開高健ルポルタージュ選書『過去と未来の国々』『声の狩人』は読了。寝る前に『ずばり東京』、つらつらと『サイゴンの十字架』(以上、光文社)を読んでいる。
ここまで読んで思うのは、この時代の小説家の政治性だ。60年安保だの騒乱のパリ、イスラエルでのナチスの裁判、ベトナム戦争など。開高健は、そんな最中の現地の人々をルポしている。
中国、パリで一緒なのは大江健三郎。彼らがその時代にあってなにを考え、どう行動していたかというと、かなり政治的だ。
大江健三郎とかは、よくわかんない小説を書いているおやじかと思っていたけれど(あまりにレベルの低い話ですみません)、最近『沖縄ノート』の裁判のニュースが流れていたりするの見て、今更ながら、ふーん…そうなんだと思ったりもする。
おそらく、彼らがルポした60年代は、そういうものなのだろう。今の小説家は、、、、政治的というよりは、よく言えば社会的。エンターテイメントばかりなっているとはいえ、いじめとか、ニートとか、それなりに現代社会を表現している人もいるようには思う。
当時は、アメリカ主義的な民主主義が跋扈し始める頃なのだろうか? 本当によく分からなくて、自分の教養のなさに愕然とするが、今のグローバリゼーションと符合するところがあるように思う。だからこそ、今、この「開高健ルポールタージュ選書」が出版されたのだろう。
光文社に感謝ですね。個人的には。
ここまで読んで思うのは、この時代の小説家の政治性だ。60年安保だの騒乱のパリ、イスラエルでのナチスの裁判、ベトナム戦争など。開高健は、そんな最中の現地の人々をルポしている。
中国、パリで一緒なのは大江健三郎。彼らがその時代にあってなにを考え、どう行動していたかというと、かなり政治的だ。
大江健三郎とかは、よくわかんない小説を書いているおやじかと思っていたけれど(あまりにレベルの低い話ですみません)、最近『沖縄ノート』の裁判のニュースが流れていたりするの見て、今更ながら、ふーん…そうなんだと思ったりもする。
おそらく、彼らがルポした60年代は、そういうものなのだろう。今の小説家は、、、、政治的というよりは、よく言えば社会的。エンターテイメントばかりなっているとはいえ、いじめとか、ニートとか、それなりに現代社会を表現している人もいるようには思う。
当時は、アメリカ主義的な民主主義が跋扈し始める頃なのだろうか? 本当によく分からなくて、自分の教養のなさに愕然とするが、今のグローバリゼーションと符合するところがあるように思う。だからこそ、今、この「開高健ルポールタージュ選書」が出版されたのだろう。
光文社に感謝ですね。個人的には。