鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

今日の広瀬川(その1)

2008-03-24 22:53:05 | 広瀬川

 昨日とは全く一転、寒いくらいの一日。三寒四温というのには遅いかと思いますが、そう言いたくなるような天気でした。寒いうえに霧雨・小雨の一日。まあこういうこともありでしょう。

 

 ♯♭ 嬉しがらせてぇ~泣かせてぇ消えたぁ~♭♯という歌があったかと思いますが、一昨日昨日とは正にそんな感じです。

 このところアクセス数は非常に低迷していて、福田内閣の支持率と同じく、いつこのブログが消滅してもおかしくない感じなのですが(本当ですよ!私を殺すにはブログを開かないことです。)、どういうわけか22日のアクセス数は『250件』と前日の2.5倍のアクセス数を記録しました。これはすごい!ようやくわかってくれたのかと、大いに喜んだのですが、23日のアクセス数は100を切って『92件』。なんでこうも激しい動きとなるのか分かりません。理解できません。余計に寒さが身に沁みます。

 

 好き勝手にやっているのだから、そんなことはどうでもいいことですが、今日の広瀬川です。

 水量は丁度いい感じです。

 今日は雨が降っていたし、ぬかるんでいるだろうと思って長靴を履いて川に行ったのですが、嬉しいことに川底のヘドロ状の物が少なくなっていました。

 このままいけばいいですねぇ~


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いい陽気が続きます。

2008-03-23 22:41:17 | お知らせ

 いい陽気が続くのはありがたいのですが、今年は花粉症に悩まされています。

 いままでは軽く、症状のひどい人を見るとお気の毒にという感じで見ていたのですが、今回は鼻水だけではなく目の症状がひどくて参っています

 この目のショボショボ感、洗っても、目薬を差しても一向にすっきりしません。もう沢山です。堪りません。

 

 

 優勝おめでとう、朝青龍!!白鵬が焦って攻めていったことが幸いしたけど、見事に白鵬を投げ飛ばしました。13勝2敗という成績は、いまいちだけど、先場所負けた横綱を投げ飛ばして勝っての優勝は素晴らしい。

 勝ったあとの朝青龍の子どものような喜びよう、よっぽど嬉しかったのでしょう。納得です。

 これまでサッカーや仮病とかで散々叩かれてきたけど、その割には人気がおちるどころか、人気がさらに出てきたといってもいいのではないですか。今の大相撲の盛り上がりは、朝青龍あってのことは一目瞭然です。

 これで優勝は22回目ということで、これからもどんどん勝ち進み、勝ち進んだ結果としての優勝を重ね、大鵬の優勝回数を更新していって欲しいと思いますし、それができると信じています。

 今相撲協会がしなければならないのは、親方と兄弟子が新弟子を嬲(なぶ)り殺した殺人事件です。現在は警察が取調べをしているところですが、それはそれとして相撲協会として、十分な反省のうえで、このような事件が今後起きないようにきちんとした対策を立てるべきです。そして責任をはっきりさせるべきでしょう。

 

 何十年も前の私が小学校の頃、近くの野球場で相撲の巡業というのか準場所というのか、単なる催しだったのかははっきり覚えてはいませんが、大関以下の相撲取りが来て、ぶつかり稽古をしているのをみました。

 大関の名前は今でも覚えています。朝潮(初代)と松登です。朝潮は胸毛がとっても濃く、松登は随分太っていました。

 裏の方では若い相撲取りが、親方か兄弟子から竹箒で叩かれているのは見たことがあります。ひどいことをするなあとは思いましたが、そんなものかなあという感じだったですか。

 でも今回のリンチ殺人事件は当然こんなものではありません。この際好ましくない膿を出し切って、新しく生まれ変わって欲しいものです。

 

 

