西尾の行政書士  Getting Better  

愛知県西尾市で市街化調整区域の許認可、相続を主な業務とする行政書士事務所と
不動産会社を経営しています。

オグリキャップ死去

2010年07月03日 | 競馬
昭和の終わりから平成にかけての競馬絶頂期を牽引した
芦毛の怪物オグリキャップが本日死亡しました。

オグリキャップは地方競馬の笠松競馬出身、
父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、
母の父シルバーシャークという無名の血統でありながら、
転戦した中央競馬(JRA)で無類の強さを発揮し、
その雑草的背景もその人気に拍車をかけました。

なかでも女性ファンや若年層などの新たなファン層拡大の
きっかけを作り、アイドルホース、オグリとして、
1970年代の「ハイセイコー」ブーム以来となる、
空前の競馬ブームを巻き起こした立役者です。


最高の舞台は引退レースとなった90年の有馬記念GⅠ。
引退までの数レースはG1を連続して大敗し、
もう往年の走りは期待できないと見られていた引退レース、
有馬記念で武豊騎手が手綱を取って勝利した劇的な復活劇。
中山競馬場の大観衆から「オグリ!」の大コールがわき起こる、
感動的なフィナーレは多くの国民を魅了しました。


私は引退直後の91年に北海道の優駿スタリオンステーション
までオグリキャップに会いに行きました。
(他にも当時の多くの名馬に会ってきました。)

当時は空前の競馬ブームの真っ直中。
牧場にはオグリ見たさに多くのファンが詰めかけ、
牧場では見学用のひな壇が設置され、
ぬいぐるみ等各種オグリグッズも売られていました。

当のオグリキャップはのんきなもの。
「オグリー!」と呼ぶと、私達の近くまで寄ってきて、
カメラ目線でポーズまで取ってくれるほどの
人なつっこさが印象的でした。


引退して体重が増えゆったりした白い馬体は、
それでも、あのオグリらしさを失うことなく、
古いアルバムの中で今も凛々しく輝いています。

たくさんの感動をありがとう!
お陰で競馬が生涯手放せなくなりました。

感謝、合掌。



本日のニュースより→
 
「芦毛の怪物」オグリキャップが死亡」
2010.7.3 20:24
多くファンから人気を博し、競馬ブームを支えた
アイドルホースで「オグリ」「芦毛の怪物」などの
愛称で呼ばれたオグリキャップ(牡25歳)が3日、
余生を送っていた北海道・優駿スタリオンステーションで、
脚部を骨折して死亡した。

オグリキャップは1987年に地方・笠松競馬でデビュー。
12戦10勝と圧倒的な成績を残し、1988年に
中央競馬(JRA)に移籍した。中央競馬では引退レース
となった1990年の有馬記念を含む重賞12勝
(うちGI4勝)という偉大な記録を残した。
通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。
1988年にJRA賞最優秀4歳牡馬、
1990年にはJRA最優秀5歳以上牡馬および、
年度代表馬になった。
2007年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。

(以上、ニュース記事画像共にSANSPO.COMより)



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