狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

また…一人

2011-01-09 04:55:10 | ひとりごと


併せて7人兄姉だった。その内3人は還暦を迎えることなく
亡くなった。昨日また一人、兄が亡くなった。早朝の事故で
ほぼ即死に近かったようだ。取り敢えず現地に駆けつけた

年を取ると、まるで違っていた顔が亡き父親そっくりなっていた
不思議な気がした。事故の影響で顔の半分が紫色になっていたが
それ以外は年を重ねた、少し脱色したように白かった。

親類縁者や友人知人の葬儀には数え切れないくらい出た。その都度
亡き顔を拝ませていただいたが、大半は苦しみから解放された穏や
かな顔になっている。兄も例外ではなかった。救いだった。


9日現地で10時から葬儀である。
8時には出ないと間に合わない。コレまでの葬儀で一番記憶に残って
いるのは叔母の時で、釜に入れられて点火され、普通なら別室でお待
ちください…となるのだが、釜焼きのおじさんが「見てみる?」という
何のことかと思ったら、火葬のしている釜の中が見られるというのだ

僕は躊躇うことなく見させて貰った。皮膚が膨張して弾けパット火花
が四方に飛び散る。釜焼きのおじさん曰く「肥えていたからね~」だと
焼き肉の時矢張り油が飛び散るが、あれと一緒なのだ。以来焼き肉は
出来たら食べないで済ましている。もう40年も前の話です。


そういえば、二番目の姉の手術も見させてくれたので、見ていました
子宮外妊娠破裂とかで緊急を要するとの連絡が入り、直ぐに駆けつけ
て僕の血液を輸血しました。手術は翌朝だったのですが、医者が見て
いても良いよ…というもので、見させてもらったんです。

開腹したお腹の中に手を入れて黒く固まった血を取りだしていました
流石に最後まで見る気力はなく30分くらいで手術室から外にでました
吐くことはありませんでしたが、なんか胸苦しくなりました。

その後姉は回復して元気になりましたが、還暦まで後3年…という若さ
で胃癌の為亡くなって仕舞いました。


僕は実質末っ子です。その僕が両親を、二人の姉を、二人の兄を見送
る事になるなんて、そういう定めだったのでしょうね。


写真は「苺の花」です。苺の花は3月31日の誕生花
花言葉は「尊重と愛情・誘惑・甘い香り」だそうですが、兄とは無縁です
その兄の誕生日が3月31日だったのです。せめて供養にと…


この後、何日かお休みをするかも知れません
気が重い用事が多々出来ました。



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