようだ。
さて、演者の桂歌丸(1936年~2018年)師匠は、五代目古今亭今輔(1898年~1976年)師匠の弟子だったが、一度落語の仕事を離れ、復帰した際には、兄弟子だった四代目桂米丸師匠門下となった。
落語の世界から離れていた期間は、化粧品のセールスマンをしていたそうで、随分と苦労されたようだ。
平成30(2018)年7月2日に逝去された歌丸師匠。
今回聞いたのは57歳の時に収録されたものらしいが、出囃子が『落語研究会』で使われているものだったので、少し驚いたのだった。
この時の歌丸師匠はさすがに髪が黒々としていた。
すでに額が広かったけれども。
(^。^)

牡丹灯籠・栗橋宿 / 三遊亭圓生(六代目)

2018年11月23日 | エンタメ
落語『牡丹灯籠栗橋宿三遊亭圓生(六代目)。
噺は、「根津清水谷の浪人・萩原新三郎が妙な死に方をした。幽霊に憑り殺され、その後も幽霊を見た者は七日経たないうちに命が亡くなるという噂。新三郎の使用人だった伴蔵とお峰の夫婦は、生まれ故郷の日光街道・栗橋に移り住んだ。従兄弟である馬方の久蔵に頼んで、表店に四間の間口の一軒家を二十八両で買い、江戸荒物関口屋という店を開いたのだが、これが安くて品物が良いと評判が立ち、店は六人の奉公人を置くまでに繁盛し・・・」という内容。
この『栗橋宿』は、初代三遊亭圓朝(1839年~1900年)師匠が、『剪灯新話』という中国(明朝時代)の怪奇小説集に収録された小説『牡丹燈記』や、怪談、実話などから着想を得て創作したという怪談話『牡丹灯籠』の一部分。
1884(明治17)年刊行の圓朝師匠口演の速記本『牡丹灯籠』は、全22章で構成されているとのことだが、演者の六代目三遊亭圓生(1900年~1979年)師匠は、『お露新三郎』『お札はがし』『栗橋宿』『関口屋のゆすり』に分けて演じており、この『栗橋宿』は、野球のゲームに例えると、6回の裏から7回の表あたりに位置するエピソードなのだそうである。
(^_^)
伴蔵はどうにも悪い男のようだが、その辺りは『お札はがし』で話されているらしく、この『栗橋宿』だけでは怪談話という気がしないのだった。