あこう通信

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日本道での活動

会津・歴史旅(1)・・・No.1115

2024-10-06 05:15:58 | Weblog

久しぶりに会津若松を訪れました。以前は少し観光しただけですが、今回は一人旅でじっくりと観ることができました。司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズ・会津のみちを読んで訪れたくなったのです。会津といえば幕末の戊辰戦争での悲劇が思い出されますが、それだけではなく街のあちこちに史跡が残されていますのでご紹介しますね。会津若松といえば鶴ヶ城が有名です。戊辰戦争で大きく傷んだ城は明治初期に取り壊されましたが美しく再現されています。

お城の敷地には大きな「赤べこ」が置かれていました。四百年程前、会津地方に大地震が起こり、再建の為木材運搬に使役された牛で最後まで働き通した牛が赤い色をしていたと伝えられております。その牛のことを赤ベコと呼び「忍耐強く壮健であれ」という願いを込めて張り子の赤ベコが作られるようになったそうです。町のあちこちに飾られていて心が和みました😊

さて会津若松の名前をつけたのは戦国末期の武将、蒲生氏郷(がもう・うじさと)です。この人は街づくりや城造りの名人で、この地に立派な天守閣を造ったのが氏郷だそうです。氏郷はもともと近江出身ですがその後、織田信長、豊臣秀吉の家臣になり、会津に転封される前につくった街が伊勢の松坂です。松坂の名前をつけたのもこの人で「松」の木が好きだったかも知れませんね😊氏郷は築城設計と都市設計に優れていただけでなく文化面でも大きな貢献をしています。秀吉に死を命じられた有名な茶人、千利休の子供を会津にかくまい千家を再興させたそうです。この時に作られたのが写真の茶室「麟閣」です。

氏郷がいなければ千家の茶道は途絶えていたかもしれません。武将としてだけでなく文化人とし会津の基礎造ったのですね。江戸時代に入ると会津は徳川親藩の会津松平家になり、悲劇の幕末まで続くのですがこのお話は次回にご紹介しますね。お楽しみに・・・😊

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