崖っぷちロー

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天皇・習副主席会見政治利用問題

2009-12-16 07:08:00 | ニュース系
最近、天皇陛下(以下、敬称略)と中国の習近平国家副主席の会見をめぐって、さまざまな議論が展開されている。が、いろんな次元の議論が入り乱れており、こんがらがってよく分からない感じになっているように思える。なので、新聞記者などの賢い人が、議論を的確に整理してくれるとうれしいのですが……。

***
私の目から見ると、今回の問題については、とりあえずは大きく二つの見方に分かれる。
つまり、
 1)健康問題アプローチ
 2)政治利用問題アプローチ
の2つである。

ここで、1)健康問題アプローチで考えていくのであれば、重要なのはあくまでも「天皇の健康」ということになる。したがって、裏返せば、天皇の健康が害されないのであれば、30日ルールを徹底しなくてもよいということになる。
 (つまり、民主党側の説明でよいということになる)

しかし、より重要なのは、2)政治利用問題アプローチであろう。そこでは、憲法レベルの議論から政治的・社会的な議論まで、さまざまな議論がありうる。
 (議論がこんがらがって見えるというのもそのため)
以下、この2)政治利用問題アプローチの観点から、適当に書いてみる。

***
(1)「習副主席との会見」の法的性質
まず、今回問題となっている「習副主席との会見」がそもそもどういう性質の行為なのかを考える必要がある。この点、記者会見での記者達とのやり取りを見る限り、小沢幹事長はこれを「国事行為」だと捉えているようだ。
 小沢幹事長の記者会見発言…天皇会見問題
 (小沢幹事長は「天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて。」と発言している。)

しかし、「習副主席との会見」=外国元首等の接受・接待が「国事行為」に含まれると読むのは、文言上は厳しいし、学説も含めて、一般的にはそうは考えられていないのではないか。小沢幹事長は記者に対して「君も少し、憲法をもう一度読み直しなさい。」などと言っているが……。

で、学説的にはこれを「象徴としての地位に基づく公的行為」であると説明するのが一般的なのだろう。あるいは政府や宮内庁などは、これを「国事行為に準じる行為」であると説明しているように思われる。
 (これについては以前、「お言葉」問題でも書いたことがある。→岡田克也外相:天皇陛下のお言葉への注文問題)

しかし、いずれの立場をとるにせよ、どこまでが「公的行為/準国事行為」かという「範囲」の問題は残るし、天皇のそのような「公的行為/準国事行為」をどのようにコントロールするかという問題も残る。今回の場合は、主に後者の問題ということになる。

(2)天皇の行為のコントロール
そして、一般的に、天皇の「公的行為/準国事行為」については、国事行為に準じて内閣のコントロールが必要だと理解されている(→追記参照)。
つまり、内閣の「助言と承認」が必要だということである。
 (この点では、結論的には小沢幹事長の説明はあっている。)

しかし、注意するべきなのは、このような内閣による天皇のコントロールという構図が、戦前の天皇制との関係で、主に天皇というものを縛るために展開されてきたもの(条文)だということである。それはあくまでも、天皇が暴走しないように抑制する内閣という構図であって、内閣が暴走しないように抑制するにはどうすればいいかという議論・構図ではない。

では、内閣は天皇をどのように利用してもいいのか?
もちろんそんなはずはないというのが一般的な考えだろう。つまり、象徴天皇制の趣旨などから、天皇は政治的に公平・中立でなくてはならないし、天皇をコントロールする内閣も政治的に公平・中立でなくてはならない=政治利用はいけないのではないかという議論になる。
 (したがって、内閣はこのように中立的であることが期待され、それについて国会に対して責任を負う。但し、国会によるコントロールの実効性の問題は別にある。)
 
つまり、天皇は「助言と承認」によって内閣によりコントロールされるが、内閣は「助言と承認」さえしていればなにをやってもいいというわけではないということだ。
(そしてこれは、憲法上の要請であるということになる。)

