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晴耕雨読とか

本読んだり、いきものを見たり。でも、ほんとうは、ずっと仕事してます。

ジョロウグモ

2008年10月18日 | 
近所の雑木林周りはジョロウグモが大繁殖です。
ま、大繁殖というか、今の時期多いんでしょうね、そもそも。

みんな大きい巣を作って、なんかこうお腹がプリプリというかぽってりというか、よく太っています。正直、ちょっと怖いですね。うちのチリグモとはえらい違いです。



たしか小さな雄が巣に居候(?)してるんですよね。さがしてみると、なんだか小さいクモはいるけれど、抜け殻のようで、生きてるんだか、死んでるんだか良くわかんない感じでした。写真の上に写っているのが雄なんでしょうね。

京極夏彦の『絡新婦の理』という本を思い出しました。女郎蜘蛛って、こうも書くんですね。京極らしいこだわりなのか。中身は、、、あいかわらずさっぱり覚えていません。やっぱり居候的雄の話だったでしょうか……。

『検索バカ』

2008年10月18日 | 
『検索バカ』(朝日新書/藤原智美)。タイトルとはじめにを読んで買いました。



WEBを検索することでものが分かったようになる感じ。外部脳化というかグーグルの全能感といか、そういうことへの批判と自分の頭で考えることの大切さをきちんと捉えようとする本だと思ったのですが……。

実際、本書の大部分は「クウキ」の話。「空気読めよ!」のクウキです。そういうもので今の日本の社会が作られているというような話です。前に読んだ『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書/冷泉彰彦)を思い出しました。内容はさっぱり覚えていませんが、その本はクウキの問題は、「日本語」の問題として書かれていたような気がします。



で、『検索バカ』ですが、そのクウキの話がおもしろくないわけではないのですが、本として腑に落ちません。タイトルとはじめにとちがいすぎるから。

著者が主張しているのは「生きることは考えること」ということ。だからWEBを検索ばかりして、考えたような気になっているのはやばいんじゃないの?という意味では、たしかに伝えたいテーマとタイトルは一致しているようですが、とにかく本の大部分はクウキの話ですから。

最後の方で、「検索でクウキを読む日常」ということで、検索とクウキをつなげようとしているのですが、なんか無理があるような気がします。

『検索によって「全体の指向」=「みんなの動向」=「クウキ」をさぐり、知らずしらずのうちにネット上にも「クウキ読みの日常」をつくろうとしてます』とありますが、うーん、検索によってかあ…。

WEBで検索する→自分の頭で考えなくなる→バカになる

…という「はじめに」で、それは納得できるのですが、なんだろう、結局本書では

世の中「クウキ読み」が跋扈している→検索がそれを後押ししている

…ということを言っているのでしょうか? 

正確には、「検索」という行為は、とくにクウキとは関係ない気がするのですが。WEBがクウキを作っている部分はあるし、それがWEB内のクウキだけでなく、外に漏れだしている部分もあるでしょう。

でも、「検索」が「クウキ」をなあ……。それでバカねえ…。どこかで論理の飛躍があって、それにわたしがついていけてないのかな?

繰り返しますが、本書のクウキの話はなかなかおもしろくて、それなりに読ませる内容だっただけに、やや腑に落ちないわけです。



山は Light & Fast ?

2008年10月18日 | 
今、登山の世界は Light & Fast がキーワードになっています。「軽く、そして速く」という感じでしょうか。各登山用具メーカーはこぞってこれか、これに類したキャッチフレーズを使っています。

装備を軽くして、短期間で登る。

おそらく近年のヒマラヤ登山の戦略から来ているのでしょう。昔の大登山隊を組んで多量の物資を投入して登ることから、少人数で少ない物資で速攻で攻めるスタイル…。

それを日本の山に導入するのはどうなんだろう? ま、週末1泊2日の山行は、fast登山といえばそうだけど。

わたしも、サポートタイツをはいて、身につけるもののほとんどは化繊で、コンロはチタン製、ストックついて、あげくにはアミノサプリを飲みつつさくっと行きます。

たしかにLightは重要。とくにわたしは体力がないので、装備は軽いにこしたことはありません。でも、それはゆっくり楽しく登りたいためなのです。つまり…

Light for Slow

それがわたしの登山スタイルです。軽量で快適な装備は、山をゆっくり楽しむためのもの。

ま、そんなに言うほど登ってないのですが…。