狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

年賀状

2009-01-03 00:19:10 | ひとりごと



年賀状をパソコンで作るのは良いとして、何か一言書き加えなさい
・・と、あるTV番組に出ていた「常識人?」が言っていた。
お説、ご尤もなれど、僕は書かない。


折角綺麗に出来上がった年賀状に、一言書いてくれる人も居たりする
が、最初から何かを書くように作られていない賀状に書かれていると
折角の賀状が台無しになっている。書くなら書くで、スペースを取って
おくべきではないだろうか?


他人のことは知らないが、僕の場合は毎年10種類以上の賀状を作る
送る人毎に、どれを送るか考えながら印刷していく。
何か一言書きたい時には印刷前にスペースを空けてコメントを書き、
印刷している。


貰った人は、その年賀状が、誰にも送られているモノだと思うだろうが
そうではない。しかし、その事は誰にも言わない。案を考えて配列して
いく時から、既に送る相手のことをイメージして作っている。
よって、コメントを手書きで書かない。


賀状と言えば、毎年1,2通変わったモノが来る。今年は2通きた。
一つは、宛名、送り手は印刷されていたが、肝心な賀状の部分が白紙
だった。もう一つは、手書きの毛筆で、一見「男字」に見える筆跡で
宛名と、賀状部分まで書かれて居たが、肝心な送り人の名前が書いて
なかった。カミサンに言わせたら「筆跡」で判らないの?・・というが
ゴツゴツした毛筆では判断のしようがない。


困るのは、名無しで送った本人は「○○には送った」という意識が
残っていることで、運良く、此方からも出している相手なら問題ない
のだが、もし出し忘れ・・なんぞが有ったら「何だ、彼奴」と、思われ
かねない。


賀状の役割は「元気でいるよ」の、ことさえ伝わればそれで良いと思って
いる。貰うことで、安否だけでも知ることが出来、知らせることが出来る


仕事上の付き合いだった人とは、段々疎遠になってきた。
それでいい。賀状はプライベートで大事な人だけで充分である。