小沢幹事長は、「助言と承認」さえあればいいのだという主張をしているが、それは条文の文言を形式的にとらえた議論であって、決して、「日本国憲法の理念・本旨」に基づいた理解ではない。
 (小沢幹事長は「じゃあ、内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下個人で行うの? そうじゃないでしょう。」というが、まったく的外れである。)

(3)天皇の政治利用とは
では、内閣がしてはいけないと考えられている「政治利用」とはいったいどのようなものか?実は、これは論者によってまちまちで、場合によっては、定義を考えることも無く感覚で言ってしまうこともある、やっかいな概念である。

今回の民主党の行為を「政治利用」だとして批判するのであれば、そもそも「政治利用」とは何か、セーフとアウトを区別する基準はなにかについて説明することが必要となる。
 (国会議員や宮内庁等がそれを出来ているかといえば……)

この点については、石破茂のブログがかなり踏み込んで論じているように思う。
 (→習近平・中華人民共和国副主席の天皇陛下との会見について)

天皇陛下の国際親善にかかわるご活動は、時の政府の行う外交とは次元の異なるものとして、相手国の大小や価値判断とは一切関係なく行われてきたものであり、今回このような特例扱いを行うことは、皇室の外国との関わり方の正当性を大きく傷つけるのみならず、日中両国の関係をも損なうものとすら言い得るのです。


つまり、相手国の大小や価値に応じて天皇に何かをさせる/させないということが政治利用なのだということ。
 (同様の考え方として→陛下特例会見、憲法原理に反する 慶応大学講師・竹田恒泰
なお、これは一般論としての「政治利用」の問題をすっとばした定義である。)

この基準でいくのであれば、政府側(平野官房長官等)が中国の重要性を根拠としたことが、まさに「政治利用」だと結論付ける根拠になる。

したがって、今回の鳩山内閣の行為は、憲法上行うべきでないとされる天皇の「政治利用」をしていることになる。
 (もちろんこれは、1ヶ月ルールは法律ではないとか、役人の作ったルールだからそれに縛られる必要はないとか、そういう次元の話ではない。)

そうすると、民主党側としては、「政治利用」の基準について別の基準を示して反論するか、あるいは、今回の会見が中国の重要性を根拠として行われたものではない反論することが必要になる。

***追記
小沢氏の「国事行為」発言が波紋 共産委員長「小沢氏は憲法読むべきだ」
この記事に、以下のような記述があった。
 公的行為は、小沢氏がいう「内閣の助言と承認」を必要としない。

これは、憲法の条文から直接出てくるわけではないという意味では正しい。
(そして、憲法上の根拠がないということに対する強い批判もある。)
が、天皇のこれらの行為を私的行為ではなく公的行為として理解する意図は、
それらの行為を野放しにするのではなく、内閣によるコントロールを及ぼそうというものである。

以下に松井茂記教授による上記立場の説明を引用しておく(但し、松井教授自身は国事行為以外は認めない立場)。

もしこれらの行為を私的な行為とすれば、当然内閣の助言と承認は及ばないから、むしろ象徴としての公的行為と考え、それに内閣の助言と承認が必要だと考えることによって、内閣によるコントロールに服させた方がよいともいわれる。
 (松井茂記『日本国憲法』第2版268頁)


***12月17日追記
こういう報道があった。国事行為ではない―宮内庁 中曽根氏にもルール説明
宮内庁の岡弘文官房審議官は16日、自民党本部で開かれた「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」の会合で、陛下と習近平中国国家副主席の特例会見について「公的行為なので内閣の助言と承認は必要ない」と述べ、憲法上の「国事行為」に当たらないとの認識を示した。

国事行為に(直接的に)該当しないのは当然の前提である。
それと、内閣のコントロールが必要かどうかは別の問題。
公的行為については「助言と承認」が不必要との解釈には反対である。