仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

藁人形 / 入船亭扇辰

2017年12月24日 | エンタメ
落語『藁人形入船亭扇辰
噺は、「神田にある大店、糠屋の遠州屋。器量良しで町内小町とも呼ばれていた一人娘・お熊だったが、好きな男ができて大阪へ逐電してしまった。数年後に江戸へ戻ってきた時には、店・両親共すでになく、自棄を起こして自ら女郎屋・若松屋へ身を落としていた。そこへ月に一度お参りにくる西念という坊主に、"こんな私にも上方の旦那がいて今度見受けしてもらえることになった。その上、絵通し屋を居抜きで買ってくださることになった"と喜んで話をした。その際には、亡き父にうり二つの西念を引き取り、親孝行の真似事をしたいとも言っていたのだが・・・」という内容。
糠屋というのは、糠漬けの"糠"を専門に取り扱っている店なのだそうで、江戸時代にはその専門店が存在するほど町人の需要があったようなのが驚きだ。
かつての日本では、それぞれの家でそれぞれの糠漬けを楽しんでいたということなのだろう。
そういう店の一人娘が登場する物語なので、枕では、"糠"にまつわる話をいろいろされていた扇辰師匠だが、「~という糠漬けの話を枕で申し上げようと思っていたんですが、あますことなく本日のプログラムに書いてございました」ということで、少しばかり悲しい枕なのだった。
(^。^)
演者の入船亭扇辰師匠は、九代目入船亭扇橋(1931年~2015年)師匠の弟子。
新潟県出身ということもあり、よく新潟県内の学校でも公演を行っているようである。
学校で生の落語の空気感を楽しめるとは、何とも贅沢な生徒達だ。
(^_^)

唐茄子屋政談 / 入船亭扇遊

2017年12月04日 | エンタメ
落語『唐茄子屋政談入船亭扇遊
噺は、「毎晩のように吉原に通い詰めるご大家の若旦那。このままだと勘当になってしまうと言ったものの、"若旦那が勘当になったら私が面倒見ますから、もっと一緒にいてくださいよ"という花魁の言葉を真に受けて遊郭に入り浸ってしまった。本当に勘当になってしまった徳だったが、花魁はもう顔を見せず、遊郭から追い出されてしまう。家に帰れず、親類も頼れず、友達を頼ったものの、やがては行く所がなくなってしまった。どうしようもなくなって吾妻橋から身投げをしようとしたところ、偶然通りかかった叔父に助けられ・・・」という内容。
家族、親類が集まった席で、「勘当、結構でございます。お天道様と米の飯はどこへ行ってもついてきますよ」と調子のよいことを言って家を出て行った手前、徳は家には帰れない。
遊郭では誰からでもチヤホヤされる若旦那だが、それはいい金ヅルだからなのであって、そこに恋愛感情があるわけではない。
「傾城の恋はまことの恋ならで 金持ってこいが 本のこいなり」
これが徳には分らなかったわけだ。
(^_^;)
「あの時、親の言うことを聞いておけばこんなことにはならなかった」と後悔したところで後の祭りだったが、最後の最後に叔父さんに助けられたのだから、徳の運はまだ尽きていなかったのだろう。
何かと小言の多いこの叔父さんの唐茄子売りを手伝うことになる徳にとっては生まれ変われる最後のチャンスだった。
演者の入船亭扇遊師匠は、九代目入船亭扇橋(1931年~2015年)師匠の弟子。
とてもよく通る声で活舌も良く、目力がある。
(^。^)
江戸っ子の叔父さんや唐茄子を売りさばいてくれる(お節介な?)長屋の住人の切符の良さがとてもよく伝わってくる。

山崎屋 / 柳家さん喬

2017年11月02日 | エンタメ
落語『山崎屋柳家さん喬
噺は、「江戸時代。日本橋横山町のべっこう問屋・山崎屋。道楽者の若旦那・徳三郎は、吉原の花魁(おいらん)に入れあげて幾度となく店の金をごまかしていたが、ある日、番頭に三十両融通してくれと頼む。番頭が隣町に女を囲っていることを知っていた徳三郎は、脅すようにして話を進めようとしたが、番頭は花魁と所帯を持ちたいという徳三郎の気持ちを確認し、一緒になれる策があるからと、逆にとある話を持ち掛け・・・」という内容。
11歳の時に奉公にあがったという番頭は、「私は女の人が大嫌いで、傍に寄せたこともありません。女のお客さんが来た時には若い者に任せるくらいですよ」と言うが、"堅物で通っている"という自己申告とは裏腹な実態が明らかになってくると、徳三郎の口から出る言葉が、「お前は野暮だねぇ」から、「お前は悪党だねぇ」に変わっていって面白い。
(^。^)
江戸幕府の時代は、1603(慶長8)年から1868(慶応4/明治元)年まで265年間もあるので、その間の貨幣価値は随分と変わったのだろうが、この噺の頃の"一両"は平成時代の10万円くらいの価値なのだそうで、花魁と一晩遊ぶために必要だった金額の"三分"とは、7万5,000円ほどだったようだ。
それを一晩で使ってしまうのだから、若旦那とはいえ、それを何度ともなると、店の金をごまかすにも限度があったわけだ。
(^_^;)
演者の柳家さん喬師匠は、人間国宝となった五代目柳家小さん(1915年~2002年)師匠門下で、七代目立川談志(1936年~2011年)師匠、十代目柳家小三治師匠、十代目鈴々舎馬風師匠、九代目入船亭扇橋(1931年~2015年)師匠などの弟弟子。
この噺も、さん喬師匠のその穏やかな語り口にどんどんと物語に引き込まれていく。
若旦那が戸を開ける時の"ガラガラガラ"という音と、お妾さんが戸を開ける時の"カラカラカラ"という擬音の使い分けなど、その言葉から場面が想像できて楽しく聞けたのだった。
(^_^)