「そういえば先日取り上げたユリイカの論考の作者と東浩紀が対談している記事があったな」と、
ふと思い出し、再読してみた。
「ユリイカ2008年6月号 特集*マンガ批評の新展開」に掲載されている、
東浩紀・伊藤剛・金田淳子「失われた成熟を求めて マンガ・オタク・批評」という鼎談記事。
昔読んだ時はサラッと流していたのだけど、今読むと案外面白く感じられた。
その中で気になったのが、「70-80年代で止まるアニメ・マンガ」という部分。
アニメやマンガで書かれる風景や環境が現実について行っていないのではないかという話。
伊藤 たとえば、住宅街のそこらじゅうにコインパーキングがあるいまの風景は
マンガやアニメで描かれうるの?とかいった話ですね。
伊藤 いま、われわれの日常の中にある様々なものを「物語」に登場させようとするときに、
無意識の「検閲」みたいなものが働くといったような話だと思う。
例えば、携帯電話をマンガは小道具として使い切れていない感じがあるんですね。
東 マンガやアニメが最先端の想像力ではなくなっているのではないかと言ったけど、
それ以上に、彼らは70年代とか80年代の日本を舞台にしないと
物語を作れなくなってきているのかもしれない。
「たしかに」とも思う。
携帯電話をマンガは小道具として使い切ったのだって、マンガやアニメではなく、
ヤンキー(郊外型進家族)と親和性の高いケータイ小説でしょうし。
(速水健朗「ケータイ小説的。」とかでしか知りませんが。)
***
ただ、最近のアニメの様子、
とくに現在放送中のアニメ「けいおん!」なんかを見ていると(正確には、視ている人を観ていると)、
どうもこういう分析から少しはずれた物も出てきているのではないかとも思えてくる。
現実に存在する風景を作品の舞台として持ってきているのは周知の通り。
かなり多くの人がいわゆる「聖地」探し的な見方を楽しんでいる。
2009年春アニメ「けいおん!」の舞台
2009年春アニメ「けいおん!」の舞台2
もちろん、「聖地」が現実世界にあるというのはこの作品に限ったことではなく、
アルプスの少女ハイジやフランダースの犬の頃から有る。
ただ、「けいおん!」の場合、そういう背景(舞台)としてのリアリティ以上に、
作品世界そのものが現実世界と強くつながっているように見える。
それは、作中に登場する小物類(楽器・ティーセット・雑誌・カメラ・携帯など)が、
異常なまでに悉く現実に存在するアイテムを元にして描かれているから。
けいおん!まとめサイト-作中登場の小物他
ここまでくると、意識的な「検閲」は当然あるとしても、
「無意識の『検閲』」という問題はクリアしているのはないかと思えてくるし、
<けいおん!はゼロ年代の日本を舞台にすることが出来たアニメだ>
と言わざるを得ないのではないかとも思えてくる。
(もちろん、他にもそういうアニメがあるのかもしれないが、詳しくないので私には分からない)
ただし、そのような舞台の上で動くキャラクター達は、
典型的なアニメ・漫画的キャラクターのように見えるので、
過去と現在がハイブリッドになったアニメだと言うのが適切なのかもしれない。
ふと思い出し、再読してみた。
「ユリイカ2008年6月号 特集*マンガ批評の新展開」に掲載されている、
東浩紀・伊藤剛・金田淳子「失われた成熟を求めて マンガ・オタク・批評」という鼎談記事。
昔読んだ時はサラッと流していたのだけど、今読むと案外面白く感じられた。
その中で気になったのが、「70-80年代で止まるアニメ・マンガ」という部分。
アニメやマンガで書かれる風景や環境が現実について行っていないのではないかという話。
伊藤 たとえば、住宅街のそこらじゅうにコインパーキングがあるいまの風景は
マンガやアニメで描かれうるの?とかいった話ですね。
伊藤 いま、われわれの日常の中にある様々なものを「物語」に登場させようとするときに、
無意識の「検閲」みたいなものが働くといったような話だと思う。
例えば、携帯電話をマンガは小道具として使い切れていない感じがあるんですね。
東 マンガやアニメが最先端の想像力ではなくなっているのではないかと言ったけど、
それ以上に、彼らは70年代とか80年代の日本を舞台にしないと
物語を作れなくなってきているのかもしれない。
「たしかに」とも思う。
携帯電話をマンガは小道具として使い切ったのだって、マンガやアニメではなく、
ヤンキー(郊外型進家族)と親和性の高いケータイ小説でしょうし。
(速水健朗「ケータイ小説的。」とかでしか知りませんが。)
***
ただ、最近のアニメの様子、
とくに現在放送中のアニメ「けいおん!」なんかを見ていると(正確には、視ている人を観ていると)、
どうもこういう分析から少しはずれた物も出てきているのではないかとも思えてくる。
現実に存在する風景を作品の舞台として持ってきているのは周知の通り。
かなり多くの人がいわゆる「聖地」探し的な見方を楽しんでいる。
2009年春アニメ「けいおん!」の舞台
2009年春アニメ「けいおん!」の舞台2
もちろん、「聖地」が現実世界にあるというのはこの作品に限ったことではなく、
アルプスの少女ハイジやフランダースの犬の頃から有る。
ただ、「けいおん!」の場合、そういう背景(舞台)としてのリアリティ以上に、
作品世界そのものが現実世界と強くつながっているように見える。
それは、作中に登場する小物類(楽器・ティーセット・雑誌・カメラ・携帯など)が、
異常なまでに悉く現実に存在するアイテムを元にして描かれているから。
けいおん!まとめサイト-作中登場の小物他
ここまでくると、意識的な「検閲」は当然あるとしても、
「無意識の『検閲』」という問題はクリアしているのはないかと思えてくるし、
<けいおん!はゼロ年代の日本を舞台にすることが出来たアニメだ>
と言わざるを得ないのではないかとも思えてくる。
(もちろん、他にもそういうアニメがあるのかもしれないが、詳しくないので私には分からない)
ただし、そのような舞台の上で動くキャラクター達は、
典型的なアニメ・漫画的キャラクターのように見えるので、
過去と現在がハイブリッドになったアニメだと言うのが適切なのかもしれない。
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