仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

火焔太鼓 / 古今亭志ん輔

2020年10月21日 | エンタメ

落語『火焔太鼓』古今亭志ん輔。
噺は、「道具屋をしている呑気な甚兵衛は商売が下手で、いつも口うるさくてキツイ女房にやり込められては喧嘩をしている。ある日、市で言い値で仕入れてきたという薄汚れた古い太鼓を定吉に掃除させていると・・・」という内容。
古い物は時代がついていると言って高く売れることがあるんだと主張する甚兵衛だが、女房はこの仕入れが気に入らない。
さらに一分で買ったという甚兵衛を責め立てると、「だって一分したんだもん」と、甚兵衛はまるで素人のような言い訳をする。
この辺りのやり取りがとても面白い。
演者の古今亭志ん輔師匠は、キツイ女房を演じさせれば天下一品だと思う。
(^_^)
これはなかなかに面白い噺だ。



幾代餅 / 古今亭志ん輔

2018年11月29日 | エンタメ
落語『幾代餅古今亭志ん輔
噺は、「馬喰町三丁目の搗き米屋六右衛門の奉公人・清蔵は、酒も煙草もやらず、女の人にも見向きもしない堅物だが、突然に患ってしまった。心配したおかみさんが話を聞くと、人形町の絵草紙屋で見た綺麗な女の人の錦絵に一目惚れしたのだという。その相手とは、吉原の姿海老屋の幾代太夫。恋患いで仕事も手につかない清蔵のため、心配した親方は・・・」という内容。
錦絵を見て恋患いとは、それを聞いた親方が「器用な男だねぇ」と言うのも分かるような気がする。
(^。^)
しかし、一年間みっちりと働いて金を貯めたら幾代太夫に会わせてやると約束し、その一年後に、貯まった十三両と二分に気持ちを足して十五両を渡す親方。
はじめのうちは、吉原でいっぺんに使ってしまうと言う清蔵に大反対していたものの、清蔵の身なりを整えて送り出してあげるのだから大したものだ。
さて、演者の古今亭志ん輔師匠は、定席の高座の他、"気軽に志ん輔"、"志ん輔の会"といった自主興行も行っているとのこと。
"龍志・志ん輔・扇遊 浅草三人会"というのもなかなかに贅沢な会だ。

大山詣り / 古今亭志ん輔

2018年11月08日 | エンタメ
落語『大山詣り古今亭志ん輔
噺は、「江戸時代はお盆の頃に信心かたがた大山(大山石尊大権現)詣りをするのが、庶民の娯楽のひとつだった。近い距離ではないが、そう遠くもなく、三日から五日ほどの日程で何とかなったという。そして今年も恒例にしている大山詣りの時期がやってきた。先達(案内役)の家に集まって相談を始めた長屋の連中だったが、男達の留守中が物騒なので、今年は男一人が残って怪しい奴に睨みを効かすことにするつもりだという。先達に指名されたのは熊五郎だったが、実は、毎年酔って大騒ぎを起こすのが熊五郎なので、連れて行かないことにしようというのが本当の理由なのだった。おとなしくするから何とか連れて行ってくれと拝み倒し、皆と一緒に行くことを許された熊五郎だったが・・・」という内容。
当時は、赤坂から"大山道"をてくてく歩いて大山(現伊勢原市辺り)まで行き、帰りは東海道に出る。藤沢、神奈川、品川辺りで"精進落とし"と称して賑やかに遊んで帰ってきたのだという。
仲間で行くなら、なかなかに楽しそうなツアーだ。
ただ、この年は、「途中で腹が立ったら罰金として二分払う。もし喧嘩をしたら、みんなでとっ捕まえて丸坊主にする」というしばりが参加者全員に課せられた。まぁ、往路は大丈夫でも、問題が起きそうなのは、大体において復路だ。
宿場に泊まって酒を飲んで、何事も起こらないことはないのが江戸っ子なのだろう。
(^o^)
さて、演者の古今亭志ん輔師匠は落語協会所属で、平成22(2010)年には同理事に就任しているとのこと。
なかなか偉い人のようだ。
(^_^)


文違い / 入船亭扇遊

2018年10月22日 | エンタメ
落語『文違い入船亭扇遊
噺は、「飯盛女・お杉。父親が二十両を無心してきたので何とかならないかと相談した半七は半分の十両ほどしか用立てできなかった。同じ馴染み客の角蔵には、患っている母親に唐人参を飲ませたいと言って金をせびり、まんまと十五両をせしめた。しかし、お杉が必要としているその二十両の理由とは・・・」という内容。
何度も足を運ばせようと、初めての客には背が高いからと誉め、背が低ければ"山椒は小粒でヒリリと辛いよ"と誉め、どうにも誉めようが無ければ、"様子がいいねぇ"とよく分からない褒め方をするのだという。
そんなようなことで鼻の下を伸ばすのだから、男なんて単純なものだ。
(^_^)
田舎者の角蔵には年季が明けたら一緒になると言い、半七にも、"うちの人"と言いながら角蔵を"あん畜生"と言うお杉だが、こういうのも常連客を引き離さない飯盛女のテクニックの一つなのだろう。
ところが、そんなお杉も自分が惚れてる芳次郎にはまったく同じことをされるのだから、男でも女でも、人間というのは所詮同じようなもののようではある。
(^。^)
さて、演者の入船亭扇遊師匠は、昭和53(1978)年に始めた古今亭志ん輔師匠との二人会を40年にも亘って続けているのだという。
これは何とも凄いことだと思う。

富久 / 古今亭志ん輔

2018年03月21日 | エンタメ
落語『富久』古今亭志ん輔
噺は、「酒で仕事をしくじって町内からいなくなった太鼓持ちの久蔵。ある日ばったりと知り合いの旦那・六さんと出くわした。息子に身代を譲って楽隠居しているが、暇で暇で仕方がないので"富くじ"を売ってるという六さんから、なけなしの一文で買った富くじは、"鶴の一五〇〇番"。綺麗な番号過ぎてあまりに売れない番号なことから誰も買い手がなかったら自分で買おうと思っていたのだという。長屋に帰るなり大神宮様のお宮の中にしまい込んで手を合わせ、調子よくお願いをした久蔵。お神酒を下してちびちびやっているうちに寝入ってしまった。やがて夜の江戸の町に半鐘が鳴り響き・・・」という内容。
買った富くじを大神宮様(神棚)に置き、手を合わせる姿というのは容易に想像できる。
そして、当たったらああしようこうしようと妄想にふけるのも、きっと、現代の"ジャンボ宝くじ"を買う人はやっていることだろう。
(^_^)
「誰かには当たるよ。ただね、一俵の米俵をぶちまけた中から、目隠しをしたうえで一粒を掴むようなものだよ」と、なかなか売ろうとしない六さんも面白い。
それは、一分の金もキツイだろう今の久蔵のことを思ってのことだったのだが、いざという時のために着物の襟に縫い付けてあった一分でそれを買う久蔵。
運があるのか運がないのか。
もうやけっぱちだったのか。
(^_^;)
"富くじ"と"火事"という江戸の町を特徴づける事柄を題材にした、なかなかに面白い物語だし、酒で失敗するという、これも多くの人が経験しているだろう話が基本になっているのも分かりやすい。
枕では、自身の飲み過ぎた話をされていた古今亭志ん輔師匠だが、そりゃぁ四軒も梯子すりゃぁ・・・。
(^。^)

厩火事 / 古今亭志ん輔

2017年12月12日 | エンタメ
落語『厩火事古今亭志ん輔
噺は、「夫婦喧嘩のたびに仲人の所へやって来る髪結の女。今日も"兄さん!!兄さん!!"と大声で駆け込んできた。大好きな芋を煮ていると、旦那にまた芋かと言われ、それで喧嘩になったという。"だから、あんな道楽者だけはやめておけと言ったのに、どうしてもと一緒になったんじゃないか。さっさと別れてしまえ"と言われると少しかばってみたりもするのだが、自分のことをどう考えているのか、あの人の本心が知りたいと言い・・・」という内容。
道楽者だと言われているその旦那は、仲人をしたその男の後輩らしいのだが、女が働いて稼いでくれるので昼間から酒を飲み、いつもだらだらしているようで、これぞまさしく、"髪結いの亭主"というわけだ。
(^。^)
面倒に思いながらも、上手くいくように優しく諭す男だが、なかなか分かってもらえないものだから、『論語』で有名な中国の思想家・孔子の話をする時などに、
「もろこしに孔子という有名な学者さんがいてね」
「とうもろこし?」
「まぁ・・・、それでもいいよ・・・」と、諦めたように、だんだん適当になっていくのが面白いのだった。
(^_^)
さて、演者の古今亭志ん輔師匠は、若くして亡くなった(イメージが強い)三代目古今亭志ん朝(1938年~2001年)師匠の弟子。
おそらく誰もが知っているだろう、NHKテレビの子供向け番組『おかあさんといっしょ』に、15年という長い期間、レギュラー出演していた落語家さんだ。