 ここからが今日の本題となります。シリーズとしては3回目となります。

 一昨日、昨日とアップした写真の枡のアップが今日の写真です。

 このつなぎ目を見て欲しい。左右不ぞろいです。普通に考えると、どうしてこういう臍(ほぞ)できっちりと組み合わせられるのか分かりません。

 分かる人がいたら素晴らしい。コメントしてください。これを作った本人(宮大工・工匠名:藤原秀行さん)も、大工仲間でさえ分からないだろうなと言っていました。

 設計図があるわけではなく、頭の中で描いて線を引き、鋸(のこぎり)と鑿(のみ)で工作していくわけです。本当にすごいとしかいいようがありません。正に名人芸です。14代も続く宮大工の面目躍如です。

 実は長押(なげし)と長押の組み合わせもすごいことがあり、うちの父も大工なのですが、どうやって組み合わせたか分からないと言っていたことがあります。どこかに写真があるはずなので、できればそのうちお見せしたいと思います。

 何でも本人は頭の中で考えながら切ったり削ったりしていくというのですからすごいということを通り越して、呆れてしまうくらいです。

 でも、こういう芸術的な技術を持っていても後を継いでくれる人はいません。もったいない限りです。

 

 実は私の義理の兄貴も前は職人、琴をつくる職人だったのですが、琴の需要が減ってきたもので会社を辞めざるを得なくなり、いまは全く関係のない仕事に就いています。

 これももったいない話しです。そのうち日本の伝統技術が消えてなくなってしまうのでしょう。愛国者としては慙愧に耐えません。

 

 そういう私も大工の息子なのですが、大工にはなりませんでした。木工は好きでしたが、跡を継げとかは一回も言われたことはありませんでした。自分でも大工ではとても生計を立てていくことは無理だと思っていたのでしょう(そう思うようにしています)。親不孝をしたとは思っていません。

 

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春間近

2008-03-22 21:47:11 | お知らせ

 東京ではサクラの開花宣言がなされたとか。そうですかあ、サクラが咲きましたか。仙台は4月8日頃とか。これでも早いほうのようです。

 

 今朝出勤途中の堤防で、ばっちりウグイスの鳴き声を聞きました。今日は一回だけではなく、”ホーホケキョ・ケキョ・ケキョ”とはっきり鳴きました。丁度中洲の梢から聞こえてきました。

 今日からは、ウグイスのあとに私の口笛のウグイスが続きます。なかなかウグイスのようにはいきませんが、そこは努力で補い、かなりいい線をいっているのではないかと勝手に思っています。

 堤防を歩いたり、走ったりしている人が本物の鳴き声と聞き間違えてくれると嬉しいのですが。

 

 昨日の午後、河原に行ったら、小型のダンプカーとか4台が河川敷に駐車していて、河原の枝を払っていました。いよいよ始まったのか、うまくいけばいいが、といっても実際どのようにするつもりなのか、はっきり分からないのでどうしようもありませんが。

 今日の夕方は、仕事を終えたショベルカーが一台止まっていました。

 平成19年度も残すところあと9日。この間に全てをやってしまおうというわけではないでしょう。少しは新年度にずれ込むのではないでしょうか。ずれ込んでも、19年度に終了したということにするのでしょう。

 

 

 話は変わって、どうしてこうも東北地方の野球は弱いのか、脆いのか。

 春の選抜高校野球甲子園大会。今日から試合が始まったばかりの第2試合、東北高校は北大津高校に2対3で敗れました。逆転負けです。

 甲子園球場はすっかりリニューアルされたようですね。蔦に占領されていた球場は蔦がなくなり、改めて蔦を張らせるとか。昔のように、阪神甲子園駅から甲子園球場までの道は食べ物や出場チーム関連の物品、メガホンとかを売る店で一杯になるのでしょうか。阪神パークや阪神ボーリング場はまだあるのでしょうか。

 

 そして、プロ野球パリーグでは、楽天がまたしてもドミンゴを出して逆転負け。中盤まではなんとかいい線をいっているのですが、肝心の後半がいけません。持ちこたえられないのです。

