岡田克也外相が、国会開会式における天皇陛下のお言葉がほぼ毎回同じであることについて
意見を述べたことが話題となっている。
>「わざわざ来ていただいているのによく考えた方がいい。政治的な意味合いが入ってはいけないが、
>陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただく工夫ができないか」と述べ、
>お言葉のあり方を検討すべきだとの考えを示した。
国会開会お言葉「陛下の思いを」…外相、検討求める
(1)「お言葉」の作成過程に対する認識の誤り
他のソースによると、岡田外相は、宮内庁に対して見直しを検討するよう求めたようだ。
「こう言うべきと言ったわけではない」岡田外相が「お言葉」発言で反論
しかし、国会開会式での「お言葉」は、そもそも内閣が原案を作成し、これを閣議決定して出来るものである。
したがって、宮内庁に対して見直しを求めるということ自体があやまりである。
岡田外相自身も構成員である「内閣」が作成しているのだから。
(2)国会召集の「お言葉」を柔軟化させることの問題点
これについては、岡田外相も「政治的な意味合いが入ってはいけない」と一応言及しているが、
まさにこの点が問題となる。 外相、陛下のお言葉のあり方見直しを
どの国会開会式においても同一の「お言葉」を述べるということは、
前の政権や今の政権がどのようなものであっても、それに影響されることがないということである。
そこになんらかの変化をつけるとすれば、そのさじ加減によって政治的な影響が出てしまう危険性がある。
「一定の制約があるのは事実だが、制約があるということと、同じ言葉を繰り返すことは違う」と岡田氏は述べるが、
一旦「変化」を認めてしまえば、取り返しの付かないダメージを憲法秩序に与える危険性もあると言わざるを得ないだろう。
報道等では、災害時に「お言葉」が変わる場合があるということが例に出されているが、
政治利用の危険性を考えるためには、むしろ1952年の国会開会式における、
サンフランシスコ平和条約に関する「お言葉」を取り上げるべきである。
この岡田発言については、与党・野党を問わずに強い批判が出ている。
岡田氏はその批判を真摯に受け止める必要がある。
↓
西岡武夫参院議院運営委員長(民主党)は「軽々に言うべきではない。極めて不適切な発言だ」と批判。
社民党の福島瑞穂消費者・少子化担当相は「天皇陛下のお言葉は慎重に考えられるべきだ。政治利用が起きたらまずい」と語った。
自民党首脳は「そういうことを閣僚が言うべきではない」と非難。
(自民党首脳の名前だけ出ていないことに疑問を感じる。)
岡田外相の「お言葉」発言に与野党から批判
***
なお、岡田氏は国会開会式における「お言葉」について、
「天皇陛下の国会開会式にあたってのごあいさつというのは、国事行為ではないが、それに準ずる行為。」であると語っている。
また、宮内庁の羽毛田信吾長官も、「国会でのお言葉は国事行為に準ずる行為」としている。
他方、読売新聞の解説では、
憲法の学説では、開会式での天皇のお言葉は、国事行為と私的行為の中間にある「公的行為」と位置づけられている。
としている。 外相「天皇お言葉」発言、政治利用との批判も
岡田外相と羽毛田宮内庁長官は清水教授の見解(準国事行為説)に立っているものと考えられる。
他方、読売新聞解説は記述が曖昧だが、
おそらくは芦部教授的な「象徴としての地位に基づく公的行為」だという見解に立っているのでしょう。
しかし、この両説は国事行為以外の公的な行為を認めるかという点について異なる立場からの見解ですので、
読売新聞のこの説明では不十分というか、やや混乱を招くおそれがあるのではないかと思う。
意見を述べたことが話題となっている。
>「わざわざ来ていただいているのによく考えた方がいい。政治的な意味合いが入ってはいけないが、
>陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただく工夫ができないか」と述べ、
>お言葉のあり方を検討すべきだとの考えを示した。
国会開会お言葉「陛下の思いを」…外相、検討求める
(1)「お言葉」の作成過程に対する認識の誤り
他のソースによると、岡田外相は、宮内庁に対して見直しを検討するよう求めたようだ。
「こう言うべきと言ったわけではない」岡田外相が「お言葉」発言で反論
しかし、国会開会式での「お言葉」は、そもそも内閣が原案を作成し、これを閣議決定して出来るものである。
したがって、宮内庁に対して見直しを求めるということ自体があやまりである。
岡田外相自身も構成員である「内閣」が作成しているのだから。
(2)国会召集の「お言葉」を柔軟化させることの問題点
これについては、岡田外相も「政治的な意味合いが入ってはいけない」と一応言及しているが、
まさにこの点が問題となる。 外相、陛下のお言葉のあり方見直しを
どの国会開会式においても同一の「お言葉」を述べるということは、
前の政権や今の政権がどのようなものであっても、それに影響されることがないということである。
そこになんらかの変化をつけるとすれば、そのさじ加減によって政治的な影響が出てしまう危険性がある。
「一定の制約があるのは事実だが、制約があるということと、同じ言葉を繰り返すことは違う」と岡田氏は述べるが、
一旦「変化」を認めてしまえば、取り返しの付かないダメージを憲法秩序に与える危険性もあると言わざるを得ないだろう。
報道等では、災害時に「お言葉」が変わる場合があるということが例に出されているが、
政治利用の危険性を考えるためには、むしろ1952年の国会開会式における、
サンフランシスコ平和条約に関する「お言葉」を取り上げるべきである。
この岡田発言については、与党・野党を問わずに強い批判が出ている。
岡田氏はその批判を真摯に受け止める必要がある。
↓
西岡武夫参院議院運営委員長(民主党)は「軽々に言うべきではない。極めて不適切な発言だ」と批判。
社民党の福島瑞穂消費者・少子化担当相は「天皇陛下のお言葉は慎重に考えられるべきだ。政治利用が起きたらまずい」と語った。
自民党首脳は「そういうことを閣僚が言うべきではない」と非難。
(自民党首脳の名前だけ出ていないことに疑問を感じる。)
岡田外相の「お言葉」発言に与野党から批判
***
なお、岡田氏は国会開会式における「お言葉」について、
「天皇陛下の国会開会式にあたってのごあいさつというのは、国事行為ではないが、それに準ずる行為。」であると語っている。
また、宮内庁の羽毛田信吾長官も、「国会でのお言葉は国事行為に準ずる行為」としている。
他方、読売新聞の解説では、
憲法の学説では、開会式での天皇のお言葉は、国事行為と私的行為の中間にある「公的行為」と位置づけられている。
としている。 外相「天皇お言葉」発言、政治利用との批判も
岡田外相と羽毛田宮内庁長官は清水教授の見解(準国事行為説)に立っているものと考えられる。
他方、読売新聞解説は記述が曖昧だが、
おそらくは芦部教授的な「象徴としての地位に基づく公的行為」だという見解に立っているのでしょう。
しかし、この両説は国事行為以外の公的な行為を認めるかという点について異なる立場からの見解ですので、
読売新聞のこの説明では不十分というか、やや混乱を招くおそれがあるのではないかと思う。
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