 こういうことが続くと精神的にも脆くなり、諦めムードが漂ってしまうのではないかと恐れます。そうならないことを祈るばかりです。

 

 

 さて昨日の続きです。問題の答えは、枡です。4つの枡がきれいに収納されています。

 大きい順に、1升枡、5合枡、3合枡、1合枡となります。それを積み上げたのが、今日の写真です。

 材質は、周りが米ひ(アメリカひば)、底が青ひ(青森ひば)です。

 

 作ったのは誰か。名取市に住む菅井文一郎さんです。宮大工です。宮大工菅井家第14代。現在78歳。

 歴史と伝統をもつ菅井家では工匠名もあります。工匠名は藤原秀行です。おじいさんは戦前明治神宮の工事にも関係したことがあるとか。代々腕は確かなようです。腕がいいと字もうまいようです。

 

 明日も続きます。(悪しからず)


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これは何?

2008-03-21 22:18:19 | お知らせ

 また、過去の話で恐縮ですが、過去とはいっても一昨日です。

 19日の午前中は近くの小学校の卒業式に来賓として出席してきました。

 先週の幼稚園と同じくらいの、25名の卒業生です。ここの小学校は都会の真ん中にあるということで、通学している子どもたちがとても少なく、一学年一クラスという状況です。

 でも、学校創立は明治6年と、市内では一番古い学校に属します。

 

 体育館での卒業式ですが、学校の規模が小さいということで?、(体育館自体はバスケが2面取れる大きさです。)ステージは使わずに行います。保護者は6年生だけですが、在校生は1年生から5年生まで全員出席します。もちろん先生も全員出席です。

 卒業生25名のうち、女子2名が羽織袴姿、一人が振袖姿でした。先生も羽織袴姿でした。変われば変わるものです。私の時はなんていうと笑われますので止めときます。

 

 ステージを背にして、25名の卒業生が並び、その向かいには在校生と保護者が並んでいます。先生方は右手、来賓は左手。

 卒業証書は、もちろん校長先生から受取るのですが、その前に在校生と保護者に向かって、自分の将来の夢を大きな声で語ります。夢のある話でよかったです。お医者さん、サッカーの選手等々。

 そして、校長先生の前に歩いて証書を受取り(校長は一人一人に何事かを話しかけていました。)、今度は証書を持って左手の角に供えられている机に歩き、そこで保護者と向かい合い、卒業証書を見せて、机の上にある手紙と花を渡します。

 来賓の前を通って席に戻ります。

 

 校長先生の話にはビックリしました。何と性教育?をはじめたのです。精子と卵子が一緒になって生命が誕生して、現在の皆さんがいる、それも1個の卵子に対して精子は3億個もあり、そのうちのたった1個の精子が卵子と一緒になったということ、だからみんなの命はとっても大切なもの、掛け替えのないものなのだということをいっていました。

 

 歌も3曲くらい歌いましたし、その前に25名全員で過去の思い出を語ったり、決意表明?をしましたが、その中に”One for All、All for One”という言葉がありました。ALTがいるから今時の小学生は理解できるのでしょうね。

 

 25名の卒業式は1時間20分かかりました。とっても贅沢な卒業式ともいえます。幼稚園のときもそうでしたが、小学校も保護者と一緒になった卒業(園)式なのですね。

 この時の感激を親子共々いつまでも持ち続けられれば、親子間の不幸な出来事はないのでしょうが。

 

 私のモットーは、”子どもは3歳までに一生の親孝行をする”、”子ども叱るな来た道じゃ、年寄り嫌うな行く道じゃ”です。もちろんかなり有名な人の言葉で、新聞か何かで読んだ言葉です。

 でも、現実はなかなかこのようにはいきません。永遠の努力目標です。

 

 

 さて、この写真は何で省か(久し振りに出ました、「省か」=しょうか)?

 答えは、あした。

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不死身の鮎3匹

2008-03-20 20:54:47 | お知らせ

 今日は春分の日。昼と夜の長さが同じの日。お彼岸の中日。

 

 そして、プロ野球パリーグの開幕。

 ああ、それなのに、それなのに、こんなことがあっていいのでしょうか?!

 悪夢!!! あ く む 

 

 野球が終わる前に、J2でベガルタ仙台が福岡を1:0で辛うじて破り、嬉しくなり、この調子でプロ野球も行ってくれ!!という願いは、あと一歩というところで、木っ端微塵に、跡形もなく吹っ飛ばされてしまいました。

 最後の最後に、ここまで完膚なきまでに粉砕されたのではもうどうしようもない!!

 

 抑えの投手が、いわゆるクローザーが傷口を大きく広げて玉砕してしまうのではもはや何をかいわんやです。ワンアウトも取れずにサヨナラ負けなんて、開幕戦からあっていいのでしょうか??!!

 すっかり勝ったものとばかり思っていたのに・・・。

 

 しかし、こういうこともあるんだ、サッカーと野球で、仙台と福岡が戦うことになるなんて。結果的には1勝1敗ですが、後味の悪さから言えば、仙台の負けです。福岡の活気には叶いません。お手上げです。降参です。

 (でも、直接は何の関係もありませんが、福岡県か福岡市、多分県のほういだと思いますが、道路関係の予算数百億円のうち、なんと90%が借金返済のための予算である、と誰かがどこかで言っていました。だから、何としても道路特定財源は継続してくれないと困るということです。)

 

 写真は、”永遠に生き続ける鮎達”です。3匹になってしまいました。

 昨日鮎釣りの仲間から一番左側の大きい鮎ルアーを頂きました。

 全長16.8センチの細身の、精巧な鮎ルアーです。”「囮鮎ルアー輝」改”と命名されています。桐の箱に入っています。宝物です。丁度下に敷いている板が蓋にあたり、逆さにするとルアーを乗せられるようになっています。

 

 特徴は、胸鰭(ひれ)、腹鰭がそれぞれ可動式となっていることです。尾鰭も左右に動きます。ねじで調整ができます。

 あごのところと腹のところに板オモリをつけて、泳ぎにより現実味を持たせることで野鮎の攻撃を誘うようにもできるということです。

 

 これは大切に、大事に使わなければいけません、深いところやニゴイがいるところでは使用できません。根がかりしても外しにいけるところで使うようにします。でないともったいないです。隠し玉として重宝することになるでしょう。

 

 いやあ、いろいろなルアーがあるものだなあと感心するばかりです。

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発売開始

2008-03-19 22:46:56 | お知らせ

 今日は飲んできましたので、簡単に。

 

 約束を破るようで恐縮ですが。

 

 「ダイワ鮎マスターズ21」「アユの友釣り最先端2008」が発売されていました。昨日本屋で入手しました。

 

 これから続々発売されるでしょう。

 

 楽しみです。

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(その2)組合員証

2008-03-18 22:28:19 | お知らせ

 昨日ですが、近くの釣具店から2008年の組合員証を受取ってきました。

 第0913号です。数字自体はあんまりいい数字ではない感じです。

 受取ったとはいっても、4500円での購入です。一般の人は4000円で買えるのですが・・・。組合員といっても準組合員ですが。

 一週間くらい前から連絡があって、取りに来るときは電話してくれといわれていました。妻が言うにはIさんが入院しているからとのこと。

 

 昨日は午前9時半頃ですか、店に行きました。Iさん本人が出てきました。入院はしても切らずに(手術せずに)薬で散らすとか。どこが悪いかとは聞きませんでした。

 

 Iさんは話し好きですので、不本意ながら?話しに付き合いました。結果的にはそれが良かった。

 ・今年からIさんが広瀬・名取漁協のアユの放流担当になったそうです。それまでの担当だったEさんがあまりにひどく、さすがにここまで来ると理事から総スカンを喰らったようです。

 ・今までEさんがやってきたことはめちゃクチャで、そのために行政からも全く相手にされなくなった。放流も計画的ではなく、去年なんか5月の下旬に放流したとか。そのため、解禁日に釣れたのは天然物だけで、放流物は小さくて話になんなかったとも。その天然物も7月下旬の大雨で全部流されてしまった、郡山堰の下まで。彼が言うには去年は天然物が一杯遡上したようなのです。にわかには信じられませんが。

 

 ・今年からはきちんと計画的に放流する。そしてきちんと広報もするそうです。放流は1トンの水に100キロのアユを入れて運ぶそうです。でも、ホースで一箇所に放流するのは止めて、今年は協力者にお願いして、オトリ缶に鮎を入れて、分散して、満遍なく放流し、一箇所に留まることのないようにしたい、といっていました。

 ・そして、第1回目の放流を4月13日(日)に行いたいそうです。私も日程が合えば協力する羽目になりそうです。

 ・嬉しいことに、少しでも長く広瀬川で釣りができるように時期をずらして放流する考えです。今までですと、ほぼ8月までの2ヶ月で猟期は終了となっていますが、これが9月一杯まで釣りができれば嬉しいことです。でも、オトリは大丈夫なのか?心配ではありますが。

 ・アユの種苗は、今までは福島県産だったが、北上川産と秋田の阿仁川産のアユを放流したいといっています。

 ・小国川産はダメなのかと聞いたら、あそこは年代が経ちすぎてだめだと。もっと若いというか短い飼育期間のアユがいいのだと。はっきりとは理解できませんが、人工交配の経験が少ない、新しいアユの種苗がいいということらしいです。

 ・郡山堰や愛宕堰で遡上アユがストップしていたら、汲み上げ放流をすると。

 ・そして、今までは正組合員でないと、試し釣りはできなかったが、今年からは準組合員でもできることになりそうです。まだ彼だけの考えかもしれませんが。広瀬川でも試し釣りをしていたということは公式には聞いたことがないような気がします。

 去年は釣りをする人も含めて、30人くらいで試し釣りとその釣果の分析を行ったとか。

 できるのであれば、6月中に試し釣りを経験してみたい!!経験できればこんなに嬉しいことはないです。

 ちょっと楽しみが出てきました。

 

 そんな話しをして、お金を払い、組合員証と広瀬・名取川のマップを受け取りジャンパーの右ポケットにしまいました。店の前に置いておいた自転車に乗って帰途に着きました。

 家に入って右ポケットをまさぐると、ない!?!!ない!!?!今しがた受取ったばかりの組合員証がない!?!もしかして、店の中に落ちてないか、電話してみてもらいましたが、落ちてはいないとのこと。

 それで、帰り道の逆を走って捜しました、探しました。彼も周りを探してくれましたが、どこにもありませんでした。

 ガッカリです。また4500円出さなければだめなのか~~・・・9000円の組合員証は高い、高すぎる!?!

 しばらく様子を見よう、今すぐまた購入してもどうなるか分からない。

 

 そして約2時間経ってから、Iさんより電話あり。組合員証が見つかったというのです。近くの人が拾ってくれて、中味が釣りのことだからとIさんの店に届けてくれたようなのです。嬉しかった!!世の中いい人もいる!!

 

 そんなハプニングもあった一日でした。

 

 これを機に、今年はついている!!と思うようにしたいです。


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(その1)湯たんぽ

2008-03-18 21:30:24 | お知らせ

 永らく愛用してきました湯たんぽともお別れです。

 15日土曜日を最後に今冬の湯たんぽの出番は終了しました。

 最初は私が使い、その後妻も使うようになり、一旦使い始めるともうやめられなくなってしまいます。

 本当にありがたい、重宝物です。

 なんで冷めないのでしょうか、不思議です。

 

 はじめは布団の真ん中に湯たんぽを置いておきます。そうすると寝る頃にはその周りはポカポカです。

 11時半か12時近くに布団に入るときは、湯たんぽを足元に置きます。そうすると、今度は足元が暖まるし、何といっても背中やお腹が温かいのが助かります。

 

 そして、朝には湯たんぽのお湯が使えます。

 これが結構暖かい、というよりも熱いくらいなのです。手を入れると熱ささえ感じるくらいなのです。寒いときのこのお湯は助かります。

 顔もきれいになったように感じるし、その後のお化粧の乗り?がいいです。ちなみにこの頃は妻の勧めで、NOEVIR PROTECT MEDICATED CREAM を使っています。

 

 みなさんも寒くなったら是非とも湯たんぽを使いましょう!!エコにもなります。今や、エコは聖域ですから。


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今日の広瀬川(その3)

2008-03-17 22:20:14 | 広瀬川

 (その1)(その2)から見て、読んでください。

 

 (その3)の写真は、(その2)の手前の方の左岸へちの様子です。

 自然のものだからまだいいといえなくもないですが、小枝等が一杯あります。ゴミとして溜まっている感じです。自然に流されてきたものとは思えませんが。

 

 今、県や国の土木(河川)事務所は一応地元住民の意向に基づくということで、中州や左岸の木を伐採しようとしています。

 実際に何割かの木は伐採されていますし、残っている木には色のついたビニールテープが巻かれたりしています。堤防には測量のためなのでしょう、杭みたいなものが埋設されていますし。

 

 そういう状況のため、今川の底はかなりゴミ等で荒れていないか心配になってしまうわけです。杞憂であればそれに越したことはありませんが。

 

 今日の午前、地域の釣具屋の人といろいろ話しをする機会がありました。そのことは明日お知らせします。


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今日の広瀬川(その2)

2008-03-17 21:59:06 | 広瀬川

 この写真は、(その1)と同じく今日の夕方近くに撮ったものです。

 この周辺は底が岩盤で、深い溝状になっています。

 丁度水面が鏡のようになっているところが岩盤の溝となっているところで、右側が上流になります。

 

 丁度いい水量となっています。

 このままいってくれればいいのに、と切に思います。

 

 ところが、・・・・・・。


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今日の広瀬川(その1)

2008-03-17 21:48:05 | 広瀬川

 先週の金曜日頃ですか、夕方から夜にかけて雨が降ったりしたためか、それと暖かさが続いて山々の雪もとけだしてきたのでしょうか、その時から広瀬川は水量が増えてきました。

 その日から2,3日経っているので幾分減ってきましたが、それでも先週よりはかなり多くなっています。

 

 間もなく4月になりますので、このくらいの水量が続いてくれれば、アユの天然遡上や放流のためには好ましいことなのですが。

 

 この写真からも分かるかと思いますが、右岸側、崖の方はかなり岩盤が脆くなっているような感じがします。

 私はあんまり右岸に渡って竿を出すことは少ないですが、毎年何人かは右岸に渡って竿を出します。正直かなり危険です。もう右岸からの竿出しはやめるべきかも知れません。夢中になっていると、崖崩れの危険性に気付くのが遅くなりかねません。下に立つと巨大な崖がのしかかっているように感じます。

 この上には大きな木が一杯あります。平地の大木のようには安心はできません。沢山のトンビが巣をつくっていますが。


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”シマノ”カタログ

2008-03-16 22:01:14 | お知らせ

 この前シマノからカタログが届きました。

 立派なカタログです。全98ページ。

 さっそくウキウキしながらページを括りました。

 今年はどんな新しい竿が発売されるのだろうと思いながら。

 

 でも、今年は竿を買う気持ちはないから、フムフム、そうか、こういう竿が出るのか、相変わらず高いなあ、などと内心思ったり、独り言を言ったりして、気楽に見ていましたが、一つ気に入らないことがありました。

 

 シマノよ! お前もか!!

 

 自分が持っている竿が生産されない、発売されなくなるということは何かとっても寂しいじゃないですか。そういう気持ちになりませんか。何か見捨てられたような、結局はそんな竿はいい竿ではないと突きつけられたような悲しい気持ちになりませんか。

 去年までは大きなスペースをとって、宣伝していたのに・・・。

 

 今年のカタログには何も掲載されない。断りもない。せめて、この竿の生産は今年で終了しますとか予めお知らせすることは無理なのでしょうか。

 そういうのって消費者、購買者に対する道義というか正義、責任ではないでしょうか。

 そうしないのはいわば一種の裏切りではないですか。こう考えるのはおかしいでしょうか。

 

 ダイワの「硬派”剛”」に続いて、シマノも「Special 豪腕 尺鮎」の生産・販売を中止しました。2008年のカタログに掲載はありませんでした。

 カタログは写真のように一杯保管しているので、遡って見てみると、「Special 豪腕 尺鮎」は2002年に販売開始となっています。丁度満6年で生産を止めたということになります。

 最後となった2007年のカタログでは、「前人未到の聖域攻略」とまで絶賛していたのに。

 「尺鮎」は釣れないので、名前を改めたということも考えられますが・・・。

 

 まあそれはそれとして、自分としてはこの「Special 豪腕 尺鮎」を大切に大切に使っていこうと思っているわけです。

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(その2)大銀杏の移植

2008-03-15 22:21:16 | お知らせ

 (その1)では3月11日の新聞記事を取り上げましたが、大銀杏を移植するには、直径4.7メートルの根元を鉄骨で囲んで、地上に持ち上げ、鋼鉄製の「ころ」を使って、10日から3日かけて移動するということでした。

 

 写真は14日(金)の朝に撮ったものです。まだ大して動いてはいません。

 北側の新しい公園まで焼く60メートル。これは大変なことです。

 

 14日の朝、出勤途中ですが、パイプの柵を越えて写真を撮るために中に入ったところ、すぐに警備員が来て「入ってもらっては困ります。工事現場だからヘルメットをかぶっていないと」といわれました。

 もっともなことです。でも、それでああそうですかと、引き下がるわけにも行きません。「すみません」と何度も言って、「写真一枚だけですから」といって、撮らせてもらいまいした。実際は3枚撮りましたが。

 

 まあ、ビックリデス!!巨大としか言いようがない鋼鉄製の「ころ」を使ったすごい移植作業です。まるで戦車のキャタピラのようです。

 これは大変な作業です。銀杏の60メートル移動に要する費用は830万円とか。お金も掛るものです。

 

 これだけの時間や費用をかけて移植したのですから、新しい公園にはきちんと根付いて欲しいものです。

 素人目には、いつまでも根元を地上に晒しておいていいものでしょうかと心配になるのですが・・・。

 


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(その1)大銀杏の移植

2008-03-15 21:56:18 | お知らせ

 大銀杏の移植については、この写真を使って、すでに4日のブログで取り上げました。

 その後11日の地元の新聞記事で知ったのですが、やはりクレーンで吊り上げて、北側の元の野球場に移植するとのことでした。

 

 大銀杏は、推定樹齢約280年、幹周りは約4メートル。推定重量58トンとのことです。

 1945年の仙台空襲で幹の大半が焼けたものの、翌年に再び芽吹いて、こんなに大きく成長したようです。すごい寿命です。

 そういうこともあって、仙台市の保存樹木に指定されたのでしょう。

 


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学校給食

2008-03-14 23:00:28 | お知らせ

 今日はWhite Day。

 世の中の男性諸君、バレンタインデーのお返しはお済ですか。でしょうね。 

 まだ済んでなくても、今午後9時40分では、今さらどうしようもないでしょうし。

 今年はどういうわけか、近年になく沢山貰いました。ありがたいことです。

 

 

 午前中、近くの幼稚園の修了式に来賓として出席してきました。

 いやあ、よかった、よかった。沢山の感動を貰いました。

 この幼稚園は、間もなく開園130年になろうという素晴らしい歴史と伝統を誇る幼稚園です。

 年長組、”にじ組”29人の卒園式でした。

 

 10時から開会なのですが、卒園児が揃う前に、年中児、保護者や来賓に”にじ組”の三年間の思い出をスクリーンに映してくれました。

 バックミュージックは、題名は分かりませんが、歌詞や旋律は覚えています。自分の二人の子どもの保育所の卒園式のときにも一杯流れていた曲です。忘れたくても、忘れられません。20数年前のことがありありと思い出されました。

 

 ♯♭~いつのことだか おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう~♭♯

 

 そして、卒園児が入場して修了式のスタートです。

 園長先生から、一人一人に修了証が手渡されます。「おめでとう」といって渡す園長先生。受取った園児は「ありがとうございます」といって、深々とお辞儀をします。

 そして、年中児や保護者の方に向き直り、修了証を両手に持ったまま、赤い毛氈の上を歩いて保護者席の前に立つお母さんやお父さんに、「ありがとうございました」といって、修了証を渡します。

 受取った保護者は「おめでとう」と囁いて、子どもの頭をなでたりして、修了証を受取ります。

 

 年だからでしょうか、昔のことが思い出されるからでしょうか、涙もろくなり、堪えようとしても涙が、感涙がとまりません。何と可愛い子どもたちでしょう!!

 

 最後に歌った歌は「さようなら」という歌。3番目がいい詩です。

 ♭♯こころのなかに ゆめをいだいて あすのひかりを ねがいながら きょうのおもいで わすれずに いつかまた いつかまた あえるひまで♯♭

 

 この子どもたちが4月から小学1年生となり、身も心も健やかに成長して行ってくれれば・・・・、そのことを願うばかりです。

 

 

 写真はお分かりのように、学校の給食です。

 これも近くの小学校の給食です。縁あって、校長先生と一緒に食べる機会に恵まれ?嬉しくなって写真を撮ったという次第です。

 

 大まかに言えば、パンとラーメンと野菜サラダ、バナナ、牛乳です。

 

 妻にこの写真を見せたら、ああこういうパンが今流行っているとか、形はコッペパンで、味はドーナツみたいな甘い味の黒いパンです。

 ラーメンは味噌ラーメンで、校長先生はこの味噌ラーメンが好きといっていました。これもこの小学校が単独調理校だからできることでしょう。

 野菜サラダは、キャベツととうもろこしのドレッシングというのでしょうか、もうひとつ野菜が入っていたような気もします。

 バナナは半分。牛乳は200mlです。

 

 低学年は少なめ、高学年は多めに調整しているとか。

 どこかの学校では給食費を払わずに先生方が給食を食べているというような記事があったようですが、仙台の学校では何年も前からきちんと給食費を負担しているとのことです。私も負担してきました。とっても安くてビックリするくらいでした。

 

 給食とお別れしてから何年経つのでしょうか。私の小学校も単独調理校(当時としては当たり前ですよね。給食センター方式はずっと後の話でしょう)だったのですが、入学して少ししてから給食室・調理室ができたような気がします。

 でも一年生のときから給食は食べていました。記憶にあるのが一番最初の給食の内容だったのかどうかは定かではありませんが、朧に覚えています。

 『うどん』それも『魚のすり身入りのうどん』だったような気がします。昔のことはよく覚えているのですよね。認知症の予備軍ですから。

 

 あとはコッペパンと脱脂粉乳ですね。脱脂粉乳には苦労しました。そのためなのでしょうか、牛乳は苦手となりました。貧しくて牛乳を飲むことがなかったからかも。牛乳を飲まなくても人間は育ちます。何といっても牛乳は牛が飲むものですから。

 

 長くなってしまいました